私の好きな詩・言葉(131) 「光の塔」 (杉本 真維子)   


光の塔


わたしは誰かのために
洗われるからだを持つ
ひたいに緑色のマジックで
数字を書きこまれ
ころされるための順番を待っていた
にんげんは言葉を持たない
ただ迷いのないうでがわたしにのしかかり
すばやく脚を折り、痙攣が待たれる
水を掃く音、尻を冷やすコンクリート、
霧のなかで
空高く衣類だけが積み上げられていたことも
覚えている
(眩しい塔を見たのだ

光は波のように寄せ
あの塔がなんども現れてくる
そこは
様々な体温が甘く蒸れ
いつかだれかの暗い舌に溶けたが
指先を切ったあなたの顔のまえで
血のように出会う


(杉本真維子詩集 『袖口の動物』 より)
(初出 詩学2006年7・8号)






ひと言

詩集の帯の言葉に総毛立った。

(あのにんげん草の
つややかな緑色がうるさい

良いとか素晴らしいとかを越えていた。徹底的に囚われてしまう非凡な何か。言葉ではうまく言い表せないが見過ごすことのできない何か。血が騒いだ。表紙をめくると、さらに言葉が続いていた。

「蛍光灯を取りつける人と、それを半開きの口で見上げている人の光景にひかれる。あんなふうになりたいとおもう。彼らはふいに切り取られたひとつの違和として、周囲をよせつけない空気に包まれて浮かぶ。光へと伸ばされた両腕から、見上げる人の足元までが一体となり、陰影のある彫像のように、ある夕刻、わたしの前に立っていた。あの見上げる人の目を知っている、とおもった。心配そうに手元を見つめているようでもあるし、ぼうっと何も見ていないようにも、あるいは凝視のさきの手元さえ突きぬけ、この世でないほどの遠くを見つめているようでもある。死者の脱色された瞳のような怖さがあるのに、どこかなつかしい眼差しだった。そしてなによりもわたしは、こうしたふたりの光景、構図に、心底見とれているのだと、気づいた。
ここに光を灯そうと、いまも至るところで、ひとりは両腕をふるわせ、もうひとりは踏み台の椅子をささえて、薄い闇のなかにいる。いま灯りがつく、という直前、わたしたちはどんな言葉も持つことはできない。
ひっそりと点在し、瞬くように届くものよ。あれはわたしたちの、祈りの姿だ。」

私の中で、何かが始まったと感じている。

現在、現代詩手帖の評者をされている杉本真維子さんだが、その評の的確さと鋭さを私はいつも楽しみにしている。



杉本 真維子(すぎもと まいこ)

1973年、長野市生まれ。
2002年、現代詩手帖賞受賞。
作品: 『点火期』 (思潮社、2003年)、『詩のリレー』 (共著、ふらんす堂、2006年)
『袖口の動物』 は思潮社の12人の若い詩人たちの「シリーズ新しい詩人」の中の1冊。
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by hannah5 | 2009-04-17 23:11 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

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