現代詩手帖創刊50周年祭 「これからの詩どうなる」   


6月20日(土)午後12時30分から新宿明治安田生命ホールで、現代詩手帖創刊50周年を祝うイベントがあり、行ってきました。

プログラム

◆第Ⅰ部◆

12.30 開会挨拶 小田久郎
12:40 【対話】 谷川俊太郎+谷川賢作 「詩ってなんだろう」
13:30 【パフォーマンス】 吉増剛造 「gozoCiné、そして」
14:20 【シンポジウムⅠ】 「アジアの詩とは何か」
      辻井喬+高橋睦郎+佐々木幹郎+平田俊子+田原(司会)

15:10-15:30 休憩

◆第Ⅱ部◆

15:30 【講演】 吉本隆明(ききて・瀬尾育生) 「詩論について」
16:30 【シンポジウムⅡ】 「詩の現在をめぐって」
      北川透+藤井貞和+荒川洋治+稲川方人+井坂洋子+松浦寿輝
     +野村喜和夫+城戸朱理+和合亮一(司会)
18:00 【朗読・トーク】
      小池昌代、高貝弘也、田口犬男、小笠原鳥類、蜂飼耳、中尾太一、三角みづ紀
19:30 閉会挨拶

                          ******

7時間半という長丁場のセッションでした。Ⅰ部とⅡ部の間に20分の休憩があっただけで、午後は休憩なしで夜まで続き、結局終わったのは午後8時をまわっていました。

一人一人の言葉にボリュームがあり、すべてを書くことは無理ですが、いくつか興味のある言葉を拾いましたので、ここに記しておきます。(敬称略)

◇谷川俊太郎

終始一貫して詩に疑いをもっていたが、今は自分の要領が大きくなったので詩を書くのが楽しい。
これからの詩がどうなるか、詩人には答えられない。
世界は言語と存在とに分けられる。
詩は言語であり、肉体は存在である。
言葉は存在にあこがれ、肉体は言葉にならない。
音楽は存在の側にある。
世界はビックバンで始まっているから、肉体には意味がない。

● 吉本隆明の「詩論について」

詩を書き始めた頃、教科書を立てて、詩を書いていることを隠して詩を書いた。
高村光太郎など、敬意を表している詩人の詩を模倣してその詩人の書き方を覚えこんだ。
毎日少しずつ詩を書いていくうちに、自分らしい詩が書けるようになった。
詩を文学にしたいと思うようになった。
言語芸術/芸術言語について。
-芸術という考え方を拡張していけば、文学とは違う言語の芸術が無限に広がるのではないか。
-人間として生きる固有の何かが開拓できるのではないか。

● 田原の「アジアの現代詩はこれからどうなると思うか」という問いに対して。

◇佐々木幹郎

縦書きと横書きについて。
現代の中国語はすべて横書き、簡略体で書かれている。
古典さえも横書き、簡略体で書かれているので驚いた。
若い中国人は古い漢字が読めない。したがって、漢字で書かれた古典が読めない。
日本語も横書きがふえているが、日本の詩歌を横書きにしていいのか。
中国は1945年以前は縦書きだった。

◇平田俊子

最初、中国語に翻訳されて横書きに書かれた自分の詩を見て、行儀が悪いように思えた。
(日本の)若い人は横書きに抵抗がないのではないか。
最近は横書きにショックを受けるのは繊細すぎるのではないかと思うようになった。

◇辻井喬

アジアの詩は動いていると感じている。
アジアには歴史に向かって心を開いている詩人がいる。
日本には歴史に向かって心を開いている詩人、すなわち挫折を味わった詩人がいるのを感じない。

◇田原

中国の詩人は年を取れば取るほど、詩が書けなくなる。
日本の詩人は年を取れば取るほど、良い詩を書くようになる。

● 和合亮一の「詩についてどんなことを思っているか」の問いに対して。

◇北川透

「これからの詩どうなる」のタイトルには希望が込められていないように思う。
10年たったら詩はなくなってしまうのではないか。
詩の孤立について。
-詩の言語は目に見える相手ではなく、目に見えない相手に届く
-詩の言語の生命力が自分に乗り移ってくる
-孤立は恐れるに足りない
-詩の言語は擁護されるべきである

◇藤井貞和

ポストモダンが終結し、ポストモダンに取って代わるものが見えない。
ぽっかりと穴のあいた90年代。
思想家がやらないのなら、詩の言葉がやるべきである。

◇荒川洋治

詩の世界が元気で活発にやってくれればいい。
詩の世界がガヤガヤやるといい。
いろいろな詩論があっていい。
詩論の書き方に疑問をもっている。
戦後の文壇は閉鎖的だが、豊穣で独自の実がある。

◇稲川方人

詩的言語は現実世界への抵抗、脅威としてある。
詩的感性には悲しみが露呈している。
詩は不安を引き受けなければならない。

◇井坂洋子

1968年の「詩に何ができるか」に出席した(学生運動の盛んな頃)。
富岡多恵子の「詩人は革命を起こさなければならない」という言葉と、天沢退二郎の「詩人は詩を書かない人に向かって書かなければならない」という言葉が印象に残っている。
詩人は外の世界に向き合っていない。
ということは、詩は柔らかくて壊れやすいものなのか。
良い仕事をしている女性の書き手が増えている。

◇松浦寿輝

詩と散文を対比。詩は凝縮である。
すぐれた詩にはひとつの世界が立ち表れている(ひとつの世界が凝縮されている)。
誰かに読まれなければ、そこに立ち表れた世界は広がらない。
誰かに送り届けられた手紙があるとして、詩は切手のようなもの。詩を読む行為は、封筒をあけて中を読む行為である。
お金を払って切手を買い、切手を貼るのは信頼の行為である。

◇城戸朱理

日々私たちが読むものは99.9%が散文。
50年代~60年代に前衛短歌・俳句が出た。
特定の年代はないが、私たちの書く詩は前衛詩だったのではないか。
ゼロ年代の詩人たちは「希望」を語らなくなっている。

◇野村喜和夫

詩的言語は見直さなければならないのではないか。
詩的言語はここ20年くらいの間に変容したのではないか。

◇稲川方人

敵対すべきは敵対し、解体すべきは解体し、批評すべきは批評する意志をもつ詩人が一人でもいれば、詩は続いていく

◇井坂洋子

詩人格というのがあると思う。
詩は次の世代のための言葉であるかもしれない。
詩はたくさん読んでも取りすぎ感がない。
詩は清潔である。

◇荒川洋治

文章の99.9%は散文であり、散文の中で暮らす率が高くなっている。
散文は人工的に作られた言語、異常な言語である。
散文は身を屈めて表面的に社会に合わせた言葉。
詩は個人の内発的なもの、個人を守り残そうとするものである。
詩の言語は私たちの近くにある。
書きたい詩、書くべき詩を書き、詩の魅力を示すべきである。

◇城戸朱理

金子光晴の言葉を引用-「個人個人の革命が必要」「流されない個人の確立が必要」
散文は約束された言葉である。
詩は世界と契約を結び直して、読者が自分の世界を建て直す助けをする。

● 和合亮一の「現代詩手帖50年を振り返って、詩はどうなると思うか」の問いに対して。

◇北川透

「今どうしたらいいか」が詩の未来に反映する。
詩は散文の法則に則っていない。
詩の言語は定型の意識から逸脱している。
詩の言語は金銭に背いている。
詩は伝統からはずれている。
宗教詩人、道徳詩人は成り立たない。
自由詩は一見弱そうで、裸であるが、言語がノイズに近いほど遠くに届くことがありうる。
詩はすべてから自由であり、すべてから自由ではない。
詩が自由になるためには、包囲しているものを読み込む必要がある。
散文、権力、国家をどれくらい読み込めるかが問題であり、読み込んでからでないと詩は自由にならないし、豊かになれない。

◇小田久郎

詩は常に未知の世界への越境である。
後退は許されない。


                           ******

詳細はいずれ現代詩手帖に掲載されると思うので、そちらをご覧ください。
ここで書いたのは、あくまでも私のメモ書きです。
[PR]

by hannah5 | 2009-06-22 00:41 | 詩のイベント | Comments(9)

Commented by α at 2009-06-22 23:57 x
こんばんは。お久しぶりです。

私も「現代詩手帖創刊50周年」に参加しました。

予定があったので、第Ⅱ部は辞退しましたけど、こう言ってはなんですが、若手の詩人の方にはいつでもお会いする機会もあるだろうと思い、第Ⅰ部でがまんしました。

谷川俊太郎さんは茶目っけたっぷりの人で好感をもちました。たぶん先生の詩(というか詞)のなかで一番人口に膾炙しているのは、はじめに歌われた「鉄腕アトム」でしょうね。もちろん、私も暗唱できます。

佐々木幹郎さんの詩のスタイルに関するお話は興味深く聞きました。中国の文化的事情にはまったく疎いので、私も杜甫や李白などの古典が横書きなのには驚きました。漢文の授業では縦書きで習った覚えがあるので。

それと、ここには吉本隆明さんについてのコメントがありませんが、もしかして、ご高齢なので、欠席されたのでしょうか?吉本先生もぜひ一度お目にかかりたかったので、残念でした。

またこのような機会がありましたら、参加したいと思いました。
Commented by α at 2009-06-22 23:58 x
もしコメントが不快なようでしたら、削除願います。
Commented by hannah5 at 2009-06-23 12:33
α さん、コメントありがとうございます。
α さんも現代詩手帖祭にいらしたのですね。
谷川俊太郎さんの鉄腕アトムは意外でしたね。
詩人の方たちのコメントがとても興味があって、一人一人の持ち時間が短かったのは残念でした。

吉本隆明さんのコメントはおっしゃられたようにご高齢ということもあり、途中判明しにくい部分があったため割愛したのですが、わかる所だけ載せておきました。
ただ、詩論といえるかどうか。
ご判断はα さんにお任せします。
Commented by α at 2009-06-23 22:16 x
改めまして、レポートありがとう。吉本隆明さんは比較的最近テレビで拝見したときは車椅子ではあったけれど、顔の色つやも良く、元気そうなお姿だったのが印象に残っています。

「詩論」ですか。なんであれ、詩について論じたものであれば、文字どおり、詩論といえるのでしょうが、そうすると「論ずる」がなにを意味するのか、という問題が起きますね。

今後、こうしたイベントでハンナさんともしかしたらお会いするかもしれませんね。そのときはよろしくお願いします。
Commented by hannah5 at 2009-06-24 19:31
α さん、吉本隆明さんはお元気そうでしたよ。
実際にはお疲れになったのかもしれませんけれど。

どこかでお会いするかもしれませんね。
その時はよろしくお願いします。
Commented by キムタツ at 2009-06-25 22:47 x
こんばんは。
50周年祭、本当に興味深く、楽しかったです。
あの会場で、「詩のつながり」を持つ方たちの線が、濃密な雰囲気の背景だったのかな。と感じています。
詩を書くのは楽しいですね。
苦しいけれども。(笑)

えーと。こちらで書くのは見当違いとは思いますが、武甲書店でのプログラムの詳細はどこで調べればいいのでしょうか。
参加資格とかあるのでしょうか。

勉強したいんです!はんなさんが羨ましくって!
Commented by hannah5 at 2009-06-26 00:08
キムタツさん、こんばんは。
楽しかったですね。
暗がりで見えませんでしたが、現在活躍中の詩人さんたちがたくさんいらしてたようですね。

ポエトリーカフェ武甲書店のURLです。
http://www.bukou-books.com/
参加資格はありません。
興味のあるイベントがあったら、直接申し込めばいいのです。
メーリングリストに入れておくと、向こうから自動的にお知らせが来ますよ。
いろいろ楽しいイベントもあるようなので、いらしてみてください。
Commented by あっこ at 2009-06-30 13:43 x
はじめまして。
昨日(6/29)の日経新聞の夕刊でこのイベントの記事を読み、
もっと詳しく知りたいと検索していたら、このブログに辿り着きました。
その記事のなかで、荒川洋治さんの言葉に惹かれたのですが、
ここで紹介されている内容と意味が逆の様なので、
お節介とは思いながら、書かせて頂きました。
以下、日経新聞からの引用です。
------------------------------------------------------------------------
「今この時代の中で何を描くべきか。書きたい詩ではなく、
書くべき詩を見つけて人々にぶつけていかなければならない」
と荒川洋治(60)。
「書くべき詩を書く中で、詩の魅力を同時に示す書き方が必要だ」
------------------------------------------------------------------------
現代詩手帖の方でも再チェックしてみようと思います。
おじゃましました!
Commented by hannah5 at 2009-06-30 21:24
あっこさん、こんにちは。
日経新聞の記事の引用をありがとうございます。
たぶんそのようなことはおっしゃられたのだと思いますが、なにぶんにも早口で喋っていらっしゃって、その中でのメモ書きでしたので、抜け落ちたところもかなりあります。
逆かどうかわかりませんが、私のメモの取り方が不十分だったことは確かです。
ここに書いたのは個人的に印象に残って書き留めた言葉です。
公式に発表する何ものでもないので、そのあたりはご容赦いただければと思います。
いずれにしろ、きちんとした報告は現代詩手帖に出るはずですので、そちらを読んでください。
コメントとご指摘ありがとうございました。

<< 眠れない夜に 呼吸 >>