私の好きな詩・言葉(136) 「海の家族」 (中村 純)   


海の家族


そのとき海の匂いがした
ぷらんくとんをたくさん含んだ
いのちをはぐくむ海
もう一度 大波が寄せれば うまれる
呻きの向こうで 高波のしぶきが飛翔した

「もう一度!」
叫ぶ助産婦たちの声にあわせて
私は波打ち際に 思い切り走って
君を迎えに行ったよ

私の軀は破れて裏返り
大量の海水がざぶんと押し寄せ
君は打ち上げられた

海水の匂いのする君は
私のはだかの胸にうつぶせにされて
やがて首を少しあげ
薄目をあけて 世界を見渡した

「パパとママのところに来たのね」そう言うと
「えっ えっ」とちいさな声をあげ
乳房をさがし始めた

やわらかなくちびると髪
うまれたてのいのちの
はだかの美しさよ

彼岸から此岸へ くらい海を渡って来た君
私は身二つになり もう一度うまれて
はじめて パパとさんにん
海の家族になった

このまま さんにんぽっちなら ずっと幸せだね
やわらかなエゴイズムに
ゆらゆらと心地よくゆれる舟
くらい海を超えて
もう一度 世界に素足で降り立ってみよう

世界と和解した夜


(中村純詩集 『海の家族』 より)






もう一篇


白桃


滴り落ちる うすももいろのしずくを
君の小さな唇に ひとさじ
私の乳しか口にしたことがない君は
うぅー と喜びの声をあげて
次のひとさじを願って
貪欲に小さな唇をあげる
桃のひとしずくを こんなにも大切に
だれかの口に運んだことなど なかった
乳の匂いのする君の やわらかな頬を
黄金色の夕暮れが 誇らしく照らしている




ひと言

人を想うとき、海の中で小さな卵を抱いているのに似ていると思う。海の中で深く包み込まれるようにして卵は育つ。卵が壊れないよう、卵に純度の高い栄養だけが行くように、海は大切に卵を抱える。海は大きく豊かで決して壊れない。卵はやがて充分に育ち、ゆっくりと孵る。

これほど納得して、感動して、私の奥ふかくに存在していた根源的なものと直結するような詩集に出会ったことはなかった。想うとはこういうことだ、愛するとはこういうことだ、育むとは体で抱え込んでいつくしむことだ、私そのものなんだと、この詩集を読みながら、しちめんどうくさい理屈はすべてどこかへ飛んでしまった。

けれど、母性だけでこの詩集を読むことはできない。詩集の最後に収められた「子どもに聞かせる物語」は、作者の生い立ちが複雑で悲しい始まりであったことを語っている。故郷の田畑も取り上げられ、強制的に連れて来られた日本の地で、母国語をしゃべることを禁じられ、偏見と差別の中で懸命に生き抜いた祖父母のこと、その娘である作者の母親の癒しようのない傷、そして母親と作者との深くて暗い関係。

過去の歴史が暗く悲しくつらいものであればあるほど、新しく生まれてきたいのちは無垢で新鮮で輝くような未来に溢れている。生まれてきた子どもは自分の全存在をかけても守り抜かなければならないほどかけがえのない存在であり、それはまた暗い過去を癒す大きな糸口になっている。この詩集はその対比が際立っていて、美しい。




中村 純 (なかむら じゅん)

1970年 東京生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、編集者を経て、教員になる。
2004年 詩集 『草の家』 (土曜美術社出版販売)出版。
2005年 同詩集で横浜詩人会賞受賞。
2005年 詩と思想新人賞受賞。
日本詩人クラブ会員、横浜詩人会会員。
(『海の家族』 よりコピー抜粋)
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by hannah5 | 2009-09-21 23:41 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

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