私の好きな詩・言葉(140) 「不在の息子」 (永井ますみ)   


不在の息子


息子は、「じゃあ」と言っただけで普段のスニーカーのまま出て行ってしまった。私は「どこへ」と言いそうになったけど、堪えた。「おかんはいつも、どこへってばっかり、オレを監視するんか」と鋭い視線が帰ってくるだけと分かっていたから。

「いっつもゲームばっかり。なんぼぅなんでも、あれじゃあ、あかんやろ」と、弟が言うので任せてしまったけれど、弟の船に乗って今頃は、海に網を降ろしているだろうか。ゲームのキーしか押したことのない華奢な手が、網から跳ねる魚を外しているのだろうか。

日差しに弱い息子のアトピーをかばって、なんでも代わってやったのが悪かったのだ。「おかん、やっといて」で済ます息子の姿が時に好ましく、時にうとましい。体力の逆転をみると、今頃後悔しても、もう遅いけど。

「黙って入って来んな」という罵声を聞かずに、部屋へスルッと入った。何日も留守をしている息子の、部屋の雨戸を開ける。意外に片づいたベッドの廻り。うすくたまりはじめた埃。部屋の真ん中に丸いクッション。まるでへしゃげかけた風船みたいだ。

窓の向こう、海の方から光が差し込んでくる。微かな波の音がする。息子は光も見ず、風の音も聴かず雨戸を閉ざしたまま、この丸いクッションに、いつでも、いつまでも倒れこんでいたのだろうか。

風船のクッションにそっと頭を載せる。そして背中を載せて横たわる。ザワザワザワと耳元にビーズ玉のこすれる音、おだやかな暖かみが、背中から押し寄せてくる。窓から入る、葉裏をすり抜けた風。

息子はどこへ行ってしまったのだろう。

(「新現代詩」9号所収)






ひと言

新現代詩9号をパラパラめくっていて、永井ますみさんの詩に目が留まった。難しい実験的な現代詩ではないけれど、読んでいるうちに母親と息子の関係における痛みみたいなものを感じて読み入った。

私にも弟がいるので、母親と息子の関係は母親と娘のそれとはかなり違うことを知っている。母親にとって娘は同士だったり分身だったりするが(私の場合は私は母の“分身”だそうだ。なるべく親とは離れた対等な関係でいたいと思っていた私は、“分身”と聞いて、へ、これじゃ取り込まれたも同然だと辟易したのを覚えている)、息子はどうも母親の恋人的存在になるらしい。

「黙って入って来んな」なんてマザコン息子の甘えだよと思いながら、「なんでも代わって」やりたい母親の心情もわかる気がする。

兵士が戦場で死ぬ間際に思い出す人は母親だそうである。日本の男性のほとんどはマザコンだと友人は言っていたが、どうも世界中の男性はあまねくマザコンだという気がする。

永井ますみ(ながいますみ)さんのHP: 川の街から
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by hannah5 | 2010-02-19 19:15 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

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