私の好きな詩・言葉(146) 「贈りもの(古いアルバムからの)」 (朝吹 亮二)   


贈りもの (古いアルバムからの)


       草原の斜めに傾いた風が
       まばらな樹々と石と岩とところどころの
       土のうえに夕陽をおいてはどけてゆく
       二人をかこんでいる
       風が
       東から吹いてくる少しばかり潮と鳥の
       匂いをさせながら
       二人の手と手に見えない花輪をかけてゆく
                   一九七八年一月二十八日

古い日付をもつ紙片が
風にめくられて(頁がとぶように)
失われる

朝、上着の水滴をはらいながら
雨あがりのひとけない坂道をのぼってゆく

ツツジの緑の小径をぬけると
黒い塀の一軒家があって
おはようございます
ガラスペンをください
竹の軸、さもなければ
木の軸があります
まっすぐのペン尖、さもなければ
蕪菁のペン尖があります
(ぷっくりとふくらんだ蕪菁のペン尖)
失われた紙片のかわりにゆっくりと文字を
書いてみたいのです

さんと出会ったのも雨あがりだった(だろうか)
洋書の紙とインクがすこし黴くさく匂っていた
ほそい鉛筆のようだったさん
それからしばらくして私たちは再会した
渡仏するまでの蜜のような
濃密な

そして私は眠っていたようだ
ジンチョウゲの
悩ましいかおり、さまざまな草の
いきれ

でなしだから
脚や腕をおおきくふって歩いてゆく
風がふくたびに
水滴まみれになる
ねえ、さん
いつからいっしょにいるんだい
さみしい蛇崩の坂道

蕪菁のペン尖をつけた木軸に光が射しこんで
ダヴィンチが壁の剥げた漆喰に貴婦人を透視したように
その杢のひとつひとつの屈折に
私の夢のかけらがあらわれては消えてゆく
泡杢のつがって泳ぐウヲの黄金
鳥瞰図方の
アヲ
孔雀杢の微風と愛撫にたふたふ揺蕩ふ黒髪
虎杢の(といっても焔のようにすこしずつ乱れる)
うしろから抱く臀
玉杢の
瑠璃も玻璃もいのちの泡も
沸騰する
射干


そして私は眠っていたようだ
鬢からいいかおりのするお嬢さん、こちらは黄楊、さもなければ
櫻、さもなければ楓、欅、黒柿
やわらかい木は持つとなじみがいいですし
かたい木はつかえばつかうほどあじわいがでます
アブラ紙につつまれた
慎重にえらんだ木軸とガラスの蕪菁のかすかに蒼い
ペン尖をだいじに握って
水滴をはらい
またはらいながら
私は帰り道をいそいだのだ、いつの日にか
私はゆっくりと文字を書くだろう
古い紙片のように
その文字もまた
風にめくられて(頁がとぶように)
失われる

ねえ、さん、雨はもうとうにあがったね
緑は
あざやかだけれど、スズメやヒバリも鳴きはじめているけれど
(まがまがしい蛇崩のまがり道)
どうしてもこの空洞から抜けでることができないよ

死にたくなるような朝
まばゆいばかりの

(朝吹亮二詩集 『まばゆいばかりの』 より)






ひと言

言葉の美しさと強さと、詩の言葉特有の幻想とそれにもかかわらず立ち現れる濃密な現実感と。詩が小説やエッセイと違うのは、まさしく言葉そのものがもつあらゆる想像力を同時に呼び起こす変幻自在なエネルギーと存在感なのだと思う。そこには現実の世界があり、しかしそれは実際の現実の世界では成り立たない詩独特の営みの世界である。また言葉の迷路に踏み迷わせない誘導力があって、どれほど自由に作品の中を歩き回ってきても、最終的にはもと来た場所へ帰してくれる優しさがある。

朝吹亮二さんの詩集を初めて読んだ。句読点のない長い散文詩が多いが、どの作品も言葉の美しさを縦横に湛えて圧巻である。真っ白な表紙の上方右肩に、タイトルと作者の名前が小さく控えめに置かれているのが美しい。



朝吹 亮二(あさぶき りょうじ)

1952年生まれ、東京都出身。
フランス文学者、詩人。
詩集に「終焉と王国」「Opus」(1987年藤村記念歴程賞受賞、1988年三島由紀夫賞候補)「密室論」「明るい箱」「現代詩文庫朝吹亮二詩集」。
叔母に仏文学者の朝吹登水子とシャンソン歌手の石井好子、親族にノーベル化学賞の野依良治、娘に芥川賞作家の朝吹真理子がいる。
(Wikipedia 「朝吹亮二」より参照)
[PR]

by hannah5 | 2011-02-21 19:53 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

<< 『きことわ』 日本現代詩歌文学館 >>