日本の詩を読む IV   


7月8日(金)は「日本の詩を読む」シリーズIVの講義でした。3回目のこの日は「1970年代の詩人たち」、読んだ詩人たちは粕谷栄市(「水仙」「「世界の構造」」「悪霊」)、辻征夫(「春の問題」「落日-対話篇」)でした。(6月24日は野村さんがベネズエラの詩祭に参加されるということで、休講になりました。詩祭の様子は野村さんのブログpoesieに掲載されています。)

この2人の中で、どちらかというと粕谷栄市の作品に惹かれました。R. ブリュット(outsider art)に関心を寄せているという粕谷栄市の作品は、野村さんの言葉を引用させていただくと、「真に孤高の詩人・・・みずから生み出したところの、独特のリズムと統治をもつ散文詩型を唯一の形式として遵守し、そこに反世界ともいうべき幻想的な生のリアリティーを盛り込みつづける」(『戦後名詩選II』、「粕谷栄市」)ということになるのでしょうが、実際に読んだ作品の印象は美しく妖しく危うく、一度踏み込んだら最後、正常な状態では2度と戻って来られない世界が描かれているように思いました。青白い空気、他者不在、正常の仮面をつけた狂気-「水仙」を読んだ印象です。


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水仙


 私以外には、誰も知らない。遥かに、夥しい水仙の咲くところを、私は知っている。無数の水仙が、常に咲き乱れる、恐怖のようなところだ。
 湿原と呼ぶのであろう。暗く、寒く、絶えて人々はやって来ない。しかし、花々は、限りなく闇を彩る。微風が吹くと、絶叫のような美しさが、一齊に翻る。
 僅かに、偽りの暗示のように、白い月と断崖のみが、うっすらと見えるのだ。
 或いは、生まれる以前、私は、そこに立っていたのかも知れぬ。私の肉体は無能だったが、同じものを、何度か、私はどこかで見た記憶がある。病気のような高熱のなかで、私の知る全ての都市の窓に、そして、全ての人人の顔に、私は、それが映っていたと思うのだ。
 全ての葉は、天を指し、目を瞑ると、どの水仙も、私より巨大である。死と快楽が、同時に、ひとつの月であり、不安と歓喜が、同時に、一本の縄である事実を、そこにいると、私は感じるのだ。
 その煌く露のようなものを、妻にだけ、私は、秘かに教えた。睡っている彼女を抱いて、私は、そこに行く。そこでは、私も妻も、そのまま水仙で、永遠に、無名の夜に所属できるのだ。
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by hannah5 | 2011-07-11 13:40 | 詩のイベント | Comments(0)

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