日本の詩を読む IV   


8月5日(金)は「日本の詩を読む」シリーズIVの最終回の講義でした。最終回に取り上げたのは2000年代(ゼロ年代)の詩人たちで、数多ある詩人の中で和合亮一さんの「世界」(『誕生』(2002年))、小笠原鳥類さんの「(私は絵を描いていただけだ。/船に遠隔操作の時間差爆弾を仕掛けていたのではない)」(『素晴らしい海岸 生物の観察』(2004年))、文月悠光さんの「落下水」(『適切な世界の適切ならざる私』(2009年))の3作品が取り上げられました。

1990年代から2000年代に入り、作品の質がかなり違ってきたようです。それは単に作者たちの意識が1990年代とは違ってきたというより、時代そのものが1990年代とは違う呼吸をしていて、たとえば実質のない言葉が羅列されていたり、言語のシンタックスが破壊され狂気のさまを演じていたり、書く対象が外界ではなくひたすら「私」という個の世界に向かっていること等、2000年代に入ってからの社会の空気をことごとく反映しています。

現在活躍中の、しかもまだ発展途上にある詩人たちの作品に対して、同時代に生きている受講者たちからは賛否両論、絶対的な好意と辛らつな批判が入り混じって発言され、現代詩手帖などでは恐らく書かれないであろう正直なコメントが述べられて、かなり面白く楽しめた授業になりました。


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世界

                和合亮一

どう譬えれば良いのか 折れ曲がる針金の先をさらに折り曲げてゆくかのように
静かに軋む自転車と あなたが音を立てずに通り過ぎてゆくかのように
雨雲の影が緑色になってゆくかのように 世界は独り言を止めた

海は墜落した 山は叫び声をあげた 電信柱は無意味になり倒れていった
鳥は少しも考えない 視力のない森で 水色に染まってしまい
魚は少しも考えない 視力のない川で 土色に染まってしまい
少年は優しい考えを止めようとはしない 空想の空の下の巨大な波柱

はじめの一行をどのように記すべきなのか それから先は本当に
幸福な世界が渦巻いている 青々とした便箋に表情はない それを一枚ずつ
無駄にしていくうちに 世界中の子供たち同士の約束は鳥になる
熱心な子羊たち 読むべきことは頭の中に既に置かれている

少年は裸足で封筒を買いに出掛けたまま 生まれてから一度も帰って来ないまま
遠い草原の一枚の葉が裏返った瞬間 私の弟となり消えてしまった 風の強い夜
自分の横顔に手を合わせていると 世界は永遠の黙礼の準備をし始める
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by hannah5 | 2011-08-06 18:24 | 詩のイベント | Comments(0)

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