私の好きな詩・言葉(25) 「のちのおもひに」   

熱狂的に読み始めたわけではない。さまよい始めた人生で詩人に出会った。詩人は聡明さと繊細さをたたえて流れるように編んだ詩を残していた。次第に惹かれていった詩人を訪ねて信濃追分を旅した。詩人の詩を何度もノートに書き写し、詩人の言葉を模倣しながら詩を書いた。

東大の裏に立原道造記念館がある。そこへ行くとさまよいながら模索していた人生を思い出す。若くして夭折した詩人、立原道造の詩をご紹介します。(立原道造記念館ホームページ


のちのおもひに


夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへった午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠ってゐた
──そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた・・・・・

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまったときには

夢は 眞冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう


(詩集『萱草に寄す』より)




ゆふすげびと


かなしみではなかった日のながれる雲の下に
僕はあなたの口にする言葉をおぼえた、
それはひとつの花の名であった
それは黄いろの淡いあはい花だった、

僕はなんにも知ってはゐなかった
なにかを知りたく うっとりしてゐた、
そしてときどき思ふのだが 一體なにを
だれを待ってゐるのだらうかと。

昨日の風は鳴ってゐた、林を透いた青空に
かうばしい さびしい光のまんなかに
あの叢に咲いてゐた、さうしてけふもその花は

思ひなしだか 悔ゐのやうに──。
しかし僕は老いすぎた 若い身空で
あなたを悔ゐなく去らせたほどに!


立原道造(1914―1939)

1914(大 3)  0 7月30日、東京市日本橋区橘町に生まれる。

1934(昭 9) 20 東京帝国大学工学部建築学科入学。夏、初めて軽井沢を訪問し、
           以後毎夏信濃追分に滞在。室生犀星、萩原朔太郎を識る。
           
1937(昭12) 23 卒業設計「浅間山麓に位する芸術家コロニイの建築群」を提出。卒
           業後石本建築事務所に入社。「豊田氏山荘」を設計。詩集『ゆふすげびと
           の歌』を制作。詩集『萱草に寄す』『曉と夕の詩』を出版。

1938(昭13) 24 春頃から水戸部アサイと愛し合うようになる。
           夏、肺尖カタルのため休職し、信濃追分に転地療養。冬、長崎に
           滞在中喀血し、帰京後東京市立療養所に入所。

1939(昭14)  第1回中原中也賞受賞。3月29日、病状急変し永眠。享年24歳。
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by hannah5 | 2005-01-23 12:29 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(4)

Commented by _kyo_kyo at 2005-01-23 20:43
大学時代、彼を熱愛した先輩の意向で、サークルの先輩達と立原道造のサナトリウムまで旅行した思い出が蘇ります^^

最近、何故か彼の詩を読み返す機会が度々ですが、
丸山薫の実のお姉さん(大学の古い方の購買部に住み付いてましたw)
に会った記憶も、同時に鮮明に蘇る懐かしい思い出です。
Commented by satsuki_ok at 2005-01-23 21:34
いい詩ですね。
ご紹介、ありがとうございます(^^)
ほんとうに煉られた詩は、とても清々しいイメージになるんですね。
なんとなく、そんなことを想いました。
どことなく、hannahさんの原点を見た感じがします、うん。

Commented by hannah5 at 2005-01-23 23:39
*kyo_kyoさん、それはいい思い出ですね。
特定の詩人を好きになると、その詩人が出入りした場所へ
いろいろと行ってみたくなるのもファンの習性です。
行ってみてもどうっていうこともないんですけどね。
立原道造記念館ができてから、道造を読もうと思う人がふえたかもしれません。
Commented by hannah5 at 2005-01-23 23:42
*satsukiさん、うん、たしかに私の原点かもしれませんね。
今でも真似して書いた道造の文の癖が、少し私の詩に残ってますからね。
高村光太郎と立原道造はとてつもなく私に影響を与えた詩人達です。

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