日本の詩を読む VII   


日本の詩を読むシリーズ第7回目が始まりました(於淑徳大学池袋サテライトキャンパス)。講師は野村喜和夫さん、今回は萩原朔太郎と西脇順三郎の二人に焦点を当てて読んでいきます。(1回目の4月9日の講義は二人の紹介でしたが、私は欠席しました。)第2回目の昨日は萩原朔太郎の『月に吠える』から「竹とその哀傷」を、西脇順三郎の 『Ambarvalia』 から「ギリシャ的抒情詩」を読みました。そして、最後に野村さん自身の作品から、朔太郎の「竹とその哀傷」をベースにして書かれた「カオカオカオ アレンジ萩原朔太郎」と西脇順三郎の「雨」をパロディにして書かれた「(雨)」を読みました。

私は若い時、詩に惹かれて詩作の真似事をしていた時期がありましたが、朔太郎にしろ中也にしろどこか病的で暗く、現実離れした知的エリートを気取る詩人ばかりという印象があって、詩とはそういうものである限り、私には詩を書くための題材はないと思い、ある時から詩が書けなくなってしまいました。しかし、今から10年ほど前、ある偶然から詩を再発見し、詩を書いていこうと決めた時から朔太郎のような陰鬱な詩も読めるようになり、作品としての価値も客観的に評価できるようになりました。というわけで、今回の講義はとても楽しみにしていました。最後まで興味の尽きない講義になりそうです。


【講義】

第1回  4月9日
第2回  4月23日
第3回  5月7日
第4回  5月21日
第5回  6月4日
第6回  6月18日
        7.00 p.m. - 8.30 p.m.


                                 *****


カオカオカオ  アレンジ萩原朔太郎

                  野村喜和夫


荒れさびれた郊外、
病院の窓という窓は割れ、
幽霊船のよう、
私も病んで、
歩いている、カメラ抱え、
ほかにすることもないし、
生きるとは、
地面を歩いて、地面に歩かされて、
母よ、あなたは地面か、
青竹の根のあいだから、
あなたは光り出す、すると鏡か
うっすらと泥、
鼠の巣、巣にからむ無数の髪の毛、
萌えそめの、萌えそめの、
なんだろう、近づくと、
顔があらわれ、ぞっとして私、
草のようにびらびらし、
母よ、災厄でしかない生誕へ、
むくんだ顔、打ちしがれた顔があらわれ、
ぞっとして私、カメラ抱え、
病んで、顔が何かつぶやいている、
主ヨ、私ハ近ヅイテイマス、
馬鹿な、でも耳鳴りが混じって、
よく聞こえない、
生きるとは、私の顔、カメラ、
何が写っている、半ば泥に覆われ、
毛に覆われ、生きるとは、
なお痙攣が、繊い虫となって、
虫のオメガの青白いささめきとなって、
そこから逃れ出る、
カオカオカオ、
カオカオカオ、


(現代詩手帖 2011年10月号「特集萩原朔太郎2011」掲載)
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by hannah5 | 2012-04-24 19:16 | 詩のイベント | Comments(0)

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