日本の詩を読む VIII その5   


1月7日(月)は「日本の詩を読む」VIIIの5回目の講義でした。今回は宮沢賢治の文語詩と晩年病臥に冒された時に書いた「疾中詩篇」を中心に講義が行われました。

賢治は短歌、定型詩、文語詩を出発点とし、後に口語自由詩へと移行し、晩年には和歌を中心とした文語詩へ戻りました。この変遷の経緯は萩原朔太郎にも共通しており、短歌、定型詩、文語詩から出発した朔太郎はやがて『月に吠える』や『青猫』に代表される口語自由詩を書くようになり、晩年は漢語を中心とした文語詩へ戻りました(『氷島』)。賢治の場合は『春と修羅』が口語自由詩の代表作であり、晩年は文語詩の詩集ではなく、文語詩群(1928年以降)が残されています。しかし、朔太郎と賢治の決定的な違いは、朔太郎が詩のジャンルが異なる度にその都度自分と向き合ったのに対し、賢治の場合は一貫した賢治ならではのテーマがあり、それが次々とジャンルを越えていったと言えます。

今回読んだ作品は文語詩の「流氷(ザエ)」、「早春」、疾中詩篇の「眼にて云ふ」「〔丁丁丁丁丁〕」でした。どの作品も賢治らしさの薄い作品ではないでしょうか。

次回は最後の講義、中原中也を読みます。




流氷(ザエ)


はんのきの高き梢(うれ)より、   きらゝかに氷華をおとし、
汽車はいまやゝにたゆたひ、 北上のあしたをわたる。

見はるかす段丘の雪、    なめらかに川はうねりて、
天青石(アヅライト)まぎらふ水は、    百千の流氷(ザエ)を載せたり。

あゝきみがまなざしの涯、  うら青く天盤は澄み、
もろともにあらんと云ひし、 そのまちのけぶりは遠き。

南はも大野のはてに     ひとひらの吹雪わたりつ、
日は白くみなそこに燃え、  うららかに氷はすべる。





眼にて云ふ


だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
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by hannah5 | 2013-01-08 23:51 | 詩のイベント | Comments(0)

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