日本の詩を読む IX その6   


8月5日(月)は「日本の詩を読むIX」の6回目の講義でした。5回目から始まった「現代詩の最前線」についての講義は、野村喜和夫さんの『現代詩作マニュアル』の「詩学キーワード」を参考にしながら、隠喩と換喩について行われました。講義内容の詳細は省くとして、印象に残った言葉を列記しておきます。

隠喩は詩的であり言語原理、換喩は散文的であり世界原理、隣接性をもつ、アリストテレス「隠喩を作り出すには才能が必要である」、堀口大學訳『月下の一群』、後近代(ポストモダン)、近代、想起→パロデイ→模作(パステイシュ)へのグラデーション、相互(間)テクスト性、換骨奪胎。

読んだ詩は野村さんの「(そして豚小屋)」でした。(この詩は斎藤茂吉の「死にたまふ母」のパロデイだそうです。)


(そして豚小屋)


私は豚小屋が
ひとはひと星は星にうんざりして
いま異様に飴のように伸びてくる闇その闇かも

私は豚小屋が
その闇のなかをぽつぽつと光の染みさながらに
回帰する豚よあわれ

母の病んだ松果体の下の
私は豚小屋が
その永劫の梁から洩れる闇に溺れている叫び

私は豚小屋が
その叫びをなおも聴き取ろうとするとき
私より五倍も私なるべし

母の病んだ松果体の下の
私は豚小屋が
その永劫の梁に陽が糞尿のように激しく降る

あるいは糞尿が陽のように
私は豚小屋が
湯気を立てて笑う沈黙の土豊かならしむ

たがいに内に曲がり外に曲がり
たがいに促され誘惑されまたゆるやかに拘束され
私は豚小屋が

私は豚小屋が
眩暈とは全体が中心となることである
と知りコナラの葉むらひるがえるうつつ

毎日が眩暈だその縁から泡のように吹きこぼれて
私は豚小屋が
惑乱の私のかけらをさがす変かしら

私は豚小屋が
おお板々しい隙間から燃える頭蓋骨が見える
鹿色のオオスミハルカが流れ込んでくる

おお板々しい眠りの暑い壁
みつめているとぷつぷつと穴があき
私は豚小屋が

私は豚小屋が
なおも穴があき這い出てくる喃語の虫よ
私はやや肌に粟粒を生じをり

私は豚小屋が
死に給いゆく母よ私を嚥下せよ嚥下せよ
そうして二度ともう私をひりだすな

二度ともう私をひりだすな母よ
私は豚小屋が
このむずがゆい身熱にすぎぬこのかたまりを

私は豚小屋が
いくつかの顔を浮かべてもみなまぼろし
その下から溶けた若い娘のような飢餓よあわれ

永遠が馬のかたちをして走り去ってゆくとき
私は豚小屋が
回帰してくるのは豚だいつも豚だ

私は豚小屋が
運んでいる不穏な筋肉隠れている
よい孤独わるい孤独朽ちかけの朽ちかけの

私は豚小屋が
ぬかるんでいる通路をどのように豚小屋へ
接続されるのかを知らず冬の夕ぐれ

私は豚小屋が
この地上わけもなくコンビニに火をつけたくなり
筋肉がひかり豚小屋がうごめく
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by hannah5 | 2013-08-08 15:51 | 詩のイベント | Comments(0)

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