日本の詩を読む IX その9   


9月30日(月)は「日本の詩を読むIX」の最終講義でした。今回は前回に引き続き、ゼロ年代の詩人3人の作品が取り上げられました。ゼロ年代の詩人の中でも特にこの3人の作品は受講生たちにとって異次元のような感覚の作品だったようです。わからない部分も多い中、所々わかる部分もあるという人もあって、これまでの講義の中でももっとも白熱した意見交換がなされました。いつだったか新井豊美さんが、自分たちの時代はそれなりに先輩詩人たちの伝統を受け継いで書いたが、今の若い詩人たちはこれまでの詩の伝統を踏襲しないというようなことを言われたことがあります。新井さんはそれが良いとも悪いとも言われませんでしたが、反伝統的、反歴史的な詩の先にあるのはどういう詩なのだろうかと思いました。

読んだのは中尾太一さんの「a viaduct」と「星の家から」(どちらも長いので最初の2頁)、岸田将幸さんの「序(無方位な散骨が・・・・・)」と「歩く太陽黒点への手紙」(やはり最初の2頁のみ)、小笠原鳥類さんの「(私は絵を描いていただけだ。/船に遠隔操作の時間差爆弾を仕掛けていたのではない)」です。ここでは中尾太一さんの作品を引用しておきます。(岸田将幸さんと小笠原鳥類さんの作品はルビが多用してあって、特に小笠原さんの作品には言葉の読みではない長いルビが振ってあります。ここに作品を引用するとルビはすべて括弧内に入ってしまい作品ではなくなってしまうので、ここでは2人の作品は題名だけを挙げておきます。)


a viaduct

     中尾太一


(この浜辺で時間と風と、かけっこしたら、どっちがはやいかしら
(そのあいだを銀色の鹿が駆け抜けて、きっと彼が一番さ
(時間は風に、脚をとられるのね、風は途中で、角度を変えるのね
(銀色の鹿はそれから「光る町」になるさ

今日は鳥が見えないが、犬が川を流れている、へい、命を返してくれ返してくれ
それはボブ・ディランのなんていう曲だったろう、僕は柱になって倒れていた
それから何処までも転がっていった、柱の中には二人の子供が身体を寄せ合っている
そいつらも激しい雨を感じて泣いている、やすらかに眠っていてくれ
生まれたところから遠くに来た、生まれたところは火事になった、僕は転がっていくから
それらは小さな炎に見えて、その小さな炎は僕の子供の怒れる二つの性器になった
やすらかにずっと目を閉じていてくれ、ここはなんていう名前の町なんだい
ああこの町は僕がずっとむかし飼っていた犬のにおいがする
鳥が低く飛んでいたから僕は著しく目を悪くした、寿命星が見えなくなって、見えるのはきれいな空だった
雪が降ってきてそのうち視界は真っ白な花でいっぱいになった
金色の農耕に、雨のように述語が降る、主語は外灯の下であったかく光った君の顔だ
僕はこんなに愛していたのに、ぐるぐると転がっていくんだ

遠くへ蒲萄を収穫しに、そう聞いて、季節から季節へ、すごい雨の中だ
あいかわらず天国にふら下がっている多くの脈を数えていく、夜だった
シチューの幻を見た、古い文献によるとそれはバターと塩と、ぼろぼろの野菜で作られている
その周りで家族は幽霊の顔をして僕と同じ夢を見ている
二人の乳飲み子がもう僕を宿していたから、僕も変わるんだろう
震える夜にいつからかそんなことを考えるようになった
震えはじめたのは最近のことだ
暗闇が怖くないと感じたとき、いつから怖くなくなったのか、そんな覚えが一向にない、だからまた震えはじめたんだ
生まれ変わるとも、思いはじめた、男か女に
でもそのあいだを転がり抜けていく僕は二人の乳飲み子を抱えてあいかわらず天国の、震える蒲萄を摘んでいる
僕の靴のサイズは26センチメートルだから、ぴったりの靴を探している
26センチメートルのハイウェイだ、そして転がっている、夢を見ている

あたたかい町並みを走って、暗い住まいに入った
だからといって夜通し咳いている二人の乳飲み子が死んだらいいと思っているわけじゃない
(以下省略)
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by hannah5 | 2013-10-05 18:53 | 詩のイベント | Comments(0)

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