日本の詩を読む X 「日本の訳詩集を読む その5」   



「われわれにとって現代文が一番意味のある訣は、われわれが生存の手段として生命を懸けてをり、又それを生しも滅しもする程の関聯を持つてゐる言葉は、現代語以外にはない。だからわれわれが生命を以てうちかゝつてゆく詩語は、現代語であるわけなのである。これは単なる論理ではない。われわれの事実であり、われわれの生命である。」(折口信夫「詩語としての日本語」序文)


12月2日(月)は「日本の訳詩集を読む」の5回目の講義でした。今回は折口信夫の詩論「詩語としての日本語」を読みました。

一見難解な詩論ですが、繰り返して読んでみると、西洋の象徴詩の翻訳に始まった日本語の特異性と功罪、和語や日常語とは違う日本語の創造と構築など、詩としての日本語の孕む問題や可能性が浮かび上がってきます。1950年に発表されたこの詩論は、引用された詩人たちやその作品等、古い感じは否めませんが、その問題提起は日本の詩、殊に現代詩に通じるものがあり、今詩を書いている私たちにも十分参考になるものだと思います。

高校生の頃だったか、大学生になっていたか、そのあたりは記憶が曖昧ですが、若い頃日本文学より翻訳物ばかり読んでいた時期がありました。日本の文学書にはないあの一種独特な雰囲気は、外国への憧れと相まって、翻訳調の日本語に強く惹かれたのです。後年、実際に外国に出てみると翻訳を通して感じた外国はそこにはなく、翻訳文と原語(私の場合は英語)との落差にある種の失望感というか、憧れていたものが剥離していくのを感じました。その時初めて翻訳の功罪のようなものを感じたのです。

翻訳されなければ知る事もなかった外国の詩は、その背景にある思想や哲学等、日本の詩人のみならず、日本人の物の考え方や感じ方に与えた影響ははからずも大であったと思います。

折口信夫の詩論の講義は、次回も続きます。
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by hannah5 | 2013-12-09 17:34 | 詩のイベント | Comments(0)

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