日本の詩を読む X 「日本の訳詩集を読む その6」   


12月16日(月)は「日本の訳詩集を読む」の6回目の講義でした。前回に引き続き、折口信夫の「詩語としての日本語」(後半)を読みました。

「われわれの詩が、当然未来を対象とせなければならない所に、重点を置いて考へれば、詩に於ては、未来語の開拓発見を疎にしてはならない。古典派である私なども、現在語ばかりを以てする詩の稽古もするが、時としてさうして出来た作物が、まるで裸虫である様な気がする事がある。おそらく多くの場合、現実の観察や批評に過ぎなくて、それにつゞく未来を、その文体から展き出さうとしてゐない点に、詩の喪失があるのであろう。私の話は、詩語としての古語を肯定した。然しこれは、最近までの歴史上の事実の肯定に過ぎない。そしてつづいて、詩に於ける現在語並びにその文体を悲観して来た。併しこれは、未来語発想と言ふことを土台として考へる時、もつと意義を持って来る。単なる現代語は、現代の生活を構成するに適してゐる、と言ふ様な理論に満足出来ぬのである。未来語の出て来る土台として現在語を考へるのである。未来詩語、未来文体はどうして現れて来るか。…(中略)…..詩の原語の持つている国境性を、完全に理会させながら、原詩の意義を会得する事を以て我われは足るとしなければならぬ。……(中略)……上田敏さんの技術は感服に堪へぬが、文学を翻訳して、文学を生み出した所に問題がある。われわれは外国詩を理会するための翻訳は別として、今の場合日本の詩の新しい発想法を発見するために、新しい文体を築く手段として、さうした完全な翻訳文の多くを得て、それらの模型によつて、多くの詩を作り、その結果新しい詩を築いて行くと言ふことを考えてゐるのである。」(折口信夫「詩語としての日本語」

折口信夫は「翻訳詩が新しい未来語を開拓する」と言っています。もちろんすぐれた翻訳詩の価値や必然性は今更言うまでもありません。しかし、どうして未来語を開拓するのに翻訳詩でなければならないのでしょうか。新しい詩語は日本語の中から構築されないのでしょうか。


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今年の講義はこれで終わりです。次回は1月6日からで、ベンヤミンの詩論を読みます。
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by hannah5 | 2013-12-20 23:32 | 詩のイベント | Comments(0)

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