私の好きな詩・言葉(156)「死のフーガ」(パウル・ツェラン)   


死のフーガ


あけがたの黒いミルク僕らはそれを夕方に飲む
僕らはそれを昼に朝に飲む僕らはそれを夜中に飲む
僕らは飲むそしてまた飲む
僕らは宙に掘るそこなら寝るのに狭くない
一人の男が家に住むその男は蛇どもをもてあそぶその男は書く
その男は暗くなるとドイツに書く君の金色の髪のマルガレーテ
彼はそう書くそして家の前に歩み出るすると星がまた星が輝いている
  彼は口笛を吹いて自分の犬どもを呼び寄せる
彼は口笛を吹いて自分のユダヤ人どもを呼び出す地面に墓を掘らせる
彼は僕らに命令する奏でろさあダンスの曲だ

あけがたの黒いミルク僕らはお前を夜中に飲む
僕らはお前を朝に昼に飲む僕らはお前を夕方に飲む
僕らは飲むそしてまた飲む
一人の男が家に住む蛇どもをもてあそぶその男は書く
その男は暗くなるとドイツに書く君の金色の髪のマルガレーテ
君の灰色の髪ズラミート僕らは宙に墓を掘るそこなら寝るのに狭くない

男はどなるもっと深くシャベルを掘れこっちの奴らそっちの奴ら
  歌え伴奏しろ
男はベルトの拳銃をつかむそれを振りまわす男の眼は青い
もっと深くシャベルを入れろこっちの奴らそっちの奴らっもっと奏でろ
  ダンスの曲だ

あけがたの黒いミルク僕らはお前を夜中に飲む
僕らはお前を昼に朝に飲む僕らはお前を夕方に飲む
僕らは飲むそしてまた飲む
一人の男が家に住む君の金色の髪のマルガレーテ
君の灰色の髪ズラミート男は蛇どもをもてあそぶ

彼はどなるもっと甘美に死を奏でろ死はドイツから来た名手
彼はどなるもっと暗鬱にヴァイオリンを奏でろそうしたらお前らは
  煙となって空に立ち昇る
そうしたらお前らは雲の中に墓を持てるそこなら寝るのに狭くない

あけがたの黒いミルク僕らはお前を夜中に飲む
僕らはお前を昼に飲む死はドイツから来た名手
僕らはお前を夕方に朝に飲む僕らは飲むそしてまた飲む
死はドイツから来た名手彼の眼は青い
彼は鉛の弾丸(たま)を君に命中させる彼は君に狙いたがわず命中させる
一人の男が家に住む君の金色の髪マルガレーテ
彼は自分の犬を僕らにけしかける彼は僕らに空中の墓を贈る
彼は蛇どもをもてあそぶそして夢想にふける死はドイツから来た名手
君の金色の髪マルガレーテ
君の灰色の髪ズラミート

(飯吉光夫編・訳 『パウル・ツェラン詩文集』 より)





ひと言

少し長くなるが、訳者の飯吉光夫氏の解説を引用する。
「ツェランの詩の代表のようにいわれている詩である(ドイツのギムナジウムの教科書にも載っている)。強制収容所の詩という前提をつけた方が分かりが早く、その上でなら詩の意味もすぐ理解できよう。「僕ら」というのは、強制収容所(ツェランが収容されていたのは実際は強制収容所ではなく、それよりは軽度の労働収容所ではあるが)にとらえられている囚人たち。彼らの日々単調な労働生活が効果ある反復のリズムとなって読む者の胸に促々と迫ってくる。囚人たちは理不尽な仕打ちを受けているために、その精神的結果である矛盾した言いかたが処々に現われている(「黒いミルク」、「君の金色の髪マルガレーテ」――ドイツ人にとっての――と「君の灰色の髪ズラミート」――ユダヤ人にとっての――との並置など)。蛇をもてあそぶ男は、ナチの将校である、彼は同時に故郷の恋人にあてて手紙を書く、――こうしたシーンは、ひところピアノを弾くナチ将校のイメージでわれわれの間にも定着したことがある。甘美さと残酷さの同居。しかし、このような相反するトーンの混在はわれわれの日常生活の中ではむしろ普通である。アウシュヴィッツの将校がピアノを弾いてもかまわないし、アウシュヴィッツのような残虐事のあとで詩人が詩を書いても、それは人間社会の平常時で不都合ではない。この意味で「アウシュヴィッツのあとに詩を書くのは野蛮だ」というアドルノの定言は当たっていない。したがって、ツェランのこの詩のそれとは別の「甘美さ」に関する批判、つまり、ツェランは残酷なはずの強制収容所内の状況を甘美に歌うという誤りを冒した、というようなこの詩の発表当時(1950年代)の一批評家の批判もまた、いわれなきものだろう。」

何度読んでも私の中から立ち去らない詩。この詩だけではない。ツェランの詩文集の詩はどれもそうだ。ツェランの詩の印象が生々しいままでいる折りに、『ハンナ・アーレント』を観た。岩波ホールで久しぶりにチケットが完売になった映画で、岩波ホールで観ることができなかった私は新宿の映画館へ行ったが、ここでもどの回も満席で、なんとかレイトショーのチケットを手にすることができたのは数日前のことだった。

ご存じの方もいると思うが、ハンナ・アーレントはユダヤ人でハイデッガーの弟子、政治哲学者で、強制収容所にも送り込まれた経験をもつ。ナチのSS将校だったアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、「ザ・ニューヨーカー」にそのレポートを書いた人である。アイヒマンはヒトラーの命令に従っただけのごく普通の人間であり、最後まで罪の意識をもたなかったとして、彼を「罪の凡庸さ」と称した。この記事によってハンナ・アーレントは友人たちから絶縁され、大学教授の座も追われることになる。ハンナ・アーレントは亡くなるまで、「悪」について考え続けたという。

私の友人や知人にもユダヤ人が何人かいる。彼らはそれぞれの国籍を持っていて、ふだんはユダヤ人であることを話題にもしないが、何かあると必ず自分はユダヤ人だと言う。

今回のひと言はまとまりがないが、このまま終わりにする。



パウル・ツェラン(Paul Celan)

1920年、旧ルーマニア領、現ウクライナ共和国のチェルノヴィツでユダヤ人の両親のもとに生まれる。
ドイツ語を母国語として育つ。第二次世界大戦が勃発、ドイツ・ルーマニア連合軍によりチェルノヴィツが占領されると、両親がナチスの強制収容所に連行され、父は病死(または射殺)、母は殺害される。ツェランは強制労働収容所で肉体労働に従事。44年、チェルノヴィツに帰還後、収容所などで書いてきた詩をまとめ始める。45年、ブカレストに移り、翻訳者・編集者生活を送りながら、新聞に詩編を発表。47年、ウィーンに移り、48年から亡くなるまでパリで生活する。ソルボンヌ大学でドイツ文学と言語学を学ぶ。同年、最初の詩集 『骨壺からの砂』 を上梓するも、誤植が多く回収。50年、第一詩集 『罌粟(けし)と記憶』 を刊行。以後、8冊の詩集を刊行。版画家ジゼル・レストランジュと結婚。55年、フランス国籍を得る。58年、ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞。60年、ゲオルク・ビューヒナー賞を受賞、受賞講演「子午線」を行う。61年頃から重い精神病を患い、70年4月、セーヌ川に投身自殺。( 『パウル・ツェラン詩文集』 よりコピー抜粋)
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by hannah5 | 2014-01-07 17:50 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

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