日本の詩を読む XI 「金子光晴の詩の世界 その4」   


金子光晴の詩の世界の4回目の講義が6月30日に行われました。今回は「寂しさの歌」を中心に、戦争への抵抗詩人としての側面を見ました。また「寂しさ」に関連して、西脇順三郎の「旅人かへらず」から、西脇の淋しさとも比較しました。金子光晴も西脇順三郎も積極的に戦争協力をしなかった人たちですが、多くの詩人たちが戦争協力へと転向していった中で、孤独から来る寂しさ(金子)/淋しさ(西脇)には共通したものがあったようです。ただし、両者のさびしさはその質がかなり違い、比較はかなり参考になりました。


寂しさの歌

        國家はすべての冷酷な怪物のうち、もつとも冷酷なものとおもはれる。
        それは冷たい顔で欺く。欺瞞は、その口から這ひ出る。
        「我國家は民衆である」と。
                                        ニーチェ・ツアラトウストラはかく語る。

    一

どつからしみ出してくるんだ。この寂しさのやつは。
夕ぐれに咲き出たやうな、あの女の肌からか。
あのおもざしからか。うしろ影からか。

絲のやうにほそぼそしたこゝろからか。
そのこゝろをいざなふ
いかにもはかなげな風物からか。

月光。ほのかな障子明りからか。
ほね立つた疊を走る枯葉からか。

その寂しさは、僕らのせすぢに這ひこみ、
しつ氣や、かびのやうにしらないまに、
心をくさらせ、膚にしみ出してくる。

金でうられ、金でかはれる女の寂しさだ。
がつがつしたそだちの
みなしごの寂しさだ。

それがみすぎだとおもつてるやつの、
おのれをもたない、形代(かたしろ)だけがゆれうごいてゐる寂しさだ。
もとより人は土器(かはらけ)だ、といふ。

十粒ばかりの洗米をのせた皿。
鼠よもぎのあひだに
捨てられた缺皿。

寂しさは、そのへんから立ちのぼる。
「無」にかへる生の傍らから、
うらばかりよむ習ひの
さぐりあふこゝろとこゝろから。

ふるぼけて黄ろくなつたものから、褪せゆくものから、
たとへば、氣むづかしい姑めいた家憲から、
すこしづつ、すこしづつ、
寂しさは目に見えずひろがる。
襖や壁の
雨もりのやうに。
涙じみのやうに。

寂しさは、目をしばしばやらせる落葉焚くけぶり。
ひそひそと流れる水のながれ。
らくばくとしてゆく季節のうつりかはり、枝のさゆらぎ
石の言葉、老けゆく草の穂。すぎゆくすべてだ。

しらかれた萱管の
丈なす群をおし倒して、
寂しさは旅立つ。
つめたい落日の
鰯雲。

寂しさは、今夜の宿をもとめて、
とぼとぼとあるく。

夜もすがら山鳴りをきゝつつ、
ひとり、肘を枕にして、
地酒の徳利をふる音に、ふと、
別れてきた子の泣聲をきく。

    二

寂しさに蔽はれたこの國土の、ふかい霧のなかから、
僕はうまれた。

山のいたゞき、峽間を消し、
湖のうへにとぶ霧が
五十年の僕のこしかたと、
ゆく末とをとざしてゐる。

あとから、あとから湧きあがり、閉す雲煙とともに、
この國では、
さびしさ丈けがいつも新鮮だ。

この寂しさのなかから人生のほろ甘さをしがみとり、
それをよりどころにして僕らは詩を書いたものだ。

この寂しさのはてに僕らがながめる。桔梗紫苑。
こぼれかかる露もろとも、しだれかかり、手をるがまゝな女たち。
あきらめのはてに咲く日蔭草。

口紅にのこるにがさ、粉黛のやつれ。――その寂しさの奥に僕はきく。
衰へはやい女の宿命のくらさから、きこえてくる常念佛を。
…..鼻紙に包んだ一にぎりの黒髪。――その髪でつないだ太い毛づな。
この寂しさをふしづけた「吉原筏。」

この寂しさを象眼した百目砲(づつ)。

東も西も海で圍まれて、這ひ出すすきもないこの國の人たちは、自らをとぢこめ、
この國こそまづ朝日のさす國と、信じこんだ。

爪楊子をけづるやうに、細々と良心をとがらせて、
しなやかな假名文字につゞるもののあはれ。寂しさに千度洗はれて、
目もあざやかな歌枕。

象潟(きさかた)や鳰(にほ)の海。
羽箒でゑがいた
志賀のさゞなみ。

鳥海、羽黒の
雲につき入る峯々、

錫杖のあとに湧出た奇瑞の湯。

遠山がすみ、山ざくら、蒔繪螺鈿の秋の蟲づくし。
この國にみだれ咲く花の友禪もやう。
うつくしいものは惜しむひまなくうつりゆくと、詠歎をこめて、
いまになほ、自然の寂しさを、詩に小説に書きつゞる人人。
ほんたうに君の言ふとほり、寂しさこそこの國土着の悲しい宿命で、寂しさより他なにものこさない無一物。

だが、寂しさの後は貧困。水田から、うかばれない百姓ぐらしのながい傳統から
無知とあきらめと、卑屈から寂しさはひろがるのだ。

あゝ、しかし、僕の寂しさは、
こんな國に僕がうまれあはせたことだ。
この國で育ち、友を作り、
朝は味噌汁にふきのたう、
夕食は、筍のさんせうあへの
はげた塗前に坐ることだ。

そして、やがて老、祖先からうけたこの寂寥を、
子らにゆづり、
樒(しきみ)の葉のかげに、眠りにゆくこと。


そして僕が死んだあと、五年、十年、百年と、
永恆の末の末までも寂しがつゞき、
地のそこ、海のまはり、列島のはてからはてかけて、
十重に二十重に雲霧をこめ、
たちまち、しぐれ、たちまち、はれ、
うつろひやすいときのまの雲の岐れに、
いつもみづみづしい山や水の傷心をおもふとき、
僕は、茫然とする。僕の力はなえしぼむ。

僕はその寂しさを、決して、この國のふるめかしい風物のなかからひろひ出したのではない。
洋服をきて、巻きたばこをふかし、西洋の思想を口にする人達のなかにもそつくり同じやうにながめるのだ。
よりあひの席でも喫茶店でも、友と話してゐるときでも斷髪の小娘とをどりながらでも、
あの寂しさが人人のからだから濕氣のやうに大きくしみだし、人人のうしろに影をひき、
さら、さら、さらさらと音を立て、あたりにひろがり、あたりにこめて、永恆から永恆へ、ながれはしるのをきいた。

    三

かつてあの寂しさを輕蔑し、毛嫌ひしながらも僕は、わが身の一部としてひそかに執着してゐた。
潮夾節を。うらぶれたながしの水調子を。
廓うらのそばあんどんと、しつぽくの湯氣を。

立廻り、ゐなか役者の狂信徒に似た吊上った眼つき。

萬人が戻つてくる茶漬の味、風流。神信心。
どの家にもある糞壺のにほひをつけた人たちが、僕のまはりをゆきかうてゐる。
その人達にとつて、どうせ僕も一人なのだが。

僕の坐るむかうの椅子で、珈琲を前に、
僕のよんでる同じ夕刊をその人たちもよむ。
小學校では、おなじ字を敎はった。僕らは互ひに日本人だつたので、
日本人であるより幸はないと敎へられた。
(それは結構なことだ。が、少々僕らは正直すぎる。)

僕らのうへに同じやうに、萬世一系の天皇がいます。

あゝ、なにからなにまで、いやになるほどこまごまと、僕らは互ひに似てゐることか。
膚のいろから、眼つきから、人情から、潔癖から、
僕らの命がお互ひに僕らのものでない空無からも、なんと大きな寂しさがふきあげ、天までふきなびいてゐることか。

    四

遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戰爭をもつてきたんだ。
君達のせゐぢやない。僕のせゐでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。

寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあつて、旗のなびく方へ、
母や妻をふりすててまで出發したのだ。
かざり職人も、洗濯屋も、手代たちも、學生も、
風にそよぐ民くさになつて。

誰も彼も、區別はない。死ねばいゝと敎へられたのだ。

ちんぴらで、小心で、好人物な人人は、「天皇」の名で、目先まつくらになつて、腕白のやうによろこびさわいで出ていつた。

だが、銃後ではびくびくもので
あすの白羽の箭を怖れ、
懐疑と不安をむりにおしのけ、
どうせ助からぬ、せめて今日一日を、
ふるまひ酒で醉つてすごさうとする。
エゴイズムと、愛情の淺さ。
黙々として忍び、乞食のやうに、
つながつて配給をまつ女たち。
日に日にかなしげになつてゆく人人の表情から
國をかたむけた民族の運命の
これほどさしせまつた、ふかい寂しさを僕はまだ、生れてからみたことはなかつたのだ。
しかし、もうどうでもいゝ。僕にとつて、そんな寂しさなんか、今は何でもない。

僕、僕がいま、ほんたうに寂しがつてゐる寂しさは、
この零落の方向とは反對に、
ひとりふみとゞまつて、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といつしよに歩いてゐるたつた一人の意欲も僕のまはりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。
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by hannah5 | 2014-07-04 22:56 | 詩のイベント | Comments(0)

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