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私の好きな詩・言葉(159)「アンデス高原に置き忘れたリュック」(細野 豊)   


アンデス高原に置き忘れたリュック


アンデス高原地帯にある
標高三、八一五米の湖畔を走り抜けて
希薄な空気の中を長距離バスはラパス市へ向かっている

黄泉の国から来たので
車内は薄明るく湖からの潮の匂いを孕み
男の乗客は異国からの闖入者であるおれだけで
黒い山高帽を被った*アイマラの女たちが
影絵のように みんな赤子をひとりずつ
背負って座っている

ターミナルに着くころ しらじらと夜が明け
燃焼したガソリンの芳香が鼻をくすぐる

ボリビアのラパス市に地下鉄はないはずなのに
おれは駅前広場を通り抜けて乗り場へ急ぐ
―メキシコシティと混同しているな―
それでもここはラパスの町なのだ

町外れの切り立った崖の縁にある
平屋の建物はカフェテリアで
ここでも赤子を背負ったアイマラの女たちが
俯いて朝食を食べている
誰もひとこともしゃべらない

(情景はモノクロの映画のようで
崖下を見下ろすと身が竦む)

おれも席に着きリュックを下ろしてコカ茶を飲み
だんだん気持ちが落ち着いていく
居眠りしたかと思う間もなく
日本のわが家の布団の中で目が覚め
あのカフェテリアにリュックを置き忘れたことに気づく

あの中にはパスポートや財布ばかりでなく
ただ一度かぎりの大切な記憶も入っているのだ
取りに引き返そうとするが
どうしても地下鉄の入口が分からず途方に暮れている

* アイマラ=ボリビア、ペルーなどに住む先住民族で、ケチュアと並ぶ二大民族のひとつ。11世紀頃ころケチュアの支配下に入り、居住地域はインカ帝国領となったが、その後スペイン人に征服されてからも独自の文化を守りつづけている。人口約三百万人。

(細野豊詩集 『女乗りの自転車と黒い診察鞄』 より)







ひと言

読んだ時はそれほど何かを思ったわけではないのに、しばらく後になってから記憶の底にじんわりと残って消えない詩がある。私の場合、旅の詩が殊にそうだ。ここしばらくさまざまな事情から旅をしていないが、学生の頃から一人で旅をするのが好きで、国内はもとより外国の地をよく彷徨ったものだ。一人で旅をしていると、いろいろな人や物に出遭う。その出遭いは危険すれすれのこともあるし、素敵な出遭いであることもあるし、どちらにしてもふだんの生活の何倍もの濃度で生身の私に迫ってくる。一人の旅は、もちろん孤独だ。でも、その孤独さが切なさと相俟って忘れることのできない思い出を残していく。

アンデス高原に私は行ったことはない。でも、細野豊さんの「アンデス高原に置き忘れたリュック」を読んでいて、まだ見たことのないアンデスの風景が実際に行って見てきたようにありありと迫ってきて、その感覚は私が一人で歩き回った街の風景の中で感じる孤独と切なさを思い出させるのに充分だった。



細野 豊(ほその ゆたか)

1936年 横浜生れ
日本未来派、ERA同人
詩集 『悲しみの尽きるところから』 (1933)、『花狩人』 (1996)、『薄笑いの仮面』 (2002)、『DIOSES EN REBELDÍA(反逆の神々)』 (1999)
共編訳詩集 『現代メキシコ詩集』 (2004)、『ロルカと二七年世代の詩人たち』 (2007) (日本詩人クラブ詩界賞)
訳詩集 ペドロ・シモセ詩集 『ぼくは書きたいのに、出てくるのは泡ばかり』 (2012)
(詩集著者略歴よりコピー抜粋)

by hannah5 | 2014-07-28 01:46 | 私の好きな詩・言葉

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