私の好きな詩・言葉(163)   



   Saturday, December 05, 2009


朧げな灯台は
薬指のような影を靡かせながら

乳香 没薬 黄金を
しなやかなアスパラガスに捧げる

掠れた時間が
傾いだ蜉蝣の瀧からあふれ

谺の微睡みのなかで
麦藁帽子は燃え尽きる

血の細波は キクロプスを幾度も訪れ
夕闇を伝って 守宮の舌が ひとしずく眠りに落ちる

《軽飛行機のコンパスは
 王女の隠れ家を 精確に探り当てた》

ここから先の国々には 台(うてな)がありません
足を踏み入れる方々 くれぐれもご注意を

線からはじめたものが いつの間にか赤い束になった
時間が働いたのだ ひとえに時間だ

食卓には 蝸牛の脳神経と ラディッシュのサラダ
加えて上質の微笑みを少々

羊皮紙一面にびっしりと書き込まれた水の魔法
余白に 書きかけの ちいさな王子様のお話

いいことがある時は いつも鐘が鳴った
ほら あそこの丘の上

(野村 龍詩集 『Stock Book』 より)







もう一篇



   Sunday, January 13, 2008


気紛れな若葉が
おもむろにピアノを弾きはじめる

傷ひとつない 綺麗な脚を
細波がたちまちに濡らす

無造作に髪を掻き上げると
彼方に寺院の回廊が浮かびあがる

潮風は次第に弱くなり
鮮やかな百合の香りが豊かに立ち籠める

母の好きな花はカトレアだった

棺を閉じる時
いっぱいに詰めた

静かに 耳が開く

僧侶達の 透きとおった経文が
何を讃えているのか
耳のなかで幾重にも重なり合う

この世の果てには どんな花が咲いているのだろう

母に もう一度会えるなら
そのことについて 訊いてみたいものだ

(『Stock Book』より)



ひと言

野村龍さんの新しい詩集 『Stock Book』 から2篇、他にも好きな詩はたくさんあったが、もっとも印象深く私の中へ落ちてきた作品2篇をここに置く。龍さんの詩を読んでいると、「カラヴァッジオ(Caravaggio)」(デレック・ジャーマン監督)や「コックと泥棒、その妻と愛人(The Cook, the Theif, the Wife, and Her Lover)」(ピーター・グリーナウェイ監督)など、映画の内容はともかく、美しくて重厚な絵画のような世界が彷彿とされる。恐らく詩のベースになっているのは現実の世界で起ったことやそこに存在するものだろうが、それらは詩の中核を成していない。「実存からの訴えはただ極点的な詩の言葉のふるまいに凝集あるいは昇華して、あとには何の痕跡もとどめないのである。これを美しいといわずして何といおうか。そこに生じているのは、〈作者の死〉がもたらす作品の自立=自律、あるいはその逆、作品の自立=自律がもたらす〈作者の死〉、というような言い古された事態だけではない。より深遠な、詩人と死のあいだでとり交わされる約束のうち、あたかも野村龍だけに与えることが許された、ほとんど恩寵のようなもの、秘蹟のようなもの。」(野村喜和夫「二重の美しさ――野村龍詩集 『Stock Book』 について」)

家族や職場との齟齬、自身が抱えるさまざまな問題からくる苦しみなど、詩人を孤独、それもかなりの孤独の中に陥れる要素に囲まれて詩人は生きている。にもかかわらず、それらは詩にとって重要な命題ではない。詩が生の上を覆っていて、そこに光が溢れている。そこには生きる意味と遊び心と未来から降りてくる言葉たちの確かさがある。今、巷では言葉が溢れている。しかし、詩には、散文やエッセイや論文などの言葉ではなく、詩の言葉でしか書けない世界がある。

読むたびに少しずつ開かれていった言葉たち。詩とはこういうものだと、初めて教えてもらった気がする。



野村 龍(のむら りょう)

1967年、東京生まれ。
埼玉大学卒業。
1995年、ユリイカ新鋭詩人に選ばれる。
詩集: 『みみねこぺたるの不完全な前奏曲』 (2000、七月堂)、『perpetual β』 (2006、七月堂)
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by hannah5 | 2014-10-27 16:56 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

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