私の好きな詩・言葉(164)
2015年 01月 10日
琴爪橋
貨物列車がコンテナを載せず通り過ぎて
風だけが残った
踏切が上がると
どくたみの花の茂みがひっそりと明るく揺れている
我が家の庭も
春から雑草摘みをしてきたのに
まっすぐ茎を伸ばした十字の白い花で埋まっている
強めの匂いがあっても
空気を清らかにする力があると聞いて
頂き物の祝祭日には部屋いっぱいに花を飾る
煎じてお茶にすれば毒気も洗い流せると
部屋の模様替えは郷愁がして
無花果を買いに行く
熟さない知恵の木の実は摘まず
棕櫚の葉を避けて
退色した空の橋 踏み外さないよう
気をつけて渡る
樹々の爪弾きが行き止まりの木戸を開けてくれた
苔路に
置き去りにした
雑草を抜き取るように
別れ話をしたひとの背中は
ひっそりと明るくその花が揺れている
(宗田とも子詩集 『時を運ぶ折り舟のように』 より)
もう一篇
陽だまり
桜餅のかおりがする
湿った落ち葉がうずくまったままだ
その昔
子どもがまだ小学校に上がったばかりの頃
おやつを食べ終えると不意に尋ねてきた
「わたしの へその緒 見せて」
確かに退院した時に小箱を渡された
どこかにしまったはず
でもそれってあなたのものなの
わたしのものなの
切り離されて
音が出ないホイッスル
そしてあなたは幹を駆け巡る星の子になった
わたしは母という建築を始め
希薄な屋根を葺くと
空だけが見えるはめ殺しの窓を作っただけ
故郷の星からあなたの迎えは来ず
しかたがないので細い黄昏をわたしの胸に差し込んで
フェードアウトしていく外に向かって窓を叩いている
ひと言
宗田とも子さんの詩集 『時を運ぶ折り舟のように』 に魅かれた。詩集をいただくと簡単な感想を添えてお礼のはがきをお送りすることにしている。でも、宗田さんの詩集はなんとなくここにひと言書かせていただきたいと思った。
覚書きの中で宗田さんは、温かい詩に魅かれていると書かれている。詩を書くことは「立ち止まり両手を広げて光と風を受けていることでもありました」とも。しかし、この詩集はその思いから少し遠いように思った。詩集全体から感じるのは光と風を受けて立っているような明るさでは決してなく、言ってみれば淡いグレーがそこはかとなく漂っている。しかし、それは決してマイナスの要素ではない。この詩集の魅力は、現実の中で行き止まりになってしまい、どこにも出口を見いだせない哀しみではないだろうか。日常の中の小さな齟齬、手からこぼれていく光、それらが気づかないうちに細かい塵のようにたまって重なっている。しかし、日常の生活とは恐らく「光と風を受けて」立とうとすることなのかもしれない。そうでなければ、生活を営むことなどできない。秀逸な詩集。稲川方人さんの装丁もよい。
宗田とも子(むねた ともこ)
横浜詩人会会員
詩誌「じゅげむ」同人
詩集 『バランス』 (書肆山田)
by hannah5 | 2015-01-10 19:12 | 私の好きな詩・言葉