日本の詩を読む XII 第5回 ~西脇順三郎へのアプローチ~   


西脇順三郎の最終講義が2月23日に行われました。(前回の講義「頂点-『失われた時を読む』は仕事が忙しくなり、欠席しました。)最終講義は「西脇順三郎から現代詩へ」をテーマに、西脇の晩年のテーマである永遠性や西脇の人脈、モダニズムを経て荒地派として戦後の詩壇を席巻していったことなどを中心に講義が進められました。西脇は初め画家になりたかったそうですが、2002年に世田谷文学館で開催された西脇順三郎展の図録『没後二十年 西脇順三郎』には西脇の絵が多く収められており、教室ではこの図録が回覧され、非常に興味深く拝見しました。講義で読んだ作品は「茄子」、『失われた時』 から 「I」、そして野村喜和夫さんが西脇の詩をアレンジされたという「超越と永遠-アレンジ西脇順三郎」と「(雨)」でした。

次回の「日本の詩を読む」は4月20日から、石原吉郎を読む予定です。


茄子

   西脇順三郎


私の道は九月の正午
紫の畑につきた
人間の生涯は
茄子のふくらみに写っている
すべての変化は
茄子から茄子へ移るだけだ
空間も時間もすべて
茄子の上に白く写るだけだ
アポロンよ
ネムノキよ
人糞よ
われわれの神話は
茄子の皮の上を
横切る神々の
笑いだ



超越と永遠
――アレンジ西脇順三郎

   野村喜和夫

タイフーンを翼の右に
よけて飛び
夏の終わりのソウルに来た
漢字や平仮名やハングルの詩人たちの
集まりがあり超越とは何か
永遠とは何か
について私も何か話さなければ
ならなくなりふうわり
とした昨夜のマッコリがまだ舌にのこる
その舌で超越について永遠について
ふだんあまり考えたことないし
うまく話せるかしら
とある大学の階段教室
みなさんこんにちは外では
蝉が鳴いていますね
そうだ蝉だととっさに思いついて
永遠ではなくいま
超越ではなくここ
のことしか私には考えられません
おおウィト元シュ太イン
も永遠を考えていて「永遠を
時間的な永続としてではなく
無時間制と解するならば
現在に生きる者は永遠に生きるので
ある」と考えたのだ
野原のうちに野原の限界は
あらわれないように
あるいは夏の
静かな森のなかを
あなたは歩いていますおお
話せるではないかあまりにも
静かなので蝉の鳴き声さえ岩に染み
入っていくかのようです
それ芭蕉ですね
韓国でも芭蕉は有名ですから
そうですかありがとうつづけます
超越とはどんどん岩に染み入っていく
その蝉の声ではないでしょうか
永遠とは染み入って
染み入って
岩とひとつになりなおどんどん
岩の核心へと岩石の淋しさへと迫ってゆく
その蝉の声ではないでしょうか
いまが濃くなってここが濃くなって
そうです紫のひょうたん
であるところの茄子の紺
のように空間も時間も
茄子の上に白く写るだけだ
それ誰ですか西脇です西脇順三郎
の茄子の紺のようにいまが濃くここが濃く
なっていくことなのだ
永遠とは超越とは
それから風がハンノキの梢を
渡っていった陽が大学の壁を
黄に染めたそこに人が
針金のようにバラモン
の匂いのする鉛筆のように細く
たたずんだ
あすはもう秋だ
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by hannah5 | 2015-02-26 01:36 | 詩のイベント | Comments(0)

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