日本の詩を読む XIII 第1回 ~ 石原吉郎を読む   


野村喜和夫さんが講義される日本の詩を読むシリーズが始まりました。このシリーズ8回目の今回は石原吉郎を読んでいきます。スケジュールは以下の通りです。

第1回  4/20  石原吉郎へのアプローチ(1)「葬式列車」
第2回  5/18  石原吉郎へのアプローチ(2)「位置」「足利」
第3回  6/1   石原吉郎と存在 「脱走」「位置」「事実」
第4回  6/15  石原吉郎と原語 「酒がのみたい夜」「自転車に乗るクラリモンド」
第5回  6/22  石原吉郎とパウル・ツェラン 「花であること」「死」
第6回  6/29  石原吉郎と現代詩 「夜の招待」「馬と暴動」「伝説」
第7回  7/13  石原吉郎と私たち 「耳鳴りのうた」「フェルナンデス」


*****


4月20日は詩「葬式列車」の他に、散文「ペシミストの勇気について」と「ある<共生>の経験から」をそれぞれ少しずつ読みました。

石原吉郎はスパイ容疑で8年間にわたってシベリアの強制収容所に抑留されました。上記の散文は強制収容所での生活の様子を細部にわたって綴ったものですが、当時は書き留めることなどできなかったはずであることを思うと、今も現在進行形で経験しているかのように書かれた文章は強制収容所での経験が記憶からまったく薄れておらず、それどころか癒されずにうじうじと痛む傷口を舐めながら書いたような印象があります。依頼を受けて書いた文章は酒を飲まずには書くことができなかったそうですが、思い出しながら書くことでかえって精神的に追い詰められ、最後にほとんど自死に近い形で亡くなったそうです。

時代が危うい方向へ向かっている今、石原吉郎を読むことは意義のあることかもしれません。



葬式列車


なんという駅を出発して来たのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中のふしぎな国を
汽車ははしりつづけている
駅に着くごとに かならず
赤いランプが窓をのぞき
よごれた義足やぼろ靴といっしょに
まっ黒なかたまりが
投げこまれる
そいつはみんな生きており
汽車が走っているときでも
みんなずっと生きているのだが
それでいて汽車のなかは
どこでも屍臭がたちこめている
そこにはたしかに俺もいる
誰でも半分はもう亡霊になって
もたれあったり
からだをすりよせたりしながら
まだすこしずつは
飲んだり食ったりしているが
もう尻のあたりがすきとおって
消えかけている奴さえいる
ああそこにはたしかに俺もいる
うらめしげに窓によりかかりながら
ときどきどっちかが
くさった林檎をかじり出す
俺だの 俺の亡霊だの
俺たちはそうしてしょっちゅう
自分の亡霊とかさなりあったり
はなれたりしながら
やりきれない遠い未来に
汽車が着くのを待っている
誰が機関者にいるのだ
巨きな黒い鉄橋をわたるたびに
どろどろと橋桁が鳴り
たくさんの亡霊がひょっと
食う手をやすめる
思い出そうとしているのだ
なんという駅を出発して来たのかを

( 『サンチョ・パンサの帰郷』 より)




石原 吉郎(いしはら よしろう)

1915年静岡県生れ。東京外語独語科卒業後、応召され、北方情報要員としてハルピンに配属される。1945年ソ連軍に抑留され、シベリアの強制収容所で8年間を送る。帰国後、粕谷栄一らと詩誌「ロシナンテ」を創刊。1964年第一詩集 『サンチョ・パンサの帰郷』 でH氏賞受賞。詩集に 『石原吉郎詩集』 『日常への強制』 『水準原点』 『禮節』 『北條』 『足利』、歌集に 『北鎌倉』 などがある。1977年死去。
( 『続石原吉郎詩集』 よりコピー抜粋)
[PR]

by hannah5 | 2015-04-22 19:33 | 詩のイベント | Comments(0)

<< 昼と夜の間で(光の帝国Ⅱ) ヴェルレーヌの詩によるフランス歌曲集 >>