星くず朗読会   


5月17日(日)、詩人の平岡淳子さんが主催される星くず朗読会に野村喜和夫さんがゲスト出演されました。会場は明大前にあるブックカフェ槐多。店主が村山槐多が好きで、槐多にちなんで名付けたというカフェで、中は20人も入ると一杯になってしまうくらい小さなカフェです。文学関係の蔵書が店内の書庫にぎっしり収められており、また槐多の絵やここでイベントを行った人たちの絵などが展示されていました。

前半は平岡さんが自作詩を朗読されました。平岡さんの詩は日常の生活に題材を取り、人生の中の一瞬の煌めきを簡潔な言葉で掬い上げているものが多いです。野村さんとはまったく違うタイプの詩ですが、こちらもとてもよかったです。

後半は野村さんの朗読で、ご自身のいろいろな詩集から何篇か読まれた後、最後にラベルの「ボレロ」をバックに、「そしてディープフィールド」をまるで即興詩のように朗読されました。即興詩のようにというのは、ボレロに合わせて最初に戻ったり途中で折り返したりと、即興的に詩の中を移動して朗読されたからです。この最後の朗読は非常によかったです。


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朗読する野村喜和夫さん







朗読された詩の中から




追いかけて


   平岡 淳子


またねって
いつも通りに別れたけれど

気になって
父の後姿をずっとみていた

ゆるやかに
歩きはじめる父の足取りが

天国にでも
向かって行くようでわたし

追いかけて
父を連れ戻したくなったの

手を握って
あのお店で珈琲飲もうねと





そしてディープフィールド


   野村喜和夫


なぜ扉が
なぜ開くのだろう

(誰か来ているんだ、たくさんの誰かが、糸かけ星草ほしの光芒を汲んで、あたり一帯に、渇いた叫びの実を撒き散らしているんだ、チリペッパーのように、やがてわたくしの口辺に就き、転じてヘヴン、ダンス場の汚れ、幽霊がそこから翡翠の雨となって降るぞ、分散において陽気な、野の深みよ)

なぜ扉が
なぜ開くのだろう
われわれはただ踊っていただけなのに

(誰か来ているんだ、水を与えられて、宙の苗のようにそよぐ、かんむり星鼓ほしのあたり、転じておだやかに、眼のなかの灰、灰のなかの羽、それらによってわたくしの時の裏が香り高く、なお叩かれている、ヘヴン、血だらけ、ここからしばらくの量だ、硬い名ばかりをちりばめて、野の深みよ)

なぜ扉が
なぜ開くのだろう
われわれはただ踊っていただけなのに
泥の悦びのまま
泥のかなしみのまま
ここがすべてと思い
踊っていただけなのに

(はい、葉が多くなります、皮はり星よりも死なない誰か、気は芽が出るように狂う、まにまに鳥が撒き散らされて、弟からみて、花粉みたい、ヘヴンつまりへヴン、ふらふらする雨の主にも発疹はふくらみ、おいでよ、おいでよ)

なぜ扉が
なぜ開くのだろう
われわれはただ踊っていただけなのに
泥の悦びのまま
泥のかなしみのまま
ここがすべてと思い
踊っていただけなのに
ときに激しく
ときにおどけて
銀河を泳ぐ魚のように
ただ踊っていただけなのに
それなのになぜ扉がなぜ開くのだろう
そんなことをされたら
扉の隙間からまがまがしい赤光が射して
われわれは扉の向こう
扉の向こうを
さながら呼び寄せてしまうことになるではないか

(はい、葉が多くなります、樋かけ星赤ほしの、うつうつつの空隙を調べたら、ほらあそこ、誰か反射してかすかに光る、ヘヴン、日の熱の1,000倍の叫び、びゅんと飛ぶ草の胴のヴィーナス、あしらう錆もろとも、おいでよ、おいでよ)

なぜ扉が
なぜ開くのだろう
われわれはただ踊っていただけなのに
泥の悦びのまま
泥のかなしみのまま
ここがすべてと思い
踊っていただけなのに
ときに激しく
ときにおどけて
銀河を泳ぐ魚のように
ただ踊っていただけなのに
それなのになぜ扉がなぜ開くのだろう
そんなことをされたら
扉の隙間からまがまがしい赤光が射して
われわれは扉の向こう
扉の向こうを
さながら呼び寄せてしまうことになるではないか
そうしてやがて
ああなぜ扉が
なぜいまになって開くのだろう
そんなおののきの声も
押し寄せる扉の向こう
扉の向こうのあらたな洪水のきざしに呑み込まれて
われわれはもう踊れなくなるのにちがいなく
そのときには一体
どうすればよいのだろう
どうすればよいのだろう
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by hannah5 | 2015-05-20 17:26 | 詩のイベント | Comments(0)

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