日本の詩を読む XIII ~石原吉郎を読む(第3回)   


「石原吉郎を読む」の3回目の講義が6月1日に行われました。今回の講義は実存主義と石原吉郎における実存主義などの話を中心に進められました。石原吉郎の詩「条件」、「事実」、「脱走」の他に、現代詩手帖に連載された野村喜和夫さんの「哲学の骨、詩の肉」の「ランボーとil y a と他者と」(一部)、石原吉郎のエッセイ「日常への強制」(一部)も併せて読みました。ハイデガーの実存主義、ハイデガーから影響を受けたというレヴィナスの根本主義、il y a における非人称、ハイデガーの存在と存在者の関係、実詞化などが講義に盛り込まれました。



脱走
  ―― 一九五〇年ザバイカルの徒刑地で


そのとき 銃声がきこえ
日まわりはふりかえって
われらを見た
ふりあげた鈍器の下のような
不敵な静寂のなかで
あまりにも唐突に
世界が深くなったのだ
見たものは 見たといえ
われらがうずくまる
まぎれもないそのあいだから
火のような足あとが南へ奔(はし)り
力つきたところに
すでに他の男が立っている
あざやかな悔恨のような
ザバイカルの八月の砂地
爪先のめりの郷愁は
待伏せたように薙ぎたおされ
沈黙は いきなり
向きあわせた僧院のようだ
われらは一瞬腰を浮かせ
われらは一瞬顔を伏せる
射ちおとされたのはウクライナの夢か
コーカサスの賭か
すでに銃口は地へ向けられ
ただそれだけのことのように
腕をあげて 彼は
時刻を見た
驢馬の死産を見守(まも)る
商人たちの真昼
砂と蟻とをつかみそこねた掌(て)で
われらは その口を
けたたましくおおう
あからさまに問え 手の甲は
踏まれるためにあるのか
黒い踵が 容赦なく
いま踏んで通る
服従せよ
まだらな犬を打ちすえるように
われらは怒りを打ちすえる
われらはいま了解する
そうしてわれらは承認する
われらはきっぱりと服従する
激動のあとのあつい舌を
いまも垂らした銃口の前で。
まあたらしく刈りとられた
不毛の勇気のむこう側
一瞬にしていまはとおい
ウクライナよ
コーカサスよ
ずしりとはだかった長靴(ちょうか)のあいだへ
かがやく無垢の金貨を投げ
われらは いま
その肘をからめあう
ついにおわりのない
服従の鎖のように
  注 ロシヤの囚人は行進にさいして脱走をふせぐために、しばしば五列にスクラムを組まされる。

(石原吉郎詩集 『サンチョ・パンサの帰郷』 より)




石原吉郎(いしはらよしろう)

1915年 静岡県伊豆に生まれる
1938年 東京外語卒
1939年 応召
1945年 ソ連に抑留される
1949年 重労働25年の判決を受ける
1953年 特赦により帰還、帰還直後から詩作を始める
1955年 詩誌「ロシナンテ」創刊
1964年 詩集 『サンチョ・パンサの帰郷』 により第14回H氏賞受賞
詩集 『水準原点』 『禮節』 『北條』 『足利』 『満月をしも』、評論集 『望郷と海』 『海を流れる河』 『断念の海から』、歌集 『北鎌倉』 などがある。
(『石原吉郎詩集』(現代詩文庫)よりコピー抜粋)
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by hannah5 | 2015-06-03 16:58 | 詩のイベント | Comments(0)

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