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私の好きな詩・言葉(165)   


きれいに食べている


宝石を見つけるように、きれいな言葉がひとつ見つかりました。
瓦礫の中から、母親が見つけたのでした。

「毎日新聞のニュースサイトに4月、東日本大震災で亡くなった息子の弁当箱を、かれきの中から発見した両親の記事が掲載された。母親は弁当箱が空なのを確認し、『きれいに食べている』と嗚咽したという。」*

母親は、子どもが持って帰るお弁当箱を洗うとき、開けてみて中身が
「空っぽ」だったら、うれしい。

「あ、ぜんぶ食べてくれてる」という、一つは作り手の嬉しさと
「全部食べて、栄養になってる」きょうも元気に育ってくれているという
親ごころの嬉しさの二つで
からっぽのべんとうばこは、ははおやを幸せにする。

がれきの中から、見つけた弁当箱が、その「空っぽ」が、
いっしゅん普段の「しあわせ」を母親によびもどしてくれたのだと、おもう。
――ちいさな奇跡が、母親の暗い心に、ひかりをまぜた。

「きれいに食べている」ひとつめで、母親は、うれしくて。
「きれいに食べている」ふたつめで、母親は、おえつした。

台所で、いつでもそばにあった、ことば。
お弁当箱を開けるだけで、いつも出てきた、ことば。
「あ、きれいに食べている」

胸の中で、くりかえし、つかった、普段のことば。
瓦礫の中から、弁当箱いっしょに出てきた、わたしのことば。
「きれいに食べている」

責めも、うらみも、悲しみもの、何にもつかまっていない
――何もはいっていない

空っぽの「きれいな弁当箱」が、
まるで、息子の開けてくれた、きれいな気持ちのように、見える。

――「きれいに食べている」

この母親の「きれいな言葉」に、
きれいに食べて、「空っぽの弁当箱」に、
わたしは、今回の震災で、

いちばん、ないて
しまいました。

それは、いっしゅん、陽が射すように、深い悲しみの中に
つかの間、うれしさが、混ざり込んで、くれた

ありがたさから
だったとおもいます。

*引用部分

(宮尾節子詩集 『明日戦争がはじまる』 より)







ひと言

朝日新聞の鷲田清一さんの「折々のことば」で、宮尾節子さんの詩集 『明日戦争がはじまる』 が紹介されていました。宮尾節子さんのことは知らなかったのですが、ずいぶん前からネットでも活躍されていた詩人で、この詩集に収められている「明日戦争がはじまる」はネットでかなり反響を呼び、ツイッターやfacebookで1万件を超えるアクセスがあったそうです(あとがきから)。早速詩集を取り寄せて読んでみましたが、私には東日本大震災を扱った「きれいに食べている」の方がこたえました。

東日本大震災のことを詩に書かれた方もずいぶんいらしたようですが、私にはどうしてもあの惨劇を詩にすることはできませんでした。どの詩を読んでも、どこか嘘くさい。あの惨状の真っただ中にいて、今もその苦しみから逃れられない方たちの心は、どのように書いてみても何か浅いし、どこか違う。そのようにしか感じませんでした。でも、この詩は共感できる。心の奥にしまった痛みを詩にも書くことができるのだと、初めて思わせてもらった詩です。




宮尾 節子(みやお せつこ)

高知県生れ。
1993年、第10回現代詩ラ・メール新人賞受賞。
詩集に 『くじらの日』 (沖積舎1990)、『かぐや姫の開封』 (思潮社1994)、『妖精戦争』 (微風通信2001)、『ドストエフスキーの青空 』(文遊社/影書房2005)、『恋文病』 (部風通信/精巧堂出版2011)。

by hannah5 | 2015-07-11 21:05 | 私の好きな詩・言葉

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