日本の詩を読む XIII ~石原吉郎を読む(第7回)   


7月13日(月)は「石原吉郎を読む」の最終講義でした。今回のテーマは「石原吉郎と私たち」で、戦後石原吉郎がどのように人々に読まれていったかを中心に講義が行われました。読んだ作品は「耳鳴りのうた」と「フェルナンデス」です。「耳鳴りのうた」は石原吉郎自身も気に入っていた作品です。わかりにくい部分はあるものの、私自身もこの作品は好きです。「フェルナンデス」は野村さん自身が読んで涙を流すほど感銘を受けられた作品です。




耳鳴りのうた


おれが忘れて来た男は
たとえば耳鳴りが好きだ
耳鳴りのなかの たとえば
小さな岬が好きだ
火縄のようにいぶる匂いが好きで
空はいつでも その男の
こちら側にある
風のように星がざわめく胸
勲章のようにおれを恥じる男
おれに耳鳴りがはじまるとき
そのとき不意に
その男がはじまる
はるかに麦はその髪へ鳴り
彼は しっかりと
あたりを見まわすのだ
おれが忘れて来た男は
たとえば剥製の驢馬が好きだ
たとえば赤毛のたてがみが好きだ
銅鑼のような落日が好きだ
笞へ背なかをひき会わすように
おれを未来へひき会わす男
おれに耳鳴りがはじまるとき
たぶんはじまるのはその男だが
その男が不意にはじまるとき
さらにはじまる
もうひとりの男がおり
いっせいによみがえる男たちの
血なまぐさい系列の果てで
棒紅のように
やさしく立つ塔がある
おれの耳穴はうたがうがいい
虚妄の耳鳴りのそのむこうで
それでも やさしく
立ちつづける塔を
いまでも しっかりと
信じているのは
おれが忘れて来た
その男なのだ

(詩集 『サンチョ・パンサの帰郷』 所収)





フェルナンデス


フェルナンデスと
呼ぶのはただしい
寺院の壁の しずかな
くぼみをそう名づけた
ひとりの男が壁にもたれ
あたたかなくぼみを
のこして去った
    <フェルナンデス>
しかられたこどもが
目を伏せて立つほどの
しずかなくぼみは
いまもそう呼ばれる
ある日やさしく壁にもたれ
男は口を 閉じて去った
    <フェルナンデス>
しかられたこどもよ
空をめぐり
墓標をめぐり終えたとき
私をそう呼べ
私はそこに立ったのだ

(詩集 『斧の思想』 所収)
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by hannah5 | 2015-07-17 12:02 | 詩のイベント | Comments(0)

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