私の好きな詩・言葉(169)   


小さきものをそっと抱く


「おれは戦場で太郎と花子を育てたよ」突然父はかすれた声でそう言いました。私はその時まだ子どもで、ただ子犬を飼いたいと思っているだけでした。

 初めは遠くからおびえる目で野営地を見ているだけだが、兵隊が乾パンを投げてやると、争うように飛びついてカシカシ食っていた。
 もちろん体は泥だらけさ、時々河にでも入っていたのだろうけど、あとで、体を洗ってやったらシラミだらけ、傷だらけ、可哀そうにずいぶん野生に耐えていたのだろうな、
 家族を国に残した古参の兵隊が何度も声をかけてやった。残飯をそっと隠れて取りに来る。「こわくないぞ」といっても言葉が分からない。
 ある日、小さい方が鉄条網に絡まっていた。解いてやり兵隊の飯食わせたら真黒顔で笑ったよ。それからもう一方も来た。何かもらえると思ったのだろうな。
 若い兵隊が覚えやすい名前を付けてやった。「太郎と花子」呼べば飛んでくるようになった。みんな可愛がったさ。あんなところに小さいものなんかないのだから。
 戦が始まると、あいつら何処かへうまく隠れていた。部隊が移動すると、少し距離を置いて黙黙とついて来る。親なんかいなかったろうな。遊んでやると本当に喜んでいた。二年ぐらいたって、ある時大きな作戦があったのだよ。俺たちはタコツボでドンドン落ちる弾に耐えていた。やられたものもいる。けがにんばかりになっていた。両方が引いて終わった戦だが、厳しかったな、あれは。
 そう、河のそばで見つけた。小さい少年の方、うつ伏せに倒れていた。かおは覚えていない。そっと抱いたが覚える顔がなかったのさ。少女の方は、それからまだ会ってない。
 みんな夜には目を凝らして、ずっとずっと震えながら寝た。もう遠くのものしか見られなくなっていた。

(花潜幸詩集 『初めの頃であれば』 より)







ひと言

詩集は幼い頃に亡くなって記憶に残っていない母親のことと、戦争で受けた心の傷を抱えて生きる年老いた父親のことで始まっている。父親の戦争時代や記憶に残っていない母親といった作者の生前から幼少期にかけての話から、少しずつ時代は現代へと近づき、最終的には大人になった現代の作者やその家族、さらに未来へと作者は目を向けている。そして、いくつかの作品を除き、ほぼどの作品にも子ども―作者自身であったり、他人の子どもであったり―が登場する。詩集は「子ども」を横糸に、「時代の移行」を縦糸にして、それぞれの人生の記憶やそのありようが一つずつ切り取られて描かれ、詩集全体で大きなタペストリーとして編まれている。だから、本当は作品を一つだけ取り出すのはむずかしいのだが、「小さきものをそっと抱く」は他の作品に比べ群を抜いて強烈な印象が残った。本詩集のタイトルともなった作品「初めの頃であれば」は第23回詩と思想新人賞を受賞している。



花潜 幸(はなむぐり ゆき)

1950年 東京生れ
詩集 『薔薇の記憶』 (2011)、『雛の帝国』 (2013)
小詩集「玩具箱」
「馬車」同人
(本詩集よりコピー抜粋)
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by hannah5 | 2015-10-07 21:18 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

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