日本の詩を読む IX ~ 詩的アヴァンギャルドの100年(第4回)   


「詩的アヴァンギャルドの100年」の4回目は、初期の西脇順三郎(イギリス留学から帰国し、第一詩集 『Ambarvalia』 を出版するまで)を中心に講義が行われました。西脇順三郎についてはすでに講義がなされていますが、西脇の教え子たちとの交流や詩論についての著作など、前回よりさらに深く掘り下げられ、西脇の違う側面が見られて興味深いものとなりました。資料として読んだのは 『シュルレアリスム文学論』 の「トリトンの噴水」、『純粋な鶯』 の「純粋な鶯」でした。「トリトンの噴水」は散文詩のような感じで、いかにも西脇らしい文章です。これが出た当時、世間はさぞ驚いたのではないかと思います。「純粋な鶯」は北園克衛の詩集に対する批評ですが、北園克衛に真っ向から切りかかる感じで、今なら恐らく編集者から異論が出るのではないかと思いました。



トリトンの噴水(一部抜粋)

 マダム・サピアンスの晩餐に昨晩招かれてキユプロスの第一日を過した。その朝、船の少年(足の裏に刺を立てた少年に似てゐる)におこされて、みると船は最早や波止場についてから一時間位過ぎてゐたらしい。すぐ近くの岡の上にアテネでは見たこともない樹木が光つてゐた。その影に真白い家がかくされてゐた。この都会は自分が想像してゐたよりもゴムのやうに感じた。急いで祈禱して、蜜をすこしすつて、少年に荷物を負はして、船を下り、角の長い牛が曳く二輪車を雇ってガタガタ動き出した。馭者はプラタノスの葉に包んだ何にかの実を食べて、アマラントスの花のやうなツバをはきながら、頻りと「ネータ・テクネマタ」といつて、元気よく話しかけた。テクネマタといふ神は聞いたことがなかつた。馭者へアテネからもつて来た銀貨を一枚渡した。『これは此処では通用しない』と馭者は云つた。『このテミストクレースの頭を見よ』と私は云つた。 『両替屋のばばあが知つてゐる。』
 何だか女神のやうに私は家へはいつた。グロオコンは二三年のうちにソフオクレースのやうになつてゐた。 『よく』 彼は云つた 『来た。二三ケ月滞在せよ。早速だが今晩サピアンス夫人が晩餐によんでゐるが、お前も是非行け』
 初めは辞退したが遂行つた。食事が済んで女が皆んなの別の室へ行つた後で、電気が消され、蝋燭だけの光りになつた。壁にかゝつてゐるヴィーナスの生誕の画のヴィーナスの足と薔薇を吹いてゐる男の顔が見えるだけであつた。従僕が来てブランデイと葉巻をくれて行つた。グロオコンが来て脇に坐つた。次にポレマルコス及びリキダスといふ青年とカロスといふ大学の教師が来た。是等の人物の壁画と同一の視覚の世界にある琥珀の軽業師の存在の如く見えた。是等の人物は皆喋つた。けれども聞えなかつた。
 サピアンス夫人を初め、もろもろの女がToiletteに行つてゐる間に私は考へた。人間はナタ豆のやうに青くなつた。



純粋な鶯(一部抜粋)

 K君よ、君の出した本を批評することを約束してから長い間だまつてゐたが、実は君にやる言葉はない。君は言葉とか論理が嫌ひだから。しかたがないからsymbolsだけの手紙をかくことにする。無数のsymbolsを送るから君はその間をめぐつて考へてくれ給へ。実は僕は君の本ほど楽に読めるものは少いと思ふ。眼をつぶつてゐるダ鳥といふ小説のやう。葡萄の実が夜になると狐の鼻をなめにくる。これが『エッセイ集』の詩論の出発点である。しかしsymbolsはなにも象徴してゐない。だからsymbolsでない最後のsymbolはまだそれ自身を象徴するね。紫の円錐は君から遠く立つてゐる。
 待遇の記憶は君に非常に関係がある。
 ブルトンのちゞれ毛はpoisson solubleで、君を憂鬱にする筈がない。まるい魚。羅馬の春。コクトオの雨カツパはカトリツクの塔を避けてゐる。こゝに最早近代が終つて、新しいMoyen Ageが最後になつてゐる。脳髄の景色に太陽があたる時に贈物を君はとりかへさなければならない。
 アラビア人の文学を君は知つてるかね。
 アラビア人の音楽を君は知つてゐるかね。
 メタン瓦斯をもやして夢も彼等の象徴にすぎない。何を象徴するか。象徴するものがない時に象徴するものをさがす時に詩が出来る。
 これはとにかく詩の神であるから神の詩である。
 非常に愉快なヨツトだ。
 栗の言葉の指。
 MORTのGeburth。コクトオの生誕は故人のガマグチを空にする。だがペンペン草は海の方に向いて魚をとる。



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by hannah5 | 2016-01-23 06:17 | 詩のイベント | Comments(0)

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