国際現代詩シンポジウム ―「詩と幼年時代」―   


7月1日(金)、「詩と幼年時代」と題して日中の詩人たちによるシンポジウムがありました(於城西大学)。午前中は中国人民大学の教授で魯迅の研究者、高旭東さんの魯迅に関する講演があり、午後は日中の現代詩人たちによる朗読会と座談会がありました。高旭東さんの講演は時間の関係で行けませんでしたが、午後からの朗読会と座談会を聴講しました。

最初に座談会があり、各詩人が自分の幼年時代はどのようなものだったか、それは現在の詩作にどのような影響を与えているか、また自分にとって幼年時代は何を意味しているかなどを述べた後、それに対する応答や感想が各詩人から述べられました。興味深かったのは幼年時代は自分の人生の原風景であるとする意見や、幼年時代は物事をありのままに受けているため、それが現在の創作のもっとも大きな原点になっているという認識を日中両方の詩人たちの多くが共通してもっていることでした。(通訳がひどくて、中国人の詩人たちの言っていることが全部伝わらなかったのはちょっと残念でした。)座談会の後は、各詩人がそれぞれ1篇ずつ自分の詩を朗読しました。参加した詩人は中国から楊克(Yang Ke)、梁暁明(Liang Xiao Ming)、樹才(Shu Cai)、華清(Hua Qing)、从容(Cong Rong)、田原(Tian Yuan)、日本からは宇佐美孝二、竹内新、新延拳、野村喜和夫、三角みづ紀、水田宗子でした。(敬称略)

印象に残った詩を日中それぞれから1篇ずつ。




あまのがわ

   三角みづ紀


わたしには
世界が足りないと
示された午後
錠剤が友達でした
お母さん、
それが毒だと
あなたは何故云えるのか

おいてかれたくないんだ
って
呟いたサカイメのひと
わたしも
って
云えなかったのは
別の船を選択していたから
お母さん、
あなたは
何色の船に乗るのか

お母さん、
あなたが隠した
ヒントはいまでも
島に埋まっている
ことを
知っていますか
あなたの娘は
インクに血液を
忍ばせている
わたしの意志ではない
血がそうさせるのだ

お母さん、
わたしはもう
果ての果てまできてしまって
あなたの織りかけの布だけが
到達しているのだと
おもう

わたしには世界が足りない
世界が足りないことを
産まれながらに知った
わたしには
錠剤が必要で
それが毒だと
手足ができるより先に
知ってはいたのだ





1990年9月15日 (竹内新訳)

   樹才


私には空の庭があるのだから
どうして地上に住まう必要があろう?
9月 それは林檎の木に 熟れ 腐乱して……

季節は瀑布 9月よ!
9月はすべてを暗示してしまっている
だがプロセスを踏まなければならない まだ途中なのだ

何故ならいつか必ず起こることであり 私以前にも
すでに発生していたことだからだ
生は命じている 悲嘆にくれて頭を垂れよと
見よ 私たちは畢竟粘土から成る人間なのだ!

星がもし光を発しないなら 空は安らかだろうか?
私は悲劇の信条のなかでしか
空を祝福することができない

空よ 空 おまえは私を
思う存分に舞い上がらせる
私は この肉体が落下したとしても惜しくはない

魂がもし光を発しないなら 肉体は安らかだろうか?



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by hannah5 | 2016-07-12 20:31 | 詩のイベント | Comments(0)

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