私の好きな詩・言葉(172)   


貝のために


(うすあおと
うすみどりがながれている)

大切なものを手渡してから
ここからはもう出会えなくなったひとが
いつまでもゆられていた
あのちいさな舟のゆくえ
午睡にひらかれた窓からは
宛名のない手紙が幾片も舞い込み
だれもいない画布に影を落としては
なつかしいかたちをつくる
たえまなく身を攫う白い泡の素描
(わたしたちのことばのかたち)
耳飾りに繋留した
透けてゆく水の譜を
ここで鳴らせ、
流れる空の静脈のうえに
いまもアルファルドの椅子が見える
ここからは

(ここからは、ゆうぐれ
ここからは、影)

胡弓するたびに血を流す
輪郭のない
ちいさな熱のゆりかご
ゆれるそのかたわらを
失語した予言者が影の身で横切る
去ってゆく時の速度に
顔をしかめて
立ち止まるものみな
撒き散らされた記憶の修辞に暗み
過ぎてしまうことさえもとおくふりきれば
なだれる空白が撃ち落とす紙の鳥
撃ち落とされてゆくわたしたちの身体

(まどろむ地形をたどり
呼ばれた名を思い出そうとして)

夜明けまえに
消えてゆく寺院
群青の壁に額をあずけて
耳許で翻る誕生の合図は
だれに呼ばれここへきたのか
生きているものたちのかたちに沿い
泣き声は夏のようにゆらめきたつ
このささやかな丘に立ち
見渡すすべてはそこにあるままに
ここからは見えないものとなるだろう
毀れる時のうえを流れるように往き
ふるえながら点描する
たずさえて歩くことも
置き去りにすることもかなわない波の庭

(ここで貝が鳴る、
貝が泣いている)

幾度も
そのときがきて
あなたはこの空の色に消失しつづけるのだと
鳥の目で思った
悲しみだけが深く目覚めている
わたしたちの風景と呼べるものは
夢の浅瀬で青い影を踏んで
閉じたドームの中をさまようばかりだ
描かれた宙の瞼が瞬くたび
あなたのかたちはすべり落ちて
いま
そんなふうにしか
この不在にはたえられない

(目をつむるたび、まなざし
目をひらくたび、遠ざかる)

ゆっくりと
終わってゆく春の座標は
やがて対の曲線を描きはじめる
綴じ合わされたまま
ひらかれることなく
睡りの波形へと静かに押し出されてゆく
(わたしたちのなきがらのようなことば)
もう呼ぶこともない
あの名前だけが
ふいにくちびるの岸によせ
紛れてゆく音の気配に
耳を寄せるひとのせつない仕草を思い出す
(言えることばをさがしていた)
こころをあふれて落ちるものに
遠くでだれかが応えている
ふしぎな和音の光る内部へと
身体は白く暮れてゆき

(たえまなく
耳の奥にこだまするあの声とともに)
ただ、ただ感じている
ここに在るのだということを
もうだれの目にもうつらない
あなたの目の奥にのこる
ひと刷きの濁りによろめきながら
(こうして瞬くことの永さよ)
寒さと眠気が導いてゆく
夜明けまでの宿りへと
いつしか歩きはじめている
むこう岸にあかるい踊り場が見え
焚き火を飛び越えて遊ぶ子どもたちに混じって
わたしの影がそっとうごいていた

(ひとつの空白が奏でられていたここから
はりめぐらされた暗渠はどこへつづくか)

とおざかる
親しいものたちの影が
静かにのどを燃やしてゆく
いまこの瞬間にも
あなたとわたしの見たものが
こうして名付けられてしまうのならば
あなたが暗闇と怖れるものさえ
わたしは見たいと叫ぶだろう
(そしてひとり目をひらくだろう)
伏せられてゆくほの白い瞼を
拾い集めた光で満たす
この指先から
祈りのように落とされるため息で
わたしたちの記憶が息をふきかえすことを
ふりかえる道のどこかで
いつか
(希った
     me
la           to
      n

冷たい潮騒の祝福に
目をあげるとき
睡りの裾を波の綾がぬらし
かたちなく打ち上げられたものが
足裏でちいさな音をたてる
生まれかわるために燃え尽きてゆくここで
いま言葉は光のようにまぶしい
(そうわたしたちは、いつもこの次元に降りた)
光を洗う光に
かならずここで射抜かれてゆく
届くはずのない声に導かれ
わたしたちは
みずからの名を思い出したように転調するだろう
避けようもなく
翳ってゆく祈りの場所
寄りそうことをゆるされて
ぬくもりに盲いてゆく
やがて新しく描きだされるすべてのものに
わたしたちの静かな闇が希われるときまで

(平田詩織詩集 『歌う人』 より)







ひと言

言葉の可能性を深く感じる。当たり前の言葉が次々と降り積もり、やがて見たこともない表現に変わる時、詩の無限の力が溢れ出る。詩を書くとは、どこまでも孤独な作業だ。しかし、その孤独の中に圧倒的な悦びを見い出す。それは魂がふるえる時、すなわち「私」という原点が生成される時でもある。




平田 詩織(ひらた・しおり)
1985年生まれ。第一詩集 『歌う人』 (思潮社、2015年11月)で歴程新鋭賞受賞。「一本の白羽の矢のように私たちの始原を刺し貫いた」と評価された。(2017年11月1日朝日新聞夕刊)



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by hannah5 | 2017-07-24 19:33 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

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