私の好きな詩・言葉(44) 「秋刀魚の歌」   

特別に惹かれた詩ではなかった。ただ、母が何度となく暗唱するのを覚えていた。今回少しばかり佐藤春夫を読んでみて、この詩の陰に恋愛の激しい苦悩と葛藤があることを知った。以下、佐藤春夫の詩集に書かれた大岡信のあとがきを要約する。

佐藤春夫は1917年、谷崎潤一郎と知り合い、日々往来するほどの仲になる。その年、小説の処女作「西班牙(スペイン)犬の家」に感銘した谷崎から手紙をもらい、以後、詩人から散文作家に転じようとしていた佐藤春夫に谷崎が重大な意味をもつようになる。佐藤は後に、「僕は潤一郎あったがために危うく涸渇しかかっていた文学的才能をやっと少しばかり蘇生させ、彼の培養によってともかくも文学的生涯を始めることが出来た」と述懐している。しかし、谷崎夫人をめぐって谷崎との間に深刻な葛藤が生じるようになる。谷崎が千代の妹との恋愛関係を起こし、千代に同情した佐藤が同情から千代に激しい恋心を抱くようになるのである。谷崎は最初、二人が一緒になることを承諾したが、後に考えが変わり、結婚生活をやり直すことにした。佐藤は千代と子供の幸福を考えて身を引き、谷崎と絶交した。しかし、6年後、谷崎と和解。やがて、谷崎夫妻の協議離婚が成立したのを機に、千代と結婚した。当時、世間では「細君譲渡事件」として物議を醸した。

「秋刀魚の歌」は、千代と結婚できると思い、千代とその子と三人で楽しく夕食を取ったことを、一人ぼっちになってしまった佐藤春夫が思い出して詠んだ歌である。人は一生に一度、純愛に出会うのかもしれない。

「秋刀魚の歌」

あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
ー男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま。
そが上に青き蜜柑の酢をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝(なれ)こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証せよ かの一ときの団欒(まどゐ)ゆめに非ずと。

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝へてよ
ー男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま、
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。


(集英社『佐藤春夫集』、 「秋刀魚の歌」より)




佐藤春夫 (1892-1964)

詩人、小説家。

1892(明25)  和歌山県生まれ。

1904(明37)  和歌山県県立新宮中学校に入学。国木田独歩の「春の鳥」を読んで感動、文
           学者になることを志した。

1908(明41)  短歌6首を『熊野実業新聞』に発表。短歌1首が石川啄木の選で『明星』に掲
           載された。

1910(明43)  新宮中学校卒業後、上京し、新詩社に入社。9月、永井荷風を慕って、慶応
           義塾大学予科文学部に入学。『三田文学』『スバル』に抒情詩を発表。

1913(大2)   慶応大学を退学。

1915(大4)   第二回二科展に油絵「自画像」「静物」が入選。12月、無名の女優遠藤幸子
           と同棲。

1916(大5)   幸子と離別。

1917(大6)   江口渙らと『星座』を創刊。処女小説「西班牙犬の家」を発表。以後、小説と詩
           集を発表、刊行。女優米谷(まいや)香代子と同棲。谷崎潤一郎を知った。

1920(大9)   谷崎千代をめぐる潤一郎との葛藤から極度の神経衰弱にかかった。10月、米
           谷香代子と別離。

1921(大10)  谷崎潤一郎と絶交。7月、『純情詩集』を刊行。

1924(大13)  小田中タミと結婚。

1927(昭2)   タミと中国旅行。谷崎潤一郎と和解。

1930(昭5)   6月、小田中タミと別れ、8月、前谷崎潤一郎夫人、千代と結婚。10月、「僕等
           の結婚」を『婦人公論』に発表。

1935(昭10)  芥川賞の選考委員になる。しかし、第一回文芸懇話会賞が、理由が発表され
           ないまま島木健作から室生犀星に変えられたことから、同会の委員を辞任。

1938(昭13)  従軍作家として武漢作戦に従軍した。

1942(昭17)  父農太郎死去。

1948(昭23)  芸術院会員になる。

1953(昭28)  「日照雨(そばえ)」で、読売文学賞受賞。

1960(昭35)  文化勲章受賞。

1964(昭39)  心筋梗塞のため急逝。享年72歳。
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by hannah5 | 2005-07-17 20:39 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(4)

Commented by shou20031 at 2005-07-17 21:03
今晩は
佐藤春夫を谷崎潤一郎の話は有名ですね。
>さんま苦いか塩っぱいか
最後の一節は何度か耳にしたことはあります。
Commented by sofia_ss at 2005-07-17 23:23
文化勲章を受章した文豪でしたが、谷崎、芥川は今でも根強く読まれているのに対し、佐藤春夫は、現代の文壇から忘れ去られている感がありますね。彼は散文より詩のほうが良いのです。
佐藤春夫には、思い入れがあります^^
Commented by hannah5 at 2005-07-17 23:49
*翔さん、こういう背景を知らなかったころ、さんまを食べるたびに
「さんま苦いか塩っぱいか」とやった記憶があります^^;
そのくらいのものでした。
Commented by hannah5 at 2005-07-17 23:51
*そふぃ、佐藤春夫を読んでるというのはあまり聞かないかもしれませんね。
佐藤春夫、好きなのですね。
今度、そふぃの思い入れ、聞いてみたいです^^

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