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私の好きな詩・言葉(50) 「良い朝」 (伊藤整)   


今朝ぼくは快い眠りからの目覚めに
雨あがりの野道を歩いて来て
なぜかその透きとほる緑に触れ、その匂に胸ふくらまし
目にいっぱい涙をためて
いろんな人たちの事を思った。
私の知って来た数かずの姿
記憶の表にふれたすべての心を
ひとつひとつ祝福したい微笑みで思ひ浮べ
人ほど良いものは無いのだと思ひ
やっぱり此の世は良い所だと思って
すももの匂に
風邪気味の鼻をつまらし
この緑ののびる朝の目覚めの善良さを
いつまでも無くすまいと考へてゐた。


(集英社 『日本の詩』 「伊藤整集」より)




月光

蒼白い月光に照し出されたものは、
家並の明るさをさまよふ犬と
怪しいペルシヤ模様を投げる草と
夜の猛獣となる森と
光にすいた髪の毛と
こひびとよ お前の真白い足袋のつま先。
夜の気の冷たさの中に
どんなにキスする唇もひえびえとしたことか。
キスするときのお前は
月光にさらされた色んなものの姿におびえる。
夜の黒いもの蔭に浮いて
きらりと涙ぐんだ二つの顔。
それが私に追ひすがつた。
しきりに照りかげる草道を戻つて来たのは
なぜか泣きたい思ひでいつぱいな
其の夜の私の白い姿である。


解説

「良い朝」と「月光」は伊藤整が21歳の時に出版した 『雪明りの路』 に収められている。若い頃の伊藤整の詩を読みながら、あの頃私が感じていたことはこんなことだったかと、十代の終わり頃から二十代にかけていつも私の中にあった孤独と哀しみと新芽の痛みのようなものを改めて思い出していた。二十代の初めのまだ人生が始まったばかりの頃につまづいてしまった私はその後、長い間精神的に放浪し、言葉にすることができない慟哭のようなものを抱えながら生きていた。早熟にして言葉を編み出していった詩人や小説家達の作品を次々と読み漁ったのもその頃である。「良い朝」と「月光」を読むと、今でもあの頃の痛みを感じる。



伊藤 整(いとう せい)(1905-1969)

評論家、詩人、小説家。本名は整(ひとし)。

1905  北海道松前郡に生まれる。
1909  忍路郡塩谷村(現、小樽市塩谷町)に移転。
1925  小樽高等商業学校を卒業後、私立小樽中学教諭となる。
1926  処女詩集『雪明りの路』を椎の木社から自費出版。
1927  東京商科大学(現、一橋大学)に入学するが、一年休学して小樽中学の教師を続ける。
1931  東京商科大学中退。
1932  処女小説集『生物祭』を刊行。評論「小説の心理性について」「新心理主義文学」を発
      表。金星堂の編集部員になる。
1935  日本大学芸術科講師になる。D.H.ロレンスの 『チャタレイ夫人の恋人』 を翻訳。
1944  新潮社に文化部企画部長として入社。
1945  新調社を退職して北海道に疎開。
1946  北海道大学予科講師になったら、7月、東京に帰る。
1950  『チャタレイ夫人の恋人』 が猥雑文書に当たるとして警視庁の摘発を受け、出版社の
      新潮社とともに起訴される。
1952  チャタレイ裁判の第二審判決で有罪になり、罰金十万円を上告する。
1954  『伊藤整詩集』 を刊行。
1955  『伊藤整全集』 全十四巻、『ユリシーズ』 を刊行。「若い詩人の肖像」を発表。
1958  東京工業大学教授となる。
1962  日本ペン・クラブ副会長に就任。
1964  東工大教授を辞任。近代文学館副理事長に就任。翌年、理事長。
1967  「変容」「花と匂い」を連載。芸術院賞を受賞。
1968  芸術院会員となる。
1969  11月15日、癌のため死去。享年64歳。

by hannah5 | 2005-08-28 19:19 | 私の好きな詩・言葉

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