私の好きな詩・言葉(51) 「春 少女に」 (大岡信)   


ごらん 火を腹にためて山が歓喜のうなりをあげ
数億のドラムをどっととたたくとき 人は蒼ざめ逃げまどふ

でも知っておきたまへ 春の齢の頂きにきみを押しあげる力こそ
氾濫する秋の川を動かして人の堤をうち砕く力なのだ

蟻地獄 髪切虫の卵どもを春まで地下で眠らせる力が
細いくだのてっぺんに秋の果実を押しあげるのだ

ぼくは西の古い都で噴水をいくつもめぐり
ドームの下で見た 神聖な名にかざられた人々の姿

迫害と殺戮のながいながい血の夜のあとで
聖なる名の人々はしんかんと大いなる無に帰してゐた

それでも壁に絵はあった 聖別された苦しみのかたみとして
大なるものは苦もなく小でありうると誇るかのやうに

ぼくは殉教できるほど まっすぐつましく生きてゐない
ひえびえとする臓腑の冬によみがへるのはそのこと

火を腹にためて人が憎悪のうなりをあげ
数個の火玉をうちあげただけで 蒼ざめるだらう ぼくは

でもきみは知ってゐてくれ 秋の川を動かして人の堤をうち砕く力こそ
春の齢の頂きにきみを置いた力なのだ


(大岡信詩集 『捧げるうた 50篇』 より)




解説

最初、この詩は大岡信が若かった頃、好きな女性のために書いた詩だと思った。しかし、『捧げるうた 50篇』 のあとがきに、大岡信はこう書いている。「 『春 少女に』 は娘が高校に進む直前の1978年1月10日付朝日新聞夕刊に寄稿した。彼女が中学から高校に移る年頃(15歳)であることを念頭に置いてこれを作った。」若い人のたくましい生命力。それを信じてまっすぐな思いを娘に託す父親。

今、詩人として食べていけるのは大岡信と谷川俊太郎くらいなものだろう。二人とも詩の世界だけでなく、あらゆる言葉のジャンルで活躍している。私はどちらも好きだ。大岡信には谷川俊太郎のような派手さはない。しかし、いぶし銀のような落ち着いた光沢があり、深い知性が漂う。谷川俊太郎の詩を直感的だとすれば、大岡信の詩はまことにアカデミックであり、理性的だ。


大岡 信(おおおか まこと)(1931-)

詩人。静岡県生まれ。
詩集に、「記憶と現在」(1956)、「大岡信詩集」(1960、1968)、「わが詩と真実」(1962)、「彼女の薫る肉体」(1971)、「透明図法ー夏のための」(1972)、「遊星の寝返りの下で」(1975、「悲歌と祝祷」(1976)、「春 少女に」(1978)、「水府 みえないまち」(1981)、「詩とはなにか」(1985)、「ぬばたまの夜、天の掃除器せまつてくる」(1987)、「故郷の水へのメッセージ」(1989)、「火の遺言」(1994)、「光のとりで」(1997)、「世紀の変り目にしやがみこんで」(2001)などがある。他に、「日本の古典詩歌」(全5巻・別巻1)(1999~2000)、「詩への架橋」(1977)、「連詩の愉しみ」(1991)、「折々のうた」(1~10)「新折々のうた」(1~7)(1980~)、「声で楽しむ 美しい日本の詩」(共編)(1990)など。著書・編著は多数。(『大岡信詩集 自選』あとがきより一部抜粋)
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by hannah5 | 2005-09-04 23:58 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(2)

Commented by satsuki_ok at 2005-09-05 05:50
なるほど、お勉強になりました。
もっと読んでみたい、この人の詩。。。
探してみよっとっ♪
Commented by hannah5 at 2005-09-05 22:28
*サツキさん、いいですよ、大岡信の詩は。
ライフログにもひとつ上げておきましたので(『大岡信詩集ー自選』)、
それからでも読んでみてください。
大きな書店に行けば、まだ置いてあると思います。

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