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私の好きな詩・言葉(68) 「りゅうりぇんれんの物語」(茨木のり子)   


劉連仁(リュウリェンレン) 中国のひと
くやみごとがあって
知りあいの家に赴くところを
日本軍に攫われた
山東省の草泊(ツァオポ)という村で
昭和十九年 九月 或る朝のこと

りゅうりぇんれんが攫われた
六尺もある偉丈夫が
鍬を持たせたらこのあたり一番の百姓が
為すすべもなく攫われた
山東省の男どもは苛酷に使っても持ちがいい
このあたり一帯が
「華人労務者移入方針」のための
日本軍の狩場であることなどはつゆ知らずに

手あたりしだい ばったでも掴まえるように
道々とらえ 数珠につなぎ
高密(カオミー)県に着く頃は八十人を越していた
顔みしりの百姓が何人もいて
手に縄をかけられたまま
沈んだ顔を寄せ合っている
「飛行場を作るために連れて行くっていうが」
「一、二ヶ月すれば帰すっていうが」
「青島だとさ」
「青島?」
「信じられない」
「信じられるものか」
不信の声は波紋のようにひろがり
連れて行かれたまま帰ってこなかった人間の噂が
ようやく繁くなった虫の声にまぎれ
ひそひそと語られる

りゅうりぇんれんは胸が痛い
結婚したての若い妻 初々しい前髪の妻は
七ヶ月の身重だ
趙玉蘭(チャオユイラン) お前に知らせる方法はないか
たとえ一月 二月でも 俺が居なかったら
家の畑はどうなるんだ
母とまだ幼い五人の兄弟は
麦を蒔き残した一反二畝の畑の仕末は

通る村 通る町
戸をとざし 門をしめ 死に絶えたよう
いくつもの村 いくつもの町 猫の仔一匹見当らぬ
戸の間から覗き見 慄えている者たち
俺の顔を見覚えていたら伝えてくれろ
罠にかかって連れて行かれたと
妻の趙玉蘭に 趙玉蘭に

賄賂を持って請け出しにくる女がいる
趙玉蘭はこない
見張りの傀儡軍に幾ばくかを握らせて
息子を請け出してゆく老婆がいる
趙玉蘭はまだこない
追いついてはみたものの 請け出す金の工面がつかず
遠ざかる夫を凝視し続ける妻もいた
血のいろをして沈む陽
石像のように立ちつくす女の視野のなかを
八百人の男たちは消えた
一行八百人の男たちは
青島の大港埠頭へと追いたてられていった
暗い暗い貨物船の底
りゅうりぇんれんは黒の綿入れを脱がされて
軍服を着せられた
銃剣つきの監視のもとで指紋をとられ
それは労工協会で働く契約を結んだということ
その裏は終身奴隷
そうして門司に着いた時の身分は捕虜だった

六日の船旅
たった一つの蒸パンも涙で食べられはしなかった
あの朝・・・・・・
さつまいもをひょいとつまんで
道々喰いながら歩いて行ったが
もしもゆっくり家で朝めしを喰ってから
出かけたならば 悪魔をやりすごすことができたろうか
いや 妻が縫ってくれた黒の綿入れ
それにはまだ衿がついていなかった
俺はいやだと言ったんだ
あいつは寒いから着ていけと言う
あの他愛ない諍いがもう少し長びいていたら
掴らないで済んだろうか   めいふぁーず
運の悪い男だ俺も・・・・・・
舟底の石炭の山によりかかり
八百人の男たち家畜のように玄海灘を越えた

門司からは二百人の男たち 更に選ばれ
二日も汽車に乗せられた
それから更に四時間の船旅
着いたところはハコダテという町
ダテハコというのであったかな?
日本の町のひとびとも襤褸をまきつけ
からだより大きな荷物を背負い
蟻のように首をのばした難民の群れ 群れ
りゅうりぇんれんらは更にひどい亡者だった
鉄道に働くひとびとは異様な群像を度々見た
そしてかれらに名をつけた「死の部隊」と
死の部隊は更に一日を北へ――
この世の終りのように陰気くさい
雨竜郡の炭坑へと追いたてられていった

飛行場が聞いてあきれる
十月末には雪が降り樹木が裂ける厳寒のなか
かれらは裸で入坑する
九人がかりで一日に五十車分を掘るノルマ
棒クイ 鉄棒 ツルハシ シャベル
殴られて殴られて 傷口に入った炭塵は
刺青のように体を彩り爛れていった
  <カレラニ親切心 或イハ愛撫ノ必要ナシ
    入浴ノ設備必要ナシ 宿舎ハ坐シテ頭上ニ
    二、三アレバ良シトス>
逃亡につぐ逃亡が始った
雪の上の足跡を辿り連れもどされての
烈しい士置
雪の上の足跡を辿り 連れもどされての
目を掩うリンチ
仲間が生きながら殴り殺されてゆくのを
じっと見ているしかない無能さに
りゅうりぇんれんは何度震えだしたことだろう

日本の管理者は言った
「日本は島国である 四面は海に囲まれておる
 逃げようったって逃げきれるものか!」
さっと拡げられた北海道の地図は
凧のような形をしていた
まわりは空か海かともかく青い色が犇めいている
かれらは信じない
日本は大陸の地続きだ
朝鮮の先っぽにくっついている半島だ
いや そうでない そうでない
奉天 吉林 黒竜江の三省と地続きの国だ
西北へ 西北へと歩けば
故郷にいつかは必ず達する
おお おおらかな知識よ! 幸あれ!

空気にかぐわしさがまじり
やがて
花も樹々もいっせいにひらく北海道の夏
逃げるのなら今だ! 雪もきれいに消えている
りゅうりぇんれんは誰にも計画を話さなかった
青島で全員暴動を起す計画も洩れてしまった
炭坑へ来てからも何度も洩れた
煉瓦をしっかり抱きしめて
夜明けの合図を待っていたこともあったのに・・・・・・
りゅうれんれんは一人で逃げた
どこから
便所の汲取口から
汚物にまみれて這い出した
このときほど日本を烈しく憎んだことがあったろうか

小川でからだを洗っていると
闇のなかで水音と 中国語の声がする
やはりその日逃げ出した四人の男たちだった
五人は奇遇を喜びあった
西北へ歩こう! 西北へ!
忌まわしい炭坑の視界から見えなくなるところまで
今夜のうちに
一日の労働で疲れた躰を鞭うって
五人は急いだ

山また山 峰また峰
野ニラをつまみ 山白菜をたべ 毒茸にのたうち
けものと野鳥の声に脅え
猟師もこない奥深くへと移動した
何ヶ月目かに里に下りた 飢えのあまりに
二人は見つけられ 引きたてられていった
羽幌という町の近くで
らんらんと輝く太陽のした
戦さは数日前に終っていることも知らないで
三人は山へ向って逃げた
脅えきった野兎のように
山の上から見下した畑は一面の白い花
じゃがいもの白い花
りゅうりぇんれんは知らなかった じゃがいものこと
茎をたべた 葉をたべた
喰えたもんじゃない だが待てよ
こんなまずいものを堂々とこんなに沢山作るわけがない
そろそろと土を探ると
幾つもの瘤がつらなっている
土を払って齧る うまさが口一杯にひろがった
じゃがいもは彼らの主食になった
昼は眠り 夜は畑を這う日が続く

「おい 聞えたかい? いまのは汽笛だ!
 いいぞ! 鉄道に沿っていけば朝鮮までゆける」
なぜ気づかなかったのだろう
海に沿って北にのびる鉄道線を
三人は胸はずませて辿っていった
夜の海辺を昆布を拾いながら 齧りながら
何日もかかって 辿りついたところは
鉄道の終点
それはなんと寂しい風景だったろう
鉄道の終点 荒涼たる海がひろがっているばかりだ
稚内という字も読めなかった
ひとに聞くこともできなかった
大粒の星を仰ぎみて 三人は悟った
日本はどうやら島であるらしい
故郷からは更に遠のいたのかも確からしい

三人の男たちは
黙々と冬眠の準備を始めた
短い夏と秋は終っていた ふぶきはじめた空
熊の親戚みてえなつらしてこの冬はやりすごそう
捨てられたスコップを探してきて
穴を掘りぬき堀りぬいてゆく
昆布と馬鈴薯と数の子を貯えられるだけ貯えて
三つの躰を閉じこめた 雪穴のなかに
三人の男たちはふるさとを語る
不幸なふるさとを語る
不幸なふるさとを語ってやまない
石臼の高粱の粉は誰が挽いたろう
あの朝の庭にあった石臼の粉は
母はこしらえたろうか ことしも粟餅を
俺は目に浮ぶ なつめの林
まぼろしの棗林
或る日 日本軍が煙をたててやってきて
伐り倒してしまった二千五百本
いまは切株だけさ 李家荘の部落
じいさんたちが手塩にかけて三十年
毎年街に売りに出た一二〇トンの棗の実
俺は見た
理由(わけ)もなく押切器で殺された男の胴体
生き埋めにされる前 一本の煙草をうまそうに吸った
一人の男の横顔 まだ若く蒼かった・・・・・・
俺は見た 女の首
犯されるのを拒んだ女の首は
切落されて臀部から生えていた
ひきずり出された胎児もいた
趙玉連(チャオユイラン)おまえにもしものことがあったなら
いやな予感 重なりあう映像をふり払い ふり払い
りゅうりぇんれんは膝をかかえた
長い膝をかかえてうつらうつら
三人の男は冬を耐えた 半年あまりの冬を

眩しい太陽を恐れ 痺れきった足をさすり
歩く稽古を始めたとき
ふたたび六月の空 六月の風あまく
三人は網走の近くまでを歩き
雄阿寒 雌阿寒の山々を越えた
出たところはまたしても海!
釧路に近い海だった
三人は呆れて立つ
日本が島なのはほんとうに本当らしい
それなら海を試す以外にどんな方法がある
風が西北へ西北へと吹く夜
三人は一艘の小船を盗んだ
船は飛ぶように進んだが なんということだろう
吹き寄せられたのは同じ浜べ
漕ぎ出した波打際に着いていた
櫓は流れ 積んだ干物は腐っていた
猟師に手真似で頼んでみよう
魚取りの親爺よ 俺たちはひどい目にあっている
送ってくれるわけにはいかないか
朝鮮まででいい 同じ下積みの仲間じゃないか
助けてくれろ 恩にきる
無謀なパントマイムは失敗に終った
老漁夫は無言だったが間もなく返事は返ってきた
大がかりな山狩りとなって
追われ追われて二人の仲間は掴まった
たった一人になってしまった りゅうりぇんれん

りゅうりぇんれんは烈しく泣いた
二人は殺されたに違いない すべての道は閉ざされた
「待ってくれ おれも行く!」
腰の荒縄を木にかけて 全身の重みを輪にかけた
痛かったのは腰だ!
六尺の躰を支えきれず ひよわな縄は脆くも切れた
ぶったまげて きょとんとして
それからめちゃくちゃに下痢をして
数の子が形のまんま現れた
「ばかやろう!」そのつもりなら生きてやる
生きて 生きて 生きのびてみせらあな!
その時だ しっかり肝っ玉ァ坐ったのは

彼の上にそれから十二年の歳月が流れていった
りゅうりぇんれんにとっての生活は
穴に入り 穴から出ることでしかなかった
深い雪におしつぶされず 湧水に悩まされず
冬を過す眠りの穴を
幾冬かのにがい経験のはてに ようやく学び
穴は注意深く年ごとに移動した
ある秋のこと
栗ひろいにやってきた日本の女にばったり会った
女は鋭く一声叫び
折角の栗をまきちらし まきちらし
這うように逃げた
化けものに出会ったような逃げかただ
りゅうりぇんれんは小川に下りて澄んだ水を覗きこんだ
のび放題の乱れた髪
畑の小屋から失敬した女の着物を纏いつけ
妖怪めいて ゆらいでいる
これが自分の姿か?
趙玉蘭 おまえが惚れて嫁いできた
りゅうりぇんれんの姿がこれだ
自嘲といまいましさに火照った顔を
秋の川の流れに浸し
虎のように乱暴に揺る
俺は潔癖なほど綺麗ずきで垢づくことは好まなかった
たとえ長い逃避行 人の暮しと縁がなくても
少しは身だしなみをしなくちゃな!
鎌のかけらを探し出し
りゅうりぇんれんはひっそりと髭を剃った
髪は長い弁髪にまとめ ブヨを払うことをも兼ねしめた

風がアカシヤの匂いを運んでくる
或る夏のこと
林を縫う小さなせせらぎに とっぷり躰を浸し
ああ謝々(シェシェ)   おてんとうさまよ
日本の山野を逃げて逃げて逃げ廻っている俺にも
こんな蓮の花のような美しい一日を
ぽっかり恵んで下されたんだね
木洩れ陽を仰ぎながら
水浴の飛沫をはねとばしているとき
不意に一人の子供が樹々のあいだから
ちょろりと零れた 栗鼠のように
「男のくせに なんしてお下げの髪?」
「ホ   お前 いくつだ」
日本語と中国語は交叉せず いたずらに飛び交うばかり
えらくケロッとした餓鬼だな
開拓村の子供だろうか
俺の子供も生れていればこれ位のかわいい小孫(ショウハイ)
開拓村の小屋からいろんなものを盗んだが
俺は子供のものだけは取らなかった
やわらかい布団は目が眩むほど欲しかったが
赤ん坊の夜具だったからそいつばかりは
手をつけなかったぜ
言葉は通じないまま
幾つかの問いと答えは受けとられぬまま
古く親しい伯父 甥のように
二人は水をはねちらした
りゅうりぇんれんはやっと気づく
いけねえ 子供は禁物 子供の口からすべてはひろがる
俺としたことがなんたる不覚!
それにしても不思議な子供だ
すっぱだかのまま アッという間に木立に消えた

二匹の狼に会った
熊にも会った 兎や雉とも視線があった
かれらは少しも危害を加えず
彼もまた獣を殺すにしのびなかった
りゅうりぇんれんの胃は僧のように清らかになった
恐いのは人間だ!
見るともなしに山の上から里の推移を眺めて暮した
山に入って二年あまり
畑で働いていたのは 女 女 女ばかり
それから少しづつ男もまじった
畑の小屋に置かれるものも豊かになってゆくようだった
米とマッチを見つけたときの喜びは
ガキの頃の正月気分
鉄瓶もろとも攫ってきて
山のなかで細い細い炊煙をあげた
煮たものを食べるのは何年ふりだったろう
じゃがいもは茹でられてこの世のものともおもえぬうまさ

それから更に何年かたち
皮の外套を手に入れた
ビニールの布も手に入れた
だが一年ごとに躰の方は弱ってゆく
十年たつと月日は数えられなくなり
家族の顔もおぼろになった
妻もおそらく他家へ嫁いだことだろう
たとえ生きていてくれても・・・・・・
どの年だったか
この土地もひどい旱魃に見舞われて
作物という作物は首を垂れ
田畑に立って顔を覆う農夫の姿が望まれた
遠く 遠く
りゅうりぇんれんはいい気味だとは思わなかった
日本の農民も苦しいのだ
俺も生れながらの百姓だが
節くれだって衰えたこの手に
鍬を握れる日がくるだろうか
黒く湿った土の上に ぱらぱらと
腰をひねって種を蒔く
そんな日が何時かまたやってくるのだろうか

長い冬眠があけ
春 穴から出るときは
二日も練習すれば歩くことができたものだ
年とともに 歩くための日は
多く多く費され
二ヶ月もかけなければ歩けないほどに
足腰は痛めつけられていった
それはだんだんひどくなり
秋までかかって ようやく歩けるようになった頃
北海道の早い冬はもう
粉雪をちらちら舞わせ
また穴の中へと りゅうりぇんれんを追いたてた
獣のように生き
記憶と思考の世界からは絶縁された
獣のように生き
日本が海のなかの島であることも知らなかった
だが りゅうりぇんれん
あなたにはみずからを生かしめる智慧があった

惨憺たる月日を縫い
あなたの国の河のように悠々と流れた
一つの生命
その智慧もからだも
しかし限度にきたようにみえた
厳しい或る冬の朝のこと
あなたはとうとう発見された
札幌に近い当別の山で
日本人の猟師によって
凍傷にまみれた六尺ゆたかな見事な男
一尺半のお下げ髪の 言葉の通じない変な男
絶望的な表情を滲ませて
「イダイ イダイ」を連発する男
痛い それは
りゅうりぇんれんの覚えていた たった一ツの日本語だった

「中国人らしい」
スキーを穿いた警官は俄に遠慮がちになった
りゅうりぇんれんは訝しむ
何故ぶん殴らないのだろう
何故昔のように引きずっていかないのだろう
麓の雑貨屋で赤い林檎と煙草をくれた
火にもあたらせてくれる「不明日(ブーミンパイ)」「不明日(ブーミンパイ)」
ワガラナイヨなにもかも
背広を着て中国語をしゃべる男が
沢山まわりを取りまいた
背広を着た同朋なんて!
りゅうりぇんれんは認めない
祖国が勝ったことをも認めない
困りぬいた華僑のひとりが言った
「旅館の者を呼んであなたの食べたいものを
注文してごらんなさい
日本人はもう中国人をいじめることは
絶対にできないのだ」
りゅうりぇんれんは熱いうどんを注文した
頬の赤い女中がうやうやしく捧げもってきた
りゅうりぇんれんの固い心が
そのとき初めてやっとほぐれた
ひどい痛めつけられかただ
同朋のひとびとはまぶたを熱くし
湯気のなかの素朴な男を眺めやった

八路軍が天下を取って
俺たちにも住みいい国が出来たらしいこと
少しずつ 少しずつ 呑込んでゆく頃
りゅうりぇんれんにはスパイの嫌疑がかかっていた
いつ来たのか
どこで働いていたのか
北海道の山々をどのように辿ったか
すべては朦朧と 答を出せなかったりゅうりぇんれん
札幌市役所は言った
「道庁の指示がないと何も手をつけるわけにはいかない」
北海道庁は言った
「政府の指示がなければ何も手をつけるわけにはいかない」
札幌警察署は言った
「我々には予算がない 政府の処置すべき問題だ」
政府は この国の代表は
「不法入国者」「不法残留者」としてかたづけようとした

心ある日本人と中国人の手によって
りゅうりぇんれんの記録調査はすみやかに行われた
拉致使役された中国人の数は十万人
それらの名簿を辿り 早く彼の身分を証すことだ
スパイの嫌疑すらかけられている彼のために
尨大な資料から針を見つけ出すような
日に夜をつぐ仕事が始った
「行方不明」
「内地残留」
「事故死亡」
たった一言でかたづけられている
中国名の列 列 列
不屈な生命力をもって生き抜いた
りゅうりぇんれんの名が或る日
くっきりと炙出しのように浮んできた
「劉連仁 山東(シャントン)省諸(チュウチョン)城県第七区紫溝(チャイコウ)の人
 昭和十九年九月 北海道明治鉱業会社
 昭和鉱業所で労働に従事
 昭和二十年無断退去 現在なお内地残留」

昭和三十三年三月りゅうりぇんれんは雨にけむる東京についた
罪もない 兵士でもない 百姓を
こんなひどい目にあわせた
「華人労務者移入方針」
かつてこの案を練った商工大臣が
今は総理大臣となっている不思議な首都へ

ぬらりくらりとした政府
言いぬけばかりを考える官僚のくらげども
そして贖罪と友好の意識に燃えた
名もないひとびと
際だつ層の渦まきのなかで
りゅうりぇんれんは悟っていった
おいらが何の役にもたたないうちに
中国はすばらしい変貌を遂げていた
おいらが今 日本で見聞きし怒るものは
かつのての祖国にも在ったもの
おいらの国では歴史のなかに畳みこまれてしまったものが
この国じゃ
これから闘われるものとして
渦まいているんだな

東京で受けた一番すばらしい贈物
それは妻の趙玉蘭(チャオユイラン)と息子とが
生きているという知らせ
しかも妻は東洋風に二夫にまみえず
りゅうりぇんれんだけを抱きしめて生きていてくれた
息子は十四
何時の日か父にあい会うことのあるようにと
尋児(シュンアル)と名づけられていた

尋児(シュンアル) 尋児(シュンアル)
りゅうりぇんれんは誰よりも息子に会いたかった
三十三年四月
白山丸は一路故国に向って進んだ
かつては家畜のように船倉に積まれてきた海を
帰りは特別二等船室の客となって
波を踏んで帰る
飛ぶように
波を踏んで帰る
なつかしい故郷の山河がみえてくる
蓬来(ファンライ) 若かりし日 油しぼりをして働いたところ
塘沽(タンクー)
長い長い旅路の終り
十四年の終着の港
ひしめく出迎えのひとびとに囲まれ
三人目に握手した中年の女
それが妻の趙玉蘭
りゅうりぇんれんは気付かずに前へ進む
別れた時 二十三歳の若妻は三十七歳になっていた
りゅうりぇんれんは気付かずに前へ進む
「おとっつぁん!」
抱きついた美少年 それこそは尋児
髪の毛もつやつやと涼しげな男の子
読むことも 書くことも
みずからの意思を述べることも
衆よりすぐれ 村一番のインテリに育っていた

三人は荷馬車に乗って
ふるさとの草泊(ツアオポ)村に帰った
ふるさとは桃の花ざかり
村びとは銅鑼や太鼓ならしてお祭のよう
連仁(リェンレン)兄いが帰ったぞう
行きあうひとの ひとり ひとり
その名を思いおこし 抱きあいながら家に入った
窓には新しい窓紙
オンドルには新しい敷物
土間で新しい農具は光り
壁には梅蘭芳の絵とともに
中国産南瓜のように親しみ深い
毛沢東の写真が笑って迎えた
りゅうりぇんれんは畑に飛び出し
ふるさとの黒い土を一すくい舌の先で嘗めてみた
麦は一尺にものびて
茫々とどこまでもひろがっている
その夜
劉連仁と趙玉蘭は
夜を徹して語りあった
一家の消長
苦難の歳月
再会のよろこびを
少しも損われていなかった山東訛で。

        *

一ツの運命と一ツの運命とが
ぱったり出会う
その意味も知らず
その深さも知らずに
逃亡中の大男と 開拓村のちび

風が花の種子を遠くに飛ばすように
虫が花粉にまみれた足で飛びまわるように
一ツの運命と 一ツの運命とが交錯する
友人さえもそれと気づかずに

ひとつの村と もうひとつの遠くの村とが
ぱったり出会う
その意味も知らずに
その深さをも知らずに
満足な会話すら交せずに
もどかしさをただ酸漿のように鳴らして
一ツの村の魂と もう一ツの村の魂とが
ぱったり出会う
名もない川べりで

時がたち
月日が流れ
一人の男はふるさとの村へ
遂に帰ることができた
十三回の春と
十三回の夏と
十四回の秋と
十四回の冬に耐えて
青春を穴にもぐって すっかり使い果したのちに

時がたち
月日が流れ
一人のちびは大きくなった
楡の木よりも逞しい若者に
若者はふと思う
幼い日の あの交されざりし対話
あの隙間
いましっかりと 自分の言葉で埋めてみたいと。

( 『茨木のり子詩集 言の葉』 より)


※今回は解説を加えないでおきます。
  詩をそのまま読んで感じてください。

by hannah5 | 2006-03-14 15:27 | 私の好きな詩・言葉

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