私の好きな詩・言葉(74) 「とうさんの畑」 (島 秀生)   


秋草がいちだんと伸びて
もう見る影もありませんね。

とうさん あなたが元気な時
ここは半分を菊づくり
半分を家で食べる分くらいの
さまざまな野菜を育てていた所です。
今ごろになると
出品用の菊の大鉢
転びそうに長い菊の懸崖で一杯でした。
とうさん あなたがこの畑で倒れてから
もう4年が経ちます。
今の医学でも閉じた脳細胞まで
よみがえらせることはできない。
あなたにあるのは内蔵を動かすだけの脳と
寝たり起きたりするだけの眼
姿勢をかえた時の驚く顔
咳をする時の苦しい表情だけです。
とうさん いま瞳にうつっているのが
私の顔だとわかっていますか。
何も憶えていない識別しない学習しない
人間の尊厳に必要な
何の意志も残っていません。
この状態で4年
もう脳組織は死んでしまっても還ってくることはありません。
とうさん あなたは体が丈夫で
腕っぷしが強くて
隠居して畑仕事をするようになってからさえ
私は腕相撲であなたを負かすことができなかった。
とうとう一回も勝てないままです。
今も体は強くて丈夫で
食事用の腹のチューブ穴と
痰とり用の胸の穴があいていること以外
健康なものです。
うんちをかえる時や
体を拭く時なんか
体が重くて大変です。
姿勢をかえようとする意志がないから
なんにも協力してくれない。
こっちは体重そのまんまを
かついで上げなきゃならないから大変です。
喜びの表情もないからつまらないけど
でも半身不随で意識があって
動く片手で物を投げつけてきて暴れたり
死にたい死にたいと言って付き添いを泣かせたりしないだけ
とうさんはまだましかもしれませんね。

とうさん 若い時
よくかあさんを泣かせましたね。
浮気ばかりして
かあさんと会うと喧嘩ばかり
暴力までふるって
私の小学生の時の記憶って
かあさんが泣いているうしろ姿ばかりです。
いい父じゃなかった。
いい夫婦じゃなかった。
とうさんとかあさんが本当に仲良くなったの
とうさんが年老いてからです。
浮気する元気もなくなってからです。
畑に出るようになってからは
休憩にかあさんがお茶を持って現われるのを
本当に楽しみにして汗を流していましたね。
私がとうさんをやっと好きになれたの
あの頃です。

私が浮気しないの
とうさんのおかげです。反面教師ってやつですか。
かあさんの泣く姿見て育ってきた私は
いえ私が大学生の頃だって
コンサートでこころ沸いた夜も
演劇見て感動して帰った夜も
家に帰るととうさんとかあさんが喧嘩してた。
楽しい心も夢も
家に帰ると吹っ飛びましたよ。
哀しかった。
そんな私が妻に同じこと
できるわけがない。
心ときめく人が現われることもあるけれど
私にはときめいてそこまでで終わりです。
とうさん あなたからもらった
一番のプレゼントです。
うちの子供たち バカで身勝手だけど
その苦労だけはさせていません。

とうさんの畑。
秋の夕陽。
ここで見た時のとうさんは好きでした。


(『生きてきた人よ』より)




解説

私の詩の先生、島さんの詩をご紹介します。この詩は恐らく6年ほど前に書かれたものではないかと思います。長く植物状態でいらした島さんのお父様が去る4月13日に亡くなられました。謹んでお悔やみ申し上げます。

「去る4月13日、父が亡くなりました。脳溢血で倒れ、植物状態になってから10年間、生きていました。倒れたあと、一命はとりとめたものの、内臓と五感を動かす基本機能部分の脳が回復しただけで、意識は戻らないままでした。目があいていることはあいているのですが、自分と外界とを繋ぐ意識の一切は遮断され、自ら身体を動かすこともありませんでした。
 最初の1年、2年は、もしかして奇跡的に意識が戻るのではと、皆いっしょうけんめいでしたが、そのうちにそんなものはドラマの中だけの世界なのだとわかってきました。
 当初、つきっきりだった母が、まず神経をやられ、身体が動かなくなって、神経内科に入院することになりました。また、それ以上治療のしようのない人を、病院はいつまでも預かってくれず、退院を余儀なくされていた時期でもあり、姉が自宅で引き取ることになりました。共倒れになりそうな母から、引き離す意味でも、これは良策だったと思います。
 以後、約8年余り、父は姉の家の座敷に持ち込まれた、エアーマットのベッドの中で過ごしました。朝、夕は、曜日ごとに担当を決め、義姉・私・私の妻・母が交替で姉の家に通い、父の身体を拭いたり、吸入、痰取り、オムツの取替えなどしながら、逆に姉を日々の買物に外出させたり、犬の散歩に出したりして、留守番をするという形でフォロー体制を取りました。私よりもっと忙しい兄は、これには参加しなかったものの、父の経済面のバックアップを全面的に引き受けてくれました。
 とはいえ、それは微々たるもので、一日の大半は姉の手により、父は生きておりました。夜も何回か、痰取りとオムツのために起きないといけない。そういう状態が何年も続きました。
 2年ほど前から、こんな状態の父でも引き取ってくれるデイサービスを探し、週2回は預けることになりましたが、それは、気丈の姉も、さすがに神経内科にかかるところまで来ていたからだと、後で兄から聞きました。

 姉のところの子が、引越しやら出産やらがあるとき、やむをえず、姉は主治医のいる病院に父を預けることがありました。病院の預かりは1週間単位なのですが、病院には悪いが、病院に預けた1週間というのは、必ず皮膚をやられたり、下痢をしたり、どこか痛めて帰ってきます。姉の所にいる時は、皮膚もきれいで体調もいいことを思うと、いかに姉の世話がこまめで、ゆきとどいていたかがわかるものでした。だから、もしよそに預けられていたとしたら、父はもっと早くに亡くなっていたことでしょう。
 父の身体は、最後まで床ずれすることなく、皮膚病になることもなく、きれいな身体のまま、召されました。死亡診断書も、「老衰」と診断して頂けるものでした。
 父がこの状態で10年間も長生きできたのは、みんな姉のおかげです。感謝しています。」(MY DEARの島秀生さんの言葉から)                                  


島 秀生(しま ひでお)

1955年大阪府生まれ。
日本ペンクラブ会員、日本現代詩人会会員、日本詩人クラブ会員、関西詩人協会会員。
詩集 『N君のいかだ』 『風の話』
著作 『ネットの中の詩人たち』 『ネットの中の詩人たち 2』 『ネットの中の詩人たち 3』 『ネットの中の詩人たち 4
ネット誌「MY DEAR」主宰。
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by hannah5 | 2006-05-28 23:39 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(2)

Commented by aki at 2006-05-29 21:56 x
 「とうさん」に島先生は10年、こうして何度も話しかけてこられたのでしょうね。長く思えるこの詩も、その日々を語るには決して長すぎませんね。。。
Commented by hannah5 at 2006-05-29 22:56
*aki さん、そうですね。
10年に比べたらこの詩はとても短かいかもしれませんね。

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