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私の好きな詩・言葉(75) 「りんご」 (小池 昌代)   


ところで
きょうのあさは
りんごをひとつ てのひらへのせた

つま先まで きちんと届けられていく
これはとてもエロティックなおもさだ

地球の中心が いまここへ
じりじりとずらされても不思議はない
そんな威力のある、このあさのかたまりである

うすくあいた窓から
しぼりたての町並がこぼれてくる と
どこかで とてもとうめいな十指が
あたらしい辞書をめくるおと
おもいきりよく物理的に
とんでもないほどすがすがしく
わたしのきもちをそくりょうしたい
そんなあさ
りんごはひとつ てのひらのうえ
わたしはりんごのつづきになる

なくなったきもち分くらいのおもさ か

あのひとと もう会わない
そうして
きょうのあさは
りんごをひとつ てのひらへのせた


(『現代詩文庫 小池昌代詩集』より)




他3篇


「こぼさずに」

もぎとられてきた水滴のように
なげだされて
こどもたちはねむっている
むこうがわの世界を
からだはこの岸に預けたまま
水辺にはでたらめな足跡をいっぱいのこして

一月のゆめのなかの水祭(みずまつり)
桃の実のなかで
いつか「きもち」になろうとしている
たったひとつのことばを
きょうはおまえたちに用意しよう

桃を食べずに手のひらへのせて
太陽にゆっくり透かしてみよう

目がさめて
目があって
何の意味もなく笑うことがあったら
それはきょうも
生きていくことの合図なんだよ

こどもたち
音もなく
いちまいの皿にたまっていた
きのうからの雨滴
受容のしずけさよ


「十七歳」

体のまんなかに育ち始めたもうひとりの彼を
きりきりとしぼりあげるようにとじこめて
ぴったりのジーンズでおおっているのに
それでもたちのぼってくるものの気配で
きみの頬は、たえず蒸発している

定規をあてて、さっと線を引いたように
まっすぐにのびた足、両腕

春の一番目の日には
教室が草原になる瞬間がある

風吹いて、若木の枝がしなる音
きみの骨は濃厚な朝の牛乳の色をしている


「ねこぼね」

 猫を撫でてみた。すると、毛ではなく、肉でもなく、骨のかたちがてのひらへ残る。
 あったかいくぼみやでっぱり。その、でこぼこ。あ、これが猫。こぼれそうにしなやかな、これが、とくべつのさびしさか。
 骨と骨をやわらかくつないで、いきものよ。
 私はてのひらをひっくりかえす。
 それから(おやすみ)とねこぼねへいう。ちいさな声で。(届くかしら)

 すると、きしむような音がして、夜に、ちいさく、鍵がかかる。


解説

小池昌代の言葉は新鮮な朝の空気の香りがする。勢いがいい。たとえば「りんご」。てのひらに乗せたりんご、「あさのかたまり」、「しぼりたての町並がこぼれてくる」、気持ちひとつぶんの大きさ。パキッとかじるりんごの音がはじけるようだ。たとえば「ねこぼね」。猫を撫でるとこんな感じだし、
17歳の男の子もお昼寝の子供たちもこんな感じだ。上手い詩というのは、詩を読んでいるうちに言葉が透明なフィルターのように透け出して、その向こうにある対象物が手にとるように見えてくる詩だと思う。独特の言葉遣いなのに、言葉が邪魔にならない。


小池 昌代(こいけ まさよ)

1959年、東京、深川生まれ。
幼少時より、詩という概念に心惹かれ、いつか言葉によって、詩を書きたいと切望した。
詩集 『水の町から歩きだして』、『青果祭』、『永遠に来ないバス』 (1997年現代詩花椿賞)、 『もっとも官能的な部屋』 (1999年高見順賞)、『夜明け前十分』、『雨男、山男、豆をひく男』、エッセイ集 『屋上への誘惑』 (2001年講談社エッセイ賞)、他絵本の翻訳等。1995年、「音響家族」創刊。1989年~1999年にかけて、林浩平、渡邊十絲子とともに、詩誌「Mignon」をつくり、2002年からは、石井辰彦、四方田犬彦をメンバーとする「三蔵2」に参加した。

by hannah5 | 2006-06-04 22:06 | 私の好きな詩・言葉

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