私の好きな詩・言葉(87) 「日直」 (清岡 卓行)   


誰もいない日曜日のオフィス。
そのドアを鍵であける前に
かれはもう一度
自分のポケットの中を調べてみる。
十本入のタバコが一箱。
十本は銀紙の中で行儀よく十本のまま。
新しいマッチの箱の額にはまだ擦り傷がない。

かれは鍵を廻してドアをあける。
むっとする空気と 暗さの中
蛍光灯をつけ 鞄を置く。
カーテンを開き 窓をあける。

日曜日の朝の ビル街からの風。
そこに走ってくる 最初の自動車の色が問題だ。
黒ならば未亡人となった姉に
青ならば新聞記者の飲み助に
クリーム色なら 若い映画監督に
チョコレート色なら 久しく会わない
あの 画商となったつまらぬ女に
電話をかけることを賭けたのである。

白!
かれは鞄の中の外国の古典を思いだす。
机に坐る。
しかし 鞄から取りだしたものは
買ったばかりのトランジスタ・ラジオ。
流れてくるものは 牧師の話
ワルツ
野菜の値段。
かれは朝刊の束をほどいて
昨日の世界に視入る。
ガスで湯をわかし お茶をいれる。
そのマッチを一本別の茶碗に入れる。
本日特別の灰皿である。
寝坊して朝食をぬいた 早目の昼飯はうまい。
途中で買ったコロッケ三つとクロワッサン。
伴奏の放送は浄瑠璃。
やがて ソファで昼寝する。

何時間何十分眠ったかかれは知らない。
とにかく 小説を読む時刻である。
読みつづけると エレノールは言うのだ
(どうして希望を返して下さったの?)
(寒気がしてきたわ)と。
かれはふと電話をかける
満二歳になったばかりの自分の男の子に。
すると 片言の返事が宙に浮く。
(パパア?
パアパン!
パッパア!)
かれは手のひらに
昨日の赤インクの 金米糖のような形を見つける。
爪が別の生き物のようにのびている。

ようやく 帰る時刻だ。
急にかれは真剣になる。
残っているタバコは二本
灰皿の中の吸がらは八本。
灰皿に捨てたマッチは九本。
マッチの箱の頬の傷は九つ。
あくまでも合理性を信仰する!
その灰皿を水びたしにしたあとで
なおも 部屋の中をあちこちから
しゃがんだり 立ったり 這いつくばったりして
さまざまな角度の視線で点検する。
煙はないか?

窓をしめ カーテンをかけ
蛍光灯を消し 鞄をもって
オフィスに再びがちゃりと鍵をかけると
かれは愉快な通行人である。

(『現代詩文庫 清岡卓行詩集』より)




他二篇



「静かな日曜の午後に」


小学生のとき 修学旅行で
はじめて遠く 別の都会に出かけ
同じ土を踏んでいることに また
同じアカシアの並木が
舗道に影を投げかけていることに
雨あがりの朝
二本の足が地につかないように感じた
幼い響き。

結婚をして一週間目 とある遺跡で
妻とあかずに眺めた
古代の人の履物や食器や舟の実物
そして 住居や寝床や倉庫の模型。
夕焼けを浴び
人間の生活の日々が 昔から
どれほども変っていないことに
ふと 奪われた言葉。

自分に子供が生れるふしぎさに
一人でひたっていた社用の旅先。
案内された退屈な ナイト・クラブで
白人の裸の踊り子の顔の美しいことが
不意に 悲しくなり
膝の上に座りに来た その踊り子の
肉体というものの同じ重みに 一瞬
妻を忘れたおののき。

旅にまつわる そんな記憶ばかりが
なぜ 整列しはじめる?
ぼくは今 どこへも旅立たず
休日の空に 密かに感じているものは
宇宙へのささやかな 悪意の自殺も
戦いで殺された 優しい希望も
死体としてひとしいという悩ましさへの
言い知れぬ疑惑であるのに。



「一日の長さ」


ああ 春のよく晴れた休日が
こんなに短いなんて。
一週間分の疲労から抜けでるように
やっと眼ざめた正午。
朝昼兼用のスープの底には
まるで きょうの心を支える
ちいさな神秘のように
鶉のゆで卵が沈んでいたが。

もう夜。

きょう一日
ぼくはいったい何をした?
たまっていた返事の葉書を書き
ポストに行ったついでに散歩をし
とある店先で
取替えねばならぬ風呂桶などを眺め
家に戻って夕食後 十七世紀ごろの
地中海の風がそよいでいるような
弦ばかりの慌しい戯れを
束の間うっとり 聞いたほかに?

明日のランドセルをととのえて
すやすや睡っている子供の髪に
そっと頬ずりをすると そこには
あたたかい陽の光の匂い。
砂や草や鳩や犬や積木などの匂い。
そして すこし甘い汗の匂い。
すべて ゆるやかな 萌黄の時間。
夢がまじりあう幼い世界は深く
一日は なんと長いのだ。




ひと言

私が本格的に詩を書こうと思ったのはこの3、4年のことだから、多くの詩人たちを知らずに過ごしてきた。清岡卓行さんは今年6月に逝去されてしまい、今となってはその作品は清岡さんの遺稿ということになる。生前、お会いすることはなかったけれど、今、こうして、清岡さんの作品に巡りあえた幸せを噛みしめている。じっくりと読んでいきたい作品ばかりだ。



清岡 卓行(きよおか たかゆき)(1922―2006)

旧満州国大連に生まれる。東京大学文学部仏文科卒。
中学生の頃からフランス近代詩に親しみ、旧制一高在学中は萩原朔太郎、ランボーに魅せられる。
初めて詩を発表したのが19歳、一高生の時。
1949年、東大在学中に、日本野球連盟に就職。のちにセ・リーグ事務局勤務。
1951年、東大卒。卒論のテーマは、フランスの脚本家シャルル・スパークであった。
この年、『世代』 同人となり、その後、『現代評論』 『今日』 の同人をへて、1958年、武井昭夫、針生一郎、奥野健男、吉本隆明らと『現代批評』創刊。
1959年、最初の詩集 『氷った焔』 をユリイカより刊行。大岡信、飯島耕一らと 『鰐』 創刊。
1964年、セ・リーグ事務局退社。法政大学講師となる。のちに教授。
1969年、小説を書き始め、第二作「アカシヤの大連」で翌年、芥川賞を受賞。
1970年、岩阪恵子(作家)と結婚。
2006年6月、間質性肺炎のため逝去。享年83歳。

詩集: 『日常』、『四季のスケッチ』、『固い芽』
小説: 『アカシヤの大連』、『フルートとオーボエ』、『夢を植える』
評論、随筆: 『手の変幻』、『萩原朔太郎「猫町」私論』、『窓の緑』


(集英社 『日本の詩 現代詩集(二)』 「清岡卓行」、Wikipedia 「清岡卓行」より参照抜粋)
          
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by hannah5 | 2006-10-17 22:30 | 私の好きな詩・言葉

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