私の好きな詩・言葉(102) <言葉たちは芝居をつづけよ、つまり移動を、移動を>(野村 喜和夫)   


息吹節

這う眼のさきへ息。
こころみに吹きかけて。
息のした。たまらなく秘匿され。
たまらなく胚かなにか。
ニュートリノ。
燐光は立ち。
めぐりはいまも生まれたてのへこみや突起のうえ。
たまらなく渚。パレード。
水を通さない実名詞のうす膜。
それ。おまえはそれ。
たまらなくあえぎハアハアと。
たまらなくあやうく。
ひくく。
さらに水よりもひくく。
這う眼のさきへ息。
うちふるえ。なりあわさり。なりあまり。
こころみにヒトデ。
こころみに藻。
女波。
もの狂いの額ほどにあらわれている海!
呼ぶと呼ばれて。
走りだすひとのあぶら身あわく。
なまの。たまらなくなまの。
いつわりの。
まだ影を含む。
まだ泡。まだ水面のまなざし。
まだ羊腸をまねている傷痕。
からみあい。ねじれ。のぼってゆき。
さける。
さけぶ。
そぼ濡れの卑語ひらき。
流木ら。
へい。ペニンスラ!
何かしら手斧。
こころみに蛸へのドア。
たまらなく無名骨の蠱惑。
静謐。
空。どこへでも垂れて。
その大きな指のはらによっても消しえないよ。
たまらなく脈。
粒子状ざらざら。
それ。おまえはそれ。
這う眼のさきへ息。
息のした。夢のした。
思いのほか刺青めくそのけざやかめ。
たまらなくめくられ。
たまらなくむきだしの。
純粋の。
それ。ダンサーのあえなさ。
サムライのうすぺらさ。
縁日のふかさ。
そしてようやく頑ぜないセックス。
ようやく挂角をそがれた神経。
呑む。うたう。出かけてゆく。
かまうな。
息は送りかえされない。
たまらなく波瀾にとみ。
たまらなく謎めいて。
たまらなく風。
こころみに耳。
いまここに胎蔵されるべき。
それ。息のかたち。
こころみられて。
みえる嚝野の不充足のさき。
ごった煮の道々をぬけて手にない蛇のうねる聖痕よ。


(未刊詩集<言葉たちは芝居をつづけよ、つまり移動を、移動を>、 『現代詩文庫 野村喜和夫詩集』 より)



他2篇


裂開節

さきぶれていちめんの
いちめんの光、いちめんのきざし
鶏の子のめざめの
旗の、凧の
宙まろか
ひだはなく
とじられて密な
そのうちのそと、そとのうちのそと
とじられていちめんの
さわるとへこむ眠りの壁
茫然とタイル
みつめると汗をふきだし
紐状の
あ、裂け目
かつてない地と空のすきま
がななめに走り、少しひらくので
そこからむこうを覗きみることができる
とべない
黎明を背に
夜の果てにあがめられ
くらく眼状班のあるむこうを、またむこうへ
本質的なちからがまだ滴となり垂れているむこうへ
一度だけ、そっと
距離は育てないまま
たとえば指のはら挿し
入れてみる
と思いのほかふかく、狂おしく
息つめている手書きの貌たち
まねき寄せようとして、かえって
あふれてしまう二又や爪や
浮遊せよ、花車!
そのかりそめの放恣
猿の胚
がひとしきり蝶香のようにまわるので
末法ニ入ル
よな雪紋のひしめき
後刻、混沌のこっちへ
アーサー・G・ピムのみた水のような道がめぐって
ひらき、分かたれ、合わさり
虎がりて、ささくれて
そのうえをゆきまよう成り立ちの脱けがらたち
碑の不意の出がらし
宙まろか、またしても
とまれ
はじめに何が欠けていたのか
もうだれにもさぐれない、うたえない
いちめんの老いのパレード


顕現節

  (道すじは書きしるすまでもあるまい。広小路があり、ターミナルがあり、辻公園があり、
  さらには杜があり、潅木の茂みがあって、それからまた道がうねり出す。ただし迷路で
  は踏み迷うこと。きみの苛立ちと疲労と、とりわけ方向感覚の乱れとが、かえってただ
  ひとつの道すじであるかもしれないからだ。そう、この道ゆきにあっては、歩むという
  行為そのものがきみ自身を抜けてゆき、きみ自身を脱けがらのように背後にうちすてて
  ゆく。すると突然)

いちめんのこまかな(葉むら)を透かして
誰のものともしれぬ
ゆがんだ(デスマスク)と
三度九度めぐりあう
あるいは蛇の皮の息づくおだやかさ
その(雪)けむりたつ頭頂部の
針めく結晶体の茂みをつたって
はるか波打ちぎわに置く造花の妙までの
ちらめく(幾何)全体に
わずかえぐられている何かしら行列の雛型
しかし葬列ではなく
(老い)の初々しい行列
手に手をとって
なつかしい未知の祖たち
ほとんど奇跡ですらあるそのゆききの俤を
おお(羊歯)でかくしたりするな。

空には波状の石目が皺より
(ときに)まるい班文をはじき出す
きりぎりしから落ちる廃墟図入り嬰児の
夢を噛む(頬)のように。

そしてゆったりとうねり走る袋街に
わずかせり出している何かしら行列の雛型
その(ひと)をさす指のはらから飛び去ろうとして
せつな
芒(のぎ)をそろえた穂もしるく
動かぬものとされ(青)に
くまどられて。

せつな
ちぢれあがる(岬)ひとつのあらわれ。


ひと言

交歓の極み


野村 喜和夫(のむら きわお)

1951年10月20日、埼玉県生まれ。早大文学部卒。
詩集 ―― 『川萎え』 (1987)『わがリゾート』 (1989) 『反復彷徨』 (1992) 『特製のない陽のもとに』(1993)
評論 ―― 『ランボー・横断する詩学』 (1993)『散文センター』 (1996)
翻訳 ―― 『海外詩文庫・ヴェルレーヌ詩集』 (1995)など
CD ―― 『UTUTU-独歩住居跡の方へ』(1996)
参加イベント――「00コラボレーション・詩と美術」(1993)、「オト・コト・コトバ」(1994)、「詩の外出――21世紀へ、身体/映像/音楽とともに」(1995)
参加詩誌 ―― 「詩的現代」「00」「歴提」など。
ブログ: ポエジー

( 『現代詩文庫 野村喜和夫詩集』 よりコピー抜粋)
[PR]

by hannah5 | 2007-04-13 01:21 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

<< 詩を書くとき 交歓の極み >>