私の好きな詩・言葉(106) 「皿のうえのこぼれたパンのくず」       (小池 昌代)   


立たなくなる という話をしているときでした
部屋の窓から 紅葉するいっぽんの樹木が見えていた
女たち四人
わたしは
あなたでは立たないでしょう
と笑いながら 男の友人が言った言葉を思い出していました
そのひとがそういったとき わたしも笑った
そうかもしれない と思ったものですから
逆流してくる黒い水が。
あなたはとてもきれいです
ひげがはえているけれども
類似したものに丸をつけてください
ずっとふしぎでなりませんでした
コーヨウを見たいというわたしの目の欲望が
セックスしたい
あの色がほしくてたまらない
ヒトでなく 色に 欲情するなんてねえ
コーヨウを眺めながら
女たちはみな
高揚を押さえられず
静かな丘のもりあがりを感じていました
色は観念ですよ そこに赤があるのではない 赤く見えているだけ
画家のバージニアが言いました
ただ あたしたちは見たいのよ。凝縮したイノチをね
薬剤師の牛田さんが言いました
むかし、子供が わたしの子供がと
何も言わなかった織部さんが語り始めます
むかし、子供が
電車のなかで ダウン症の子供を見つけたの
わたしの手を振り解いて ぐんぐん近づいていって 言ったんですよ
「きみとはいろんなところで会ってる だから きみとはともだちだ」
ダウン症は その顔つきに特徴があります
どんな子も似ているわね
いろんなところで会ってる
だから
きみとはともだちだ
静かにもりあがる丘が見えていました
波も部屋に入ってきたそうにしていました
織部さんはいくつなのかしら よくわかりません
テーブルのうえに 柿の種が散らばっています
駱駝って復讐する動物なんですよ
母という母が
ビニール袋にテヅクリの食べ物をつめて
宅急便で送ってくる季節です
娘たちはそれを みんな腐らせて捨てます
あたしにかまわないでよ
ヴァージニアは六十五歳まで生理があったそうです
女たちばかり、同窓会が終わったあとのトイレのなかで。きょう、あたし生理だから、といったところ、みんな、ぎょっとして、わきにわいたといいます。まだあるのまだあるのまだあるのまだあるの。医者に止めてもらった。彼女は言いました。
あの鮮血
血を見る代わりに紅葉を見るのかしら
あなたとどこかでお目にかかりましたね
あなたとは あらゆるところで会った
だから ともだち
逆流してくる黒い水が。
女たちは よく似ていて見分けがつかない
と思うそばから まるでばらばら
誰も誰かに似ていない
うちのCDやDVDは 蓋をあけても本体は入っていないわよ
いばることじゃあないでしょ
中身はからっぽ あるいは別のもの
ものは あるべきところへ
水は 低きへ
そういう秩序にあきあきしたの
大量の水が 押し寄せてくるわよ
もうすぐに
四人のなかに
なにかがしみて
さっと広がる
ナプキンに落ちた鮮血のように
それから静かになり
話すこともなくなり
樹木が紅葉し
それも散ってしまって
ノック、ノック、ノック
だれもいません
冬の黒い波が ノックしています
入れて


(『現代詩手帖 1月号』より)




もう一編


「十の点描画 6」


 初めて詩を書いて、それをひとまえに提出した日。詩の教室の一日目。池袋というわたしにとっては、東京で、もっとも不吉で落ち着かない町に、それはあった。初日、エレベーターのなかで、教室の「師」と偶然乗り合わせる。吉原幸子。作品なんか、読んだこともなかった。ただ、詩の教室があるよ、と友達に教えられた。いってみれば? いってみると、きっといいと思うけど。わたしもきっと、そんな気がした。それでここへ来たのだ。
 あ、詩人がいる。あのとき、異常な存在感が、狭い空間のなかで、わたしを圧した。詩人はわたしを一瞥もしなかった。そこにひとがいることなど、知らないかのようだった。詩人は一度も目をあげることなく、わたしの入るべき教室のとびらを先にあけて、さっさとなかへ入っていった。
 大きな紙にたくさんの詩がコピーされている。生徒たちが、事前に師のもとへ送っておいた詩である。
 わたしのものもある。自分の詩がとりあげられる番になると、わたしは全身が羞ずかしさで燃えあがる。その恥ずかしさは、人前で性交することよりも、確実に上を行くものだと思う。
 なぜ、こんな恥ずかしいことをやろうとしているのか。教室が終わったあとは、いつも不安と恍惚で、いっぱいになる。たかだか、詩のような文字のつらなりを書いて出したにすぎないのに、自分にもたらしたこの異常な作用。わたしは自分の生が、いびつなものになっていくような不安を覚える。
 わたしは詩の教室をすぐにやめてしまう。こんなところ、すぐにやめてしまおう、やめなければと思って、やめてしまう。エレベーターのなかで、詩人に出会ったとき感じた、周囲を圧する異常な存在感。あのときわたしは、化け物に出会った。そんなひとにわたしはあれ以来、ひとりとして会っていないような気がする。
 わたしの詩は、時々、ほめられた。時々、めちゃくちゃにけなされた。なぜ? というくらい、心臓がこおりつくほど罵倒された。そんなこともまた初めてのことだったが、わたしはまたけろっとして、詩を書いた。不埒な意気込みは、まるで遅れてきた不良少女のようだった。


(『現代詩文庫 小池昌代詩集』より)



ひと言

「皿のうえのこぼれたパンのくず」― 唐突な始まり、たぶん誰も思いつかない出だしなのではないだろうか。年を取ってくると生理的な機能が低下してくる。まだ性欲の残っている人と残っていない人。こんなふうに生命の赤裸々を書ける小池昌代さんは、やはり器の大きい人だと思う。読んだ時、とても印象に残った作品である。

2番目は「十の点描画」の6番目にあった作品。そうか、小池昌代さんでもけなされて罵倒されたことがあるんだ、と少しほっとした。誰でも1度や2度は作品をけなされたことがあって、そうして詩人は成長するし、褒められてばかりいたら大きくならない。それでも、やはり罵倒されればめげてしまうに違いない。小池昌代さんのような先輩が歩いているから、私も歩こうと思う。



小池 昌代(こいけまさよ)

1959年東京・深川埋まれ。幼年時より、詩という概念に心惹かれ、いつか言葉によって、詩を書きたいと切望した。第一詩集『水の町から歩きだして』(1988)以後、『青果祭』(1991)、『永遠に来ないバス』(1997、現代詩花椿賞)、『もっとも官能的な部屋』(1999、高見順賞)、『夜明け前十分』(2001)、『雨男、山男、豆をひく男』(2001)。エッセイ集には『屋上への誘惑』(2001、講談社エッセイ賞)。このほか、数冊の絵本の翻訳がある。

1995年、「音響家族」創刊。1989年~1999年にかけて、林浩平、渡邊十絲子とともに、詩誌「Mignon」を作り、2002年からは、石井辰彦、四方田犬彦をメンバーとする「三鷹2」に参加した。
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by hannah5 | 2007-06-11 23:21 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(2)

Commented by 104hito at 2007-06-12 07:20
「静かな丘のもりあがりを・・・」

とても素敵な表現ですネ
Commented by hannah5 at 2007-06-13 02:30
◆ヒトさん、はい、ですね^^

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