私の好きな詩・言葉(115) 「えいえん(佳子1997冬)」        (武田 聡人)   


 「もしもし、もしもし、神様ですか?」
 祖父から譲り受けたアンティークの電話機で、佳子は今夜も何者かと会話している。その電話機は飾り物でコードは何処にも挿してない。まあ、神様の声を聞くのに電話線を介さねばならない理由というのも思い浮かばないが、明らかに佳子は崩壊しつつあった。佳子には僕の背中にぽっかりと開いた虚無が見えるそうで、毎日神様にその穴を埋めてくれるようにとお願いしてくれているのだった。
 始めは些細なことだった。対人緊張の度が増し、雑踏の中に出るのを怖がり部屋から出ることが出来なくなった。毎日日没時になると窓辺から恐怖に慄いた目で夕日を眺め、「つれてかないで、つれてかないで!向こう側へ連れてかれちゃう、淋しいよ、淋しいよ」と泣き喚き、「あんたはぜんぜん私を見ていてくれない」と僕を責め、終いには車のキーや靴を隠すなどして僕の出社を妨げるようになった。
 全ては僕のせいだった。ピラミッドを逆さに立てようと試みたかのような僕らの生活、はたしてそれが生活と呼びうるようなものであっただろうか。
 或る時僕は探偵だった。最初から存在したことのない何者かを追跡するのが専門だった。また或る時僕は夜警だった。四頭の巨大な象の背中の上に支えられた円盤状の世界の果てで、決して届くこのとない何者かからの合図を待つのが勤めだった。全ては虚無が、僕の中の虚無が原因なのだ。
 神様との電話が始まった頃のとある晩、職場に病院から電話が来た。佳子を保護しているので直ぐ来てくれとのことだった。病院で会った佳子からは全ての表情と言うものが消えていた。何を問い掛けても反応がなかった。電車の中で、「うるさいわねえ、黙っていられないの!」と叫んだ後、昏倒したのだという話だ。入院することになった佳子を置いてアパートに戻ると、居間の床一面に土が撒かれていた。いやはや今度はアパートまるごと使ってガーデニングかい?片付ける気力も沸かず、ソファーにごろりと横になる。サイドテーブルを見ると、空になったナデシコの種子の袋が幾つも幾つも几帳面に折り畳まれて、星型の図形を作っていた。

   *

 最初の入院から帰ってきたその年の冬、佳子は麻痺したようにぼんやりと窓の外を見ていることが多かった。相変わらず神様との電話は続いていたが、もう夕日を恐れることはなくなっていた。
 その日、朝早く目覚めた僕は久々に佳子を外に連れ出すことに成功した。テレマークを履いた僕らは、近くの河川敷の疎林をゆっくりゆっくり散歩した。遥かな空の青みから幾筋もの光の帯となって射し込んで来る木漏れ日がとても美しかった。久々に身体を動かしたせいか上気した顔で息を弾ませながら佳子は言った。
 「ねえ、えいえんってこういうものなのかなあ。」
 そうかもしれないね。
 「ねえ、えいえんって何?どんなえいえん?」
 さあ、どんなものだろう、きっとお日様の光のように暖かくて優しいものなんじゃないかな。
 「そうかなあ、そうだといいね。」
 誰もいない林の中に、雪球を投げ合って子供のように戯れる佳子の声が木霊した。

   *

 その晩、仕事を終えて部屋に帰ると、佳子の姿は灯油のポリタンと共に消えていた。けたたましいサイレンの音がドップラー効果を実演しながらアパートの前を通り過ぎていく。救急車のサイレンの音を追って河川敷へ走ると、人垣の向こうの雪野原の中に、人の形をした炎が灯っていた。

   *

 その後、僕も何度か神様に電話をかけた。
 「神様、神様、これもあなたが望まれたことなのですか?」

   *

 神が答えるわけがない。


(武田聡人詩集 『えいえんなってなかった』 より)





他2篇


「日々の泡」


今夜も更けていきますね
電信柱を伝わって
海岸草原まで来てみれば
月の光の照らされて
夜花の群れがほのかに光り
パラボラのある丘の上へと
ハマナスの香りをいただきながら
石段をひとつひとつ踏みしめて
あなたの姿を求めれば
大きなもみの木の上で
ゆらりゆらりと風にそよぐ首吊り縄

静かに凪いだ海に
星の光が映っている
海の底では
見知らぬ者がぶつぶつ呟く
日々の泡のように
消えていった風景

消してしまえばよかったのか
なにもかも最初から
存在したことなどなかったかのように
跡形もなく

海の背中は黒々と光り
空と交わるところで裏返る
果ての果てには何があるのだろう
日々の泡のように
消えていった風景



「桜」


夜が呼んでいるような気がしたので
誰かが待っているような気がしたので
自転車のかごにウイスキーボトル入れて
僕はさんぽに出たのです

どこか遠いところで
凪いだ海のおなかの中
呼び交わす
鯨の声
誰もいない神社の参道には
夜桜が
咲きほころんでいたのです

まいちる
まいちる
えいえんの
うす桃色の花びらは
ロンドを舞う可憐な少女

甘い香りがやさしくて
そのやさしさが悲しくて
僕は
すべての花びらに火を放ち
死ぬには良き日だとつぶやいてみようか

えいえんの
えいえんの
うす桃色の花びら



ひと言

詩の投稿サイト、「文学極道」を主催・管理されているダーサイン(武田聡人)さんの詩集。

北国の荒涼とした風景の中で、悲しさと寂しさが生まれては死に、死んでは生まれる。どんなに強く願っても指の間からすり抜けていってしまうもの。それが若さ故の力不足なのか、あるいは人生の悪戯なのか、私にはわからない。

あれから何年か経ちました。悲しみは少しは癒えたのでしょうか。



武田 聡人(HN ダーサイン)

文学極道」主催・管理。
詳しい略歴はわからない。

ダーサインさんのHP: えいえんなんてなかった
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by hannah5 | 2007-11-18 00:36 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(2)

Commented by Adam at 2007-11-18 17:47 x
お久しぶりです。

私は永遠なものもあるんじゃないかと思っています。たとえば、「三角形の内角の和は2直角である」なんて現実の世界ではありえませんよね。厳密にいえば。測定には誤差がつきものですから。ですから、この物理的世界がかりに滅んでも、そうした真理はこの現実世界を超えて成立しているのではないかと思いますね。そして、そうした真理に与れる私たちの魂も、部分的に永遠を含んでいるのではないかと思ったりします。

「神が答えるわけがない」

もし神がいるとして、ある種の人格をもっているのであれば、きっと神は公明正大でしょうから、だれの願いごとも聞かないかもしれません。一人の願いごとを聞いてしまったら、みんなの願いごとを聞かなくてはなりませんから。
Commented by hannah5 at 2007-11-19 15:32
♯Adam さん、お久しぶりです。
永遠なものはいろいろあるでしょうね。
物理は苦手なので、おっしゃられた三角形の内角云々はよくわかりません^^;
でも、宇宙とか、時間とか、星とか(消えていく星もありますが)永遠性をもっているものはありますよね。
あと、神さまとか。

キリスト教の立場からすれば、神さまは人格をもっているので1人1人の願いごとは聞いてくださるし、答えてくださいますよ。

でもこの詩は、そういうことより、私たちが乗り越えることのできない不幸や事故や病気に遭った時、誰しもが持つ疑問を書いたものだと思います。
神さま、あなたは本当にそこにいるのですか?私の苦しみを知っていますか?みたいな問いかけは誰でもするでしょう。
クリスチャンでもしますからね。

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