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言葉を拾う ― 日中現代詩シンポジウムから その1   


2007年11月29日から12月3日まで「いま詩に何ができるか」をテーマに「日中現代詩シンポジウム」が行なわれたが、現代詩手帖2月号に日本と中国の現代詩を代表する詩人たちの討論の一部始終が掲載されている。その中から印象に残った言葉をいくつか拾ってみた。(敬称略)


「伝統/モダニズム」

「極端なことを言うと、現代詩人は自分の詩以外は読まない。ほんとは同時代のすぐれたひとの詩、自分と違う詩をもっともっと関心をもって読まなければいけない。それと同時に違う時代のそのときにおけるいちばん現代詩だったものを読んで問うていかなければいけない。自分の詩しか読まないひとの詩なんか全然おもしろくないからどんどん読者は減っていくわけですよ。」(高橋睦郎)

「よく詩を書くときに、いまから百年後、千年後に読まれても新しい詩じゃないといけないという言いかたがありますが、それは同時にいまから千年前に読まれてもちゃんとアクチュアリティがある、訴えかける、そういう詩でないといけないということでもある。未来に対して新しいのと同じように過去に対しても新しい詩をいま書かなければいけない。過去のひとが読んでもちゃんとそれがわかって新しいと思うこと。時間の幅で両側に広げて、どっちから読まれてもなるほどと読まれるもの。読者はひとりでも、百人でもいいけれども、未来と過去の読者にもじゅうぶん訴えうる詩を書かなければいけないだろうと思います。」(高橋睦郎)

「ぼくたちの大先輩に釋迢空というひとがいました。折口信夫さんですね。このひとがとても重要なことを言っている。彼は日本文学の専門家ですから日本語に限って言っているのですが、「日本の詩のいちばんいいものは、何も言っていない。結果的に何も言っていない詩がいちばんすばらしい詩だ」と。「雪の塊を手で掴んだ時に、それが掌の体温で蒸発して何もなくなって冷たかったという記憶しか残さない。そういう詩が書けたらそれがいちばん素晴らしい詩だ」と言っているんだけれど、それは日本の詩だけでなく、あらゆる詩がそうじゃないかと思います。読んだ後、ああおもしろかったという印象を残すだけで何も残らないほうがいいんじゃないか。」(高橋睦郎)

「言語はあくまでも幻想です。その奥、最後にあるのは沈黙で、これが詩です。」(楊煉)

「私たちの世代は、新聞などのメディアでは「ロストジェネレーション」と呼ばれていて、戦後のベビーブーマー世代である「団塊の世代」の子ども世代とほぼ重なります。同世代の数が多いため、大学受験まではものすごい受験戦争を生きてきたのに、就職する時期になるとばったり経済成長が途切れて就職難になる。いま日本経済は多くの問題を抱えていますが、この日本の経済的な「衰退」とも言える状況を他の世代に先駆けて身に受けてしまった世代です。・・・(中略)・・・私自身が使い捨ての旧型大量生製品のようなもので、大量生産大量廃棄が個人史になった(笑)。その中で詩を書いている。・・・廃棄されたごみ箱のようなところから詩を書いている感じなんです。」(水無田気流)


「アジア/ヨーロッパ」

(「戦前のヨーロッパの文化の影響を受けた詩人の書いたものと、戦後のアメリカの文化の影響を受けて書いた詩の表現は違いますか」という欧陽江河の質問に答えて)「方法的には、戦前は象徴主義的、戦後はよりひらかれた言語空間へ、といえると思います。それと、戦前は情緒的な部分にかなり揺れがあった。さっき中国人のなかでヨーロッパに対する意識というのは両極端になりやすいとおっしゃいましたが、たとえば高村光太郎-高村光太郎に限らず、日本の近代の知識人は、自分のなかでその両極端を生涯のうちに演じてしまう。まずヨーロッパに行ってうちのめされて、ヨーロッパ化しなきゃと思って帰ってくる。ところがその差はなかなか埋めがたい。そこで別の極、日本回帰という言い方をされますけれど、そちらのほうへ行く。あるいは沈黙してしまう。西脇順三郎など、そういうパターンが多く見られます。」(野村喜和夫)

(「『脱亜入欧』を言いながら、なぜ日本的な固有のものを保持できたのかという問いについて」という野村喜和夫の質問に答えて)「日本人のなかにはむかしからの日本人の生活様式がひじょうにがっしりとあって、それが日本の伝統をつくっています。そして日本人はその伝統を押し揺るがすほどのつよい影響はヨーロッパにもアメリカにも受けていない。ご存知のように、中国と日本、アメリカと日本には戦争がありました。日本は最後にはアメリカの原爆でやられておしまいになった。負けた、という感じになったんです。だけど「負けた」というのは日本人の生活が負けたんじゃない。自分たちの外面的な部分が原爆を落とされて、それで負けたとなっただけで、生活自体は変わらなかった。だから日本人はひじょうに頑固にむかしからもっている伝統を守りつづけていて、知らん顔して外部からやってきた圧力をみんな受け止めて嵐が過ぎ去るのを待っていた。・・・おそらく八世紀頃から日本の生活様式は根本的には変わっていない。」(大岡信)

「いままで気づかなかったのですが、書くという行為の原点が東洋と西洋では異なることを感じました。東洋の場合にはこういう言い伝えがあります。あるひとが琵琶を弾いているけれども、まわりのひとはそのひとが何を弾いているかわからない。ある日、その琵琶を聞いたひとのなかに、高い山に水が流れているようなたいへんに精神性の高いものが演奏されていると、初めてその音楽をわかってくれるひとが現われた。中国語では「知音」という表現があります。これは現在ではもっとも深い友人の意味になりましたが、つまり作品や心、深く孤独でだれもわからないところをあなただけがわかるという関係が「知音」です。知音は東洋人の「書く」ひとつの原点です。自分が書くことをわかってくれる耳がかならずどこかにある。いますぐにはなくても、千年、二千年のあとにその耳が現われてくるかもしれない。」(欧陽江河)

「私は言葉には三つのレベルがあると思います。一つ目は字引でわかる次元、二つ目は日常で使う言葉の次元、三つ目の言葉の次元は詩人の次元です。ふつう、ひとが言葉を使う場合、言語共同体には最初の二つの次元の言葉しかありません。コミュニケーションの次元に留まってただ自分をわかってもらうために言葉が存在する。・・・日常で使われるレベルで書かれた詩は翻訳できます。しかし三つ目の次元で書かれた詩は翻訳できない。同じ民族のひとであってもわからない。この次元で書かれた詩が最高の詩です。」(欧陽江河)


日中現代詩シンポジウム その3

by hannah5 | 2008-02-06 23:36 | 詩のイベント

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