私の好きな詩・言葉(120) 「不来方(こずかた)」 (城戸 朱理)   


涸川を渡るのは貞任(さだとう)橋、
いつまでも対岸に届かぬ軀を
つらそうに 少しずつ
追いやるようにして
あなたが追うのは、秋。
山郭は依々として
鳥もけものも午睡のうちにある
粧(よそお)いも深く紅だけあかく
戯れに真似てみるには
あまりに鮮やかな偽絵のよう

川の名は諸葛(もろくず)川、
あなたは指折り数えるが
何もかうろおぼえで。
もう会うこともないから、と
左右に分かれていく雲に似て
水系は伸び
いくつもの橋を流し去ってゆく

あなたは指折り数えるが
ほそい指は今しがた
川の魚の腹をなでたようで
清い瀞(とろ)を思わせる
あなたは順に指を折る
せいしゅん、青春。
せきか、赤夏。
はくしゅう、白秋。
げんとう、玄冬。
それは季節、それとも一生?
あなたは最後の小指を立てたまま
「それだけ」と口にする
それだけ、ただ生きているだけ。
駒ケ岳から水は生じ
雫石(しずくいし)川を水は流れ
川面には小さな筏が浮かぶ
あれは、百年前のまぼろし。

あなたの影は
方丈の隅に潜む闇のよう
陸稲(おかぼ)に蜻蛉がまどうころ
夏だから生まれる者がいて、
夏だから息絶える者がいて。
あなたが渡るのは三馬(さんま)橋、
小心な橋を踏み抜かぬように
自矢の身を運ぶなら
北上の淵に銀の腹を見せるのは
朱を刷いたうぐい、そして、あゆ
生まれなかった子供。
あなたは橋を行く
誰に命じられたわけでもなく
あなたがそうしているのが
千年の血の裔の証し――

けれども、
渡河する姿は死人(しびと)のよう
残された小指のよう。
誰もが目を伏せるのは
戯れに真似てみるには
その立ち姿が
あまりにあの世に近すぎるから。

川筋にだけ伸びていく眺望、
ここはそれだけの土地
筏流しが陸揚げされる土手に
残されるのは治水の碑
花崗岩の石積みをすすいで
静かに川は流れる
それも、百年前のまぼろし
よノ字橋、毘沙門橋を過ぎて
あなたは指折り数えるが
確かなものは何もなくて
そのくせあまりに鮮やかで。
いずれ、百年前のまぼろし

それとも――
編まれた地理が伝える
贋の過去?
遮られることに応じて道は折れ
耳の奥には
山鳴りが響きつづけるから
「あれは死人。」
針葉の先にぼおっとともる
あおい光を指差して
あなたは指を折る
せいしゅん、せきか、はくしゅう、げんとう
たたずむなら鑪山橋、
ふと気づくと
人生が終わっていたとでもいうように
無音の世界は広がって
鳥もけものも
醒めることのない午睡のうちにある
川が建てる落魄の音に
亡家の音も消え。
「このあたりの者」と
応答(いらえ)は限られて
あなたがたに
郷里は失われて久しいと云う
その街の名を、不来方(こずかた)。
それは二度と訪れぬという
古(いにしえ)の誓いの残した名。
あなたはふと気づくと
自分の生が終わっていたとでもいうように
淡い粧いで橋を行く
戯れに真似てみるには
あまりに鮮やかな偽絵のようで
誰に命じられたのでもなく
あなたはまるで死人のよう
清らな淵や瀞に
破鏡のさざなみは立ち。
今、だれかが身を投げる
それも、百年前のまぼろし。


(城戸朱理詩集『不来方抄』より)





解題

不来方

 盛岡の古名である。その由来は、「覚え書き」※に記した。
 その呼び方は、今日、盛岡で暮らす人々にとっても、それほど親しいものではない。わずかに江戸時代に、そのあたり一帯を領した南部氏の居城が、石垣だけを残す史跡公園となっており、不来方城跡と呼ばれることがあるくらいだろうか。かつて、石川啄木は次のような一首を詠んだ。<不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心>。
 啄木歌集中、とりたてて問題とすべき一首ではない。ただ、頭上の空との対峙のうちに、帰郷譚に囚われた晩年の啄木とは異質の解放があるばかりである。
 故郷を出ていくこと。そして再び故郷に帰っていくこと。近代的な喪失と回帰の物語を、「二度と来ない所」という意味の古名、不来方は拒否している。いわば、その名で呼ばれる土地は、あらかじめ失われてある故郷なのだと言えるだろうか。(『不来方抄』/「解題」より)



不来方とは、二度と来ない所という意味であり、その地名のいわれは次のように語られている。時も知れぬ上代に、飛来して大地に突き立った三つの火山弾が、いつしか神体として人々の信仰を集めるようになり、三ツ石の神と呼ばれるようになった。ところが、時代を経て、鬼が現われ、しばしば里人を苦しめたので、人々は三ツ石の神に祈り、悪鬼を捕えてもらった。鬼は恐れおののき、二度とこの土地に来ないことを誓い、その証として三ツ石に手形を残して去ったのだと伝承は伝える。巨石に残された手形から、「岩手」という地名が生じ、二度と来ないと誓った場所であるということから、「不来方」という呼び名が生じた。それが、口伝のあらましである。

二十代の終わりから、私にとっても故里は、時折、訪れるところでしかなくなった。久方の帰郷のたびに、私は「不来方」という地名のいわれを想い起こす。その山河は、なつかしいものである以上に、痛ましい。それは、ただ、たんに自分のいささかの感傷を反映しているだけなのかもしれぬ。だが、私は、郷里の土を踏むたびに、そこが二度と訪れるべき場所ではなかったことを確認するのだった。(『不来方抄』/「覚え書き」より)



ひと言

私にはいわゆる「故里」と言われるものがない。東京で生まれ、東京で育ち、10年ほどの空白はあるものの、その人生のほとんどを現在の居住で暮らしている。人が故里を思う時、大抵は山や川や林などの自然とそこに暮らした自分の暮らしと人々の在り様を思い浮かべるものだが、私の場合、そうした自然の中で暮らしたことがないため、東京を離れた時に懐かしく思い出すのは近隣のコンクリートの街並みや、新宿の高層ビルや、車で何度も飛ばしたことのある湾岸道路である。実際、どこか自然の多い所に2、3泊して東京に入り、高層ビルが見えてくるとホッとする。従って、郷里を持つ人が郷里を離れて想う気持は私にはわからない。(反対に、高速道路や高層ビルを見てホッとする私の気持も地方で暮らしてこられた方にはわからないらしい。)

城戸朱理さんの「不来抄」は初めて読んだ時、私の中を素通りした作品だった。詩の中に置かれている言葉は理解できても、言葉の向こうにある故里に対する城戸さんの思いを読み取ることができなかった。しかし、何度か繰り返して読むうちに、歴史の底に沈殿している「不来方」が、古の清涼とも思われる空気の中から徐々に立ち現われてくるのを見た時、私の中で騒ぐものを感じた。故里への懐かしさは詩の中にはない。あるのは「痛ましさ」を感じ、突き放して見ている作者の目である。

山河の蒸気、笛の音、般若の面をつけた武士 - 詩を読むうちに、私の中に浮かんできた情景である。




城戸 朱理 (きど しゅり)


1959年盛岡市に生まれる。十代の終わりに西脇順三郎の詩と出会って詩的彷徨を、二十歳のときエズラ・パウンドを読んで詩の咆哮を知る。同じころから詩を書き始め、同人誌「洗濯船」(82~87年)に参加。その後、吉岡実の知遇を得て、詩の現在を意識するに至る。詩集に『召喚』(85年)、『非鉄』(93年)、『不来方抄』(94年、歴程新鋭賞)。他に『召喚』異本としての選詩集『モンスーン気候帯』(91年)、吉岡剛造との対話『木の骨』(93年)、講演録『詩人の夏』(94年)がある。(『城戸朱理詩集』よりコピー抜粋)
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by hannah5 | 2008-02-25 14:37 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

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