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私の好きな詩・言葉(121) 「スカイライン」 (光富 郁也)   


手で、ずれた眼鏡をあげる、八月の、水をふくむ、曇り空。閉鎖された父の勤務先、N社の自動車工場の脇を通り、母の自動車で、霊園に向かう。いままで納めることのできなかった、父の灰が、眠っている。わたしは、新しい眼鏡をかけて、暑い日の、風が、短く切った髪に、距離を教えてくれる。昔、山口から離れて、転々とし、三人ではじめて来た、神奈川の小さな町、住宅地に変わった、かつての田舎道を走る。

走る。風が、熱い。買ったばかりの半ズボンに、袖なしのシャツが、風にはためく。地平の彼方には、見えないものがある。耳に風が音をたてる。母は目の前の車が遅いと、ハンドルを握りながら、怒っている。わたしは黙って、頬を支える手の脇から、外の流れる市街を見る。

団地の狭い部屋、
母は、わたしに声をあげ続けていた。
その後、母は、
トイレで、
嗚咽しはじめる。
動けないわたしの、
手の汗で、布団が濡れる。
わたしは、近所にあずけられた。

翌朝、父がわたしを迎えにくる。
はれた目をこすり、
わたしは、強く、父の手を握る。

(お母さんは帰ってこなかったお父さんも会社からまだ帰らないぼくしかいない部屋ぼくはひとりで窓の外の明かりかわいたおにぎりをかじるひとつだけもつあとは鏡台の裏に隠す味がないだれもいないだれもなにも言わないぼくだけ鍵が落ちるぼくは息をひそめる雨の音がしはじめる外の明かりでぼくはコップの中の水を飲む)

母が退院して、
引越しをした。
日がさしこむ、床。
三人の、青空に、
部屋は、広く、明るくなる。

父と並んで、
グローブと、ボールをもって、
キャッチボールをしに行く、
たてに長い公園。
一球だけ、父を驚かせた、
速球の、重い音の響きに、
わたしはグローブを、
胸にあてて、笑う。
ボールを投げ返す、父の手。

一年後の、折れた春。
わたしは、ふすまの陰から、書斎を覗く。
原稿用紙に、
向かう父は、
机に万年筆を叩きつけ壊した。
病室に移る前の、
部屋とともに残る、背中。
髪をかきむしる、手。

クーラーもろくに効かない、車の中、わたしは、母と違う方向を見ながら、朝そった無精ひげの、残りを手でさすっている。丘をのぼる、地平線の先、その光景を、わたしは見たくなり、身を起こす。

二十二年目の遅い夏に、セミが鳴く。せっかちに先に歩く母と、後ろからつく施主のわたしは、父の、墓に、名前を認める。母は石を見て、繰り返し聞く言葉を、独り言のようにつぶやく。
「いままでお墓を建てる力がなかったのよ」
母の手の傍らで、線香の煙がそよぐ。
わたしは、眼鏡をシャツでふいて、胸にあてる。
水の底にいるように、自分の息づかいだけが聞こえる。指先の汗が、レンズを濡らす。湿った風が、緑を、光る波に変える。

(お父さんと本立てをつくる「いいできだろう」とお父さんは言う右と左の形が違うぼくは首をかしげるお父さんは「いやならいい」本立てを、手にとり壊す/ぼくは)

わたしは、ひっそりと、三人だけの、青い空を呼びよせる。

(父さん、手は、痛くはないですか)



(詩集『バードシリーズ』より)






ひと言


以前、光富さんの「点のカイト」をご紹介した時(私の好きな詩78)に、私はこう書いた。
「いじめられて孤独だった少年時代。思いがけない父の死。その傷はまだ癒えていないのだろう。・・・肉体の傷は癒えていない心の傷を象徴しているかのようだ。しかし、詩は傷を静かに見つめている。」
この時の印象は、2年経った今も変わらない。

光富さんから時々、かなり苦痛に満ちていた少年時代を送っていた話をきく。なんで自分は生まれてきたんだろう、生まれてこなければよかった、と思いながら生きる子どもの人生はどんなだろうと、その話を聞くたびに胸がつまるような思いになる。

どんなに会いたくても、すでに亡くなってしまった父親には会うことは叶わない。父親への思慕の気持ちが強くなる時は、思い出の中にある生前の父親の姿を思い出すしかない。私は光富さんのお父さんの詩を読むと、いつも尋常ではいられなくなる。どんな父親であったとしても子どもにとってはかけがえのない存在であり、甘えたり懐かしんだりしたいものである。そんな思いが行間ににじみ出ている。

詩人の落合朱美さんがレビューで、「どんなに誰かと一緒にいたり会話を交わしたりしていても、本質的にこの人は「ひとり」であろうとしているのではないかと感じた」と書かれている。光富さん自身もそのようなことを時々言われる。以前、猫を飼っていた時に、ペットの猫でさえうっとうしくなることがある、というようなことをブログに書かれていた。けれど、私は、光富さんの本質は少し違うように思うのだ。少し前に、ブログにこんなことを書かれていたことがある。
「子どものころ、友人がわたしの部屋に遊びに来ると、「郁くんの部屋は郁くんとおなじでひっそりとしていいね」と言ったことがあった。わたしは子どものころは走り回るのが好きだったのだが、一方で、花壇の脇に腰掛けみんなが遊ぶのをにこにこしながら眺めるのが好きだった。雨の日、曇りの日、微妙な陰りがあって、空気がしんとしていて、空や雲や陽の陰りや、建物や小山や木々や校庭やブランコや鉄棒などの陰影や、そして肌寒い風もまた、いまから思えば愛おしく思えた。少し凍えながらも。」
 
父親の死を契機に、思いがけず辛い人生が始まり、その後長くそれは続いたが、この1、2年ほど光富さんのまわりにはあたたかい風が吹いているように思う。あたたかい風に吹かれて光富さんが穏やかに微笑んでいる。そんな光景が目の前に浮かんでくる。





光富 郁也(みつとみ いくや)

1967年、山口県生まれ。現在、神奈川県在住。
横浜詩人会会員。
第13回国民文化祭「現代詩大会」おおいた1998入選。
第15回国民文化祭「現代詩大会」ひろしま2000入選。
詩集『サイレンと・ブルー』(土曜美術社)第33回横浜詩人会賞受賞。
文芸アート誌「狼」編集発行。
文学極道実存大賞・選考委員特別賞受賞など。
雑誌「詩と思想」、アンソロジー「詩と思想 詩人集」、神奈川新聞、横浜詩人会通信等に執筆。
2008年、「詩と思想」書評委員として書評を1年間担当。
光富さんのブログ: 詩という生活 ― もしくは「狼」編集室・雑記ノート
ホームページ: 詩のサイトM

by hannah5 | 2008-04-04 23:58 | 私の好きな詩・言葉

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