私の好きな詩・言葉(122) 『召喚』 から (城戸 朱理)   




まず死者が)迷妄と呼び
迷妄とわれわれは呼ぶ
おし開いて
突き進むのであろうか
難産だったと聞いた
母の声を避けて
緑の沼
あなたに相似のものを捜す
浮遊していたものはくずれ
みずぬるみ
指すべらせて
おたまじゃくしに触れる
と書く前に
握り潰している
むしろそのように書かれる
ように進む
「一生アレルギーだ」
少年の顔をしたものは呟く
酢模(すかんぽ)を噛みながら
やがて都市で 目覚める前に
何かの器官を
震わせる
のだろう。


(詩集 『召喚(cité)』 より)






ひと言

題名のない番号のついた詩が33篇。硬質な美しさに満ちた言葉の群落の前にひとつの言葉が置かれている。

    これがあれを亡ぼすであろう

最近刊行された 『戦後詩を滅ぼすために』 への序奏を感じさせる言葉である。城戸朱理さんの詩の全貌を一言で言い表すことは困難だし、到底不可能だろうと思う。けれど、城戸さんの詩には常に古い因習を滅ぼし、新しい何かを掴もうとしているのが感じられる。山内功一郎氏がいみじくも次のように書いている。「(「暗喩の破綻」という言葉を取り上げて)「暗喩の破綻」は、あらかじめ論理上の着地点が確保された安全地帯の言語表現への決別であると解することができるだろう。換言すれば、それは詩語の各要素への照応がプログラムされつくした穏健な象徴主義への訣別でもある。・・・・・しかし「悲しむ」には及ばない。なぜならそこでは、境域の護りが解かれるからこそ、生ける者が死せる者を召喚することも可能になるのだし、それによって一般的な情報言語とは異なる詩的言語が出来することにもなるのだから。そこで現前する言語には「似た色」などないし、その言語が生起する領土も、もはや個人の所有に帰しはしない。」(「現代詩手帳」2007年7月)

『召喚』 をずっと捜していた。ある日、ふと立ち寄った古書店で 『召喚』 を置いてないか尋ねたところ、文京区のある古書店にあるかもしれないと言われた。早速電話をして訊いてみると、初版本があるとの返事だった。日時を約束して取りに行った。

裏表紙に「1985年10月27日初版一刷500部発行」とあった。ということは、私が入手した本は500分の1冊ということになる。どこを捜しても到底入手できない本だった。城戸さんでさえ、80年代末に版元在庫切れになったと言われた。そういう事情をまったく知らない古書店の主人は、「この本はこの2、3年ずっと日の目を見たことがなかったんですよ」と言った。恐る恐る本を開くと、ページはどこも新しい。現代詩文庫には見られないこの詩集だけの装丁に目を奪われた。心が締めつけられるようだった。『召喚』 初版本。幻の本である。


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城戸 朱理 (きど しゅり)


1959年盛岡市に生まれる。十代の終わりに西脇順三郎の詩と出会って詩的彷徨を、二十歳のときエズラ・パウンドを読んで詩の咆哮を知る。同じころから詩を書き始め、同人誌「洗濯船」(82~87年)に参加。その後、吉岡実の知遇を得て、詩の現在を意識するに至る。詩集に『召喚』 (85年)、『非鉄』 (93年)、『不来方抄』(94年、歴程新鋭賞)。他に 『召喚』 異本としての選詩集 『モンスーン気候帯』 (91年)、吉岡剛造との対話 『木の骨』 (93年)、講演録『詩人の夏』(94年)がある。
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by hannah5 | 2008-04-13 23:52 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

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