カテゴリ:私の好きな詩・言葉( 175 )   

私の好きな詩・言葉(163)   



   Saturday, December 05, 2009


朧げな灯台は
薬指のような影を靡かせながら

乳香 没薬 黄金を
しなやかなアスパラガスに捧げる

掠れた時間が
傾いだ蜉蝣の瀧からあふれ

谺の微睡みのなかで
麦藁帽子は燃え尽きる

血の細波は キクロプスを幾度も訪れ
夕闇を伝って 守宮の舌が ひとしずく眠りに落ちる

《軽飛行機のコンパスは
 王女の隠れ家を 精確に探り当てた》

ここから先の国々には 台(うてな)がありません
足を踏み入れる方々 くれぐれもご注意を

線からはじめたものが いつの間にか赤い束になった
時間が働いたのだ ひとえに時間だ

食卓には 蝸牛の脳神経と ラディッシュのサラダ
加えて上質の微笑みを少々

羊皮紙一面にびっしりと書き込まれた水の魔法
余白に 書きかけの ちいさな王子様のお話

いいことがある時は いつも鐘が鳴った
ほら あそこの丘の上

(野村 龍詩集 『Stock Book』 より)

もう一篇
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by hannah5 | 2014-10-27 16:56 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(162)   


友達


ぼくのいい一番大い好きな友達。それは便所です。いいいつも便所にいいるので、そういいう名前なのです。

便所はいいいい一日の殆どを、便所の手あ洗いい場で過ごします。い一度、手をあ洗いいい終わっても、すぐに汚れたと思って、引き返してきて、また手をああ洗いいます。だから、学校に来ても、便所は教室にはい行けません。

みんながああの日、「おまえは汚い! 臭い!」、そういい言って便所の目の前で教室の扉をバタンと閉めたからです。

初めてここへ来た日、寒くて、じめじめして、ナメクジやゴキブリがいいいっぱいいいる、この場所が怖くて、便所はしゃくりあ上げました。そして、ぼくに向かって尋ねるのです。「あああたしって汚いいいの?」「臭いいいの?」「ねえ、なんでああたしにはここしかいいい居場所がないいわけ?」 ぼくは答えることができませんでした。ただ、首のところが少しゆるんでいたので、いい一滴だけもらいい泣きをしただけでした。

ぼくは蛇口です。便所の手ああ洗いいい場の蛇口です。次の日も、便所はここへ来ました。髪も手も洋服も真っ黒に汚れ、乱れ、破れていいました。そして、便所はいいいきなりぼくを殴りました。さっき、みんなにされたみたいいに。何度も何度も。しゃくりああ上げながら。

便所がぼくを殴ったので、ぼくの首がゆるみました。その瞬間、あああああああああれがほとばしりました。あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! 便所はびっくりして、ぼくの首を元に戻しました。それでも、ぼくの首は少しゆるんでいいたので、まだ続きが出ました。いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい。そして、やっと止まりました。

便所はざぶざぶとああああ洗われて、もうすっかりきれいいいになっていいました。便所はもうい一度ぼくに飛びつくと、叫びました。「大いいい好きな蛇口さん。あああたしはこれからずっと、ここにいいるわ!」

先生い! 便所があ洗ってもああ洗っても、また手あああ洗いいいいい場に来るのは、こういいいいいわけなのです。先生い! あああなたにはぼくの声が聞こえないい。でも、ぼくはここにいいます。そうです。ぼくは手洗いいいい場の蛇口です。便所が手をああ洗い続けていいいるあああいいだ、ぼくはこうやってしばり続けていいいます。

便所の手から先生いいの知らないい、国の言葉、難解なああ暗喩が勅諭が寓喩が象徴が記号が飛び散ります。それを見て、先生いいはいいい言います。「誰だ、垂れ流しをするやつは?」「なんで どもるんだ?」「正しくきれいな、よく石鹸で洗った日本語で、もっとわかりやすくやさしく話しなさい!」 そうして、また先生いいは便所をぶった。ああ、またぶった! そして、ぼくの首を思い切り絞めました。

それからぼくはひとことも口をきくことができません。

(一色真理詩集 『エス』 より)

ひと言
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by hannah5 | 2014-10-06 19:53 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(161)   


真理


真理について
私に聞きたいのですか?

そうですね。
答のない難問みたいなものかな。
問いかけてもひとかけらも返事は返ってこないから。

朝、幼稚園に連れて行くでしょ。すると
大理石の下駄箱に手を添えたまま
帰宅の時間まで一歩も動こうとしないんです。

何度も私は問いかけました。
答えが欲しかったから。

何故そうしているの?
あなたは誰なの?
私は何者?

でもね。
裏返しの便所のスリッパみたいに
沈黙が床に落ちているだけ。
そういうものなのかしら?
真理って……

ズボンの膝が破れた男の子がやってきて
唾にまみれた口で
真理にいきなり噛みついたことがあるわ。
血のにじむ歯形がぐんぐん頬に浮かび上がりました。
でも、それは答えではなかったの。
真理は悲鳴も泣き声もついに上げることはなかった。
「お母さん!」と呼んでくれることもなかった。

それが真理なのよ。

真理はいつも私の前にいました。
毎日、同じ時間、同じ姿勢、同じ顔をして。
誰もそこにはいないかのように。
私に見えていないかのように。
空気みたいにいました。
ずっといました。
いつのまにか、私が存在を忘れてしまうほどに。

そして、気づいたときには
本当にいなくなっていたの。

真理なのよ。
それが。

     *

六十年が過ぎました。
早いものね。
あなた。
あなたは今日
杉の子幼稚園に行ったのですね。
真理のいた場所に。

大理石の下駄箱は
まだそこにあったのですね。
あの日のままに。
よかった。
歳月がすべてを灰にしたのではなかったのだわ。
けれど

あなたはまだ私に聞きたいのですか?
窯の中でごうごうと燃えている私に。

そうです。
私はあのとき
真理がわかりませんでした。
あれからずっと。
そして今も
見失ったままです。

わかるはずがないわ。
あなた。
あなたにもけっして!

そうよ。
それが真理なのだから。

       (一色真理詩集 『エヴァ』 より)

ひと言
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by hannah5 | 2014-09-25 21:12 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(160)   


ひとりたび


海員倶楽部 という看板の建物が
遠く望め
ふと路地を曲がると アヒルと出会う

片言の ことばを温め
「この焼き飯(めし)を ひとり分 ください」

小さな屋台の椅子に腰掛けた
揚子江沿いの町

小雨が降れば
薄汚れたシャツの車引きが
 お乗りよ、
と私を呼んだ

揚子江は 煙っている

(神が そそがれたのか)なみなみと
鉄のように強い あの水の色に
時折 黄色人種の肌に似た
ほのかに 懐かしい色が混じりあう

その うねりは幼い頃に見た悪夢のように
ゆっくりと私の 魂を惹いた
広大な激流に
(ワタシハ イキテイル イキテイル)
と脈打ち 沸き立つものが ある

その夜は やさしい車引きの暮らす
ちいさな小屋に泊まった

木机に置かれた 蓋付き湯飲みには
鮮やかな赤い金魚が ふうわりと描かれ
ざらざらとした方言を話しては
お腹(なか)の底から笑う 小太りの奥さんが
炊事場で 焼飯(シャオビン)を 丸く きれいに焼いていた

裸電球が たったひとつ
疲れた車引きの 無精髯(ひげ)を照らせば
川の音と 寝息は
しっとりと重なりはじめる

羊水のような町に漂う
蒼い月夜の窓辺で
私は やっと目をとじた

(島田奈都子詩集 『からだの夕暮れ』 より)

ひと言
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by hannah5 | 2014-08-11 20:16 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(159)「アンデス高原に置き忘れたリュック」(細野 豊)   


アンデス高原に置き忘れたリュック


アンデス高原地帯にある
標高三、八一五米の湖畔を走り抜けて
希薄な空気の中を長距離バスはラパス市へ向かっている

黄泉の国から来たので
車内は薄明るく湖からの潮の匂いを孕み
男の乗客は異国からの闖入者であるおれだけで
黒い山高帽を被った*アイマラの女たちが
影絵のように みんな赤子をひとりずつ
背負って座っている

ターミナルに着くころ しらじらと夜が明け
燃焼したガソリンの芳香が鼻をくすぐる

ボリビアのラパス市に地下鉄はないはずなのに
おれは駅前広場を通り抜けて乗り場へ急ぐ
―メキシコシティと混同しているな―
それでもここはラパスの町なのだ

町外れの切り立った崖の縁にある
平屋の建物はカフェテリアで
ここでも赤子を背負ったアイマラの女たちが
俯いて朝食を食べている
誰もひとこともしゃべらない

(情景はモノクロの映画のようで
崖下を見下ろすと身が竦む)

おれも席に着きリュックを下ろしてコカ茶を飲み
だんだん気持ちが落ち着いていく
居眠りしたかと思う間もなく
日本のわが家の布団の中で目が覚め
あのカフェテリアにリュックを置き忘れたことに気づく

あの中にはパスポートや財布ばかりでなく
ただ一度かぎりの大切な記憶も入っているのだ
取りに引き返そうとするが
どうしても地下鉄の入口が分からず途方に暮れている

* アイマラ=ボリビア、ペルーなどに住む先住民族で、ケチュアと並ぶ二大民族のひとつ。11世紀頃ころケチュアの支配下に入り、居住地域はインカ帝国領となったが、その後スペイン人に征服されてからも独自の文化を守りつづけている。人口約三百万人。

(細野豊詩集 『女乗りの自転車と黒い診察鞄』 より)

ひと言
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by hannah5 | 2014-07-28 01:46 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(158)~ せんのえほん   


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あれはどこだったかな。
たしかに知っていたはずなんだけど、記憶のすみの方に置き去りにされたままになっていて、
ふだん思い出すこともないのに、何かの拍子に、
あ、これいつかのあれ、知ってる、って風がさっと通り過ぎるみたいに思うあれ。
cocaさんの線画にはそんな感じがあって、初めてなのに初めてじゃないみたいな出会いでした。
cocaさん

そして、その絵に添えられたりりさんのことばは、今まで見たりりさんのことばの中で一番自由で、
詩の真髄みたいなことばが並べられていて、
私の心の中でことばがふつ、ふつ、ふつ、と沸き立ってくるようでした。
りりさん

宝石箱のような本です。

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線の絵本
2014年6月1日初版発行
中村梨々さんとcocaさん
発行所 七月堂
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by hannah5 | 2014-07-07 20:27 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(157)「大学四年生」(そらしといろ)   


大学四年生


昨夜、母が私の茶碗を欠いたので
今朝、その代用品として宛がわれたのは
来客用の、薄い肌の白い茶碗だ

窓の外は、たっぷりとした雨雲がじっと黙ったまんまの、六月

居間に用意された、私の分の朝食はいつも広告がかぶさっている
この家で一番遅い朝食をとる
私はいつも一人で朝食をとる
木の椀に温めなおした味噌汁をよそう
白い茶碗に保温された白い飯をよそう
両手に一個ずつ器を持って、六人掛けのダイニング・テーブルの
(四角いテーブルの、向かい合う二辺に三つずつ並んだ椅子の)
片方の真ん中に、着席する
テーブルに窓の虚像が映っているのを見て、
部屋の電気を付け忘れているのに気付いたが、
私一人きりなので消したままにしておこう

広告の下に隠れていたおかずは、
ウィンナーを焼いたやつ(冷えている)
小松菜と油揚げの煮浸し(冷えている)
甘くない玉子焼き三切れ(冷えている)
電気の付いてない今朝の居間にあるそれらはとても
寂れた食堂の食品サンプルのように頑なだったので
全ての皿を、冷蔵庫へしまい込む(用意してくれる母には、申し訳ない)
とりあえず、こげ茶の箸を持って
私はいつもどおりに、味噌汁から口を付ける(妙に泥臭い、しじみ)
そして、あまり触ったことがない、
白い茶碗を左手に持つ

(、どきり)

白いままの薄い肌から伝わる
白い飯の温もり、重さ
左手にちょうど良く収まる大きさ、丸み

(、どきり、どきり)

衝動、的 に、

行儀が悪いと怒られるのは承知の上で、
茶碗の縁に口を付けたくなったので、
冷蔵庫から白い殻の玉子を出して、
それでも白い殻は慎重に割って、
白い飯の上に生卵をのっけて、
右手に持った箸でそぉっと、
黄身に膜を突き破ったら、

衝動、的 に、

まぜるまぜるまぜるまぜるしろみもきみもま
ぜるまぜるまぜるほんのすこしかなしいかん
じがしたのでなみだもまぜるまぜるまぜるま
ぜるぐるんぐるんはしがまわるまぜるまぜる
まぜるまぜるただただみぎてのえんしんりょ
くのままにまぜるまぜるまぜるおしょうゆを
ひとまわりまぜるまぜるまぜるまぜるまぜる
はい、たまごかけご飯

これで、やっと、口付け、られる
白い茶碗の、縁にやっと、口付けられる

少しだけ冷めた茶碗の温度が左手に伝わる
(、どきり、どきり、どきり、)
白一色だった茶碗に生卵の黄色が、滑稽だ
(、どきり、どきり、どきり、どきり、)

いよいよ、
白い薄い肌の丸みを帯びた茶碗の縁に口付け、
くちづけ、て しまう

    あ、
思いのほか、唇に馴染む釉薬の具合に引きずられて、無心
あとはもう、たまごかけご飯をごくごく、ごくごく、飲み込んでしまった

(妙に泥臭い、しじみの味噌汁が冷えている)

中身は空っぽになった、黄色っぽい白い茶碗にもう一度だけ、口付ける(冷えている)
それはもう、
ただの、来客用の、薄い肌の白い茶碗だ

(素晴らしい夢が覚めてしまったあと、
寝起きの布団に染み込んだ体温が蒸発して、冷えた
一組の布団に戻る瞬間、現の朝を感じたのに、
朝食の最中も私は、まだ現にいなかったのだろうか、でも腹は満たされている、黄色い
たまごかけご飯は私の胃袋で黄色い胃液とまざって、まざって、て、て、       )

しじみの味噌汁を流しにたらたら捨てつつ、白い茶碗の黄色い汚れを洗剤で落としつつ、
夢を、下水として処理した気分を、味わう



居間の時計が、午前九時少し過ぎをさした
大学へ行かなければ、大学へ
洗った茶碗を急いで布巾で拭いて食器棚へ伏せて最後に放した右手の人差し指に残った
感触は、

 大学へ行かなければ、大学へ、
貴女のいる女子大学へ行かなければ、女子大学へ、
少し空ろ気味な私の精神を、葉脈の標本にしないために、
貴女のいる女子大学へ行かなければ、女子大学へ行かなければ、行かなければ私は、

 今一度、先ほどの温もりと感触を、唇で思い出しながら、歯を磨いている
洗面所の鏡に映った私は、
鏡の外側で、薄荷の冷たさを肺いっぱい取り込んで、
肺胞の一つ一つに満たして、疑似的な冬の朝の空気を、毎日感じている
既に得た知識を、一生懸命繋ぎ合わせることによって、私は、
(知らないことを知りたい、しりたい、知的欲求をみたしたい、貴女の、あなたのむねに
くちづけて、しらないかんしょくを、しりたいのだ)

 だから私は行かなければ、
大学へ行かなければ、大学へ
貴女のいる女子大学へ行かなければ、女子大学へ

 今日は水曜日だから、ノートもファイルも一冊ずつでこと足りる
とっても軽い茶色のリュックを背負って、二年くらい洗っていない白いスニーカーを
履きながら、玄関の外で梅雨が始まってしまった気配を、
私は、一人で感じている

(私は貴女から、夏が好きだというあなたらしい、藪蚊がすりよってくるほどの、白く燃
え立つかげろうのような気を、こっそり、やぶかのようにもらって、もらって、て、て、)

大学へ行かなければ、貴女のいる女子大学へ、

大学を卒業するまであと、にひゃくきゅうじゅうさんにち、きょうは、ろくがつみっか

   私は、大学四年生

(そらしといろ詩集 『フラット』 より)

ひと言
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by hannah5 | 2014-03-23 23:23 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(156)「死のフーガ」(パウル・ツェラン)   


死のフーガ


あけがたの黒いミルク僕らはそれを夕方に飲む
僕らはそれを昼に朝に飲む僕らはそれを夜中に飲む
僕らは飲むそしてまた飲む
僕らは宙に掘るそこなら寝るのに狭くない
一人の男が家に住むその男は蛇どもをもてあそぶその男は書く
その男は暗くなるとドイツに書く君の金色の髪のマルガレーテ
彼はそう書くそして家の前に歩み出るすると星がまた星が輝いている
  彼は口笛を吹いて自分の犬どもを呼び寄せる
彼は口笛を吹いて自分のユダヤ人どもを呼び出す地面に墓を掘らせる
彼は僕らに命令する奏でろさあダンスの曲だ

あけがたの黒いミルク僕らはお前を夜中に飲む
僕らはお前を朝に昼に飲む僕らはお前を夕方に飲む
僕らは飲むそしてまた飲む
一人の男が家に住む蛇どもをもてあそぶその男は書く
その男は暗くなるとドイツに書く君の金色の髪のマルガレーテ
君の灰色の髪ズラミート僕らは宙に墓を掘るそこなら寝るのに狭くない

男はどなるもっと深くシャベルを掘れこっちの奴らそっちの奴ら
  歌え伴奏しろ
男はベルトの拳銃をつかむそれを振りまわす男の眼は青い
もっと深くシャベルを入れろこっちの奴らそっちの奴らっもっと奏でろ
  ダンスの曲だ

あけがたの黒いミルク僕らはお前を夜中に飲む
僕らはお前を昼に朝に飲む僕らはお前を夕方に飲む
僕らは飲むそしてまた飲む
一人の男が家に住む君の金色の髪のマルガレーテ
君の灰色の髪ズラミート男は蛇どもをもてあそぶ

彼はどなるもっと甘美に死を奏でろ死はドイツから来た名手
彼はどなるもっと暗鬱にヴァイオリンを奏でろそうしたらお前らは
  煙となって空に立ち昇る
そうしたらお前らは雲の中に墓を持てるそこなら寝るのに狭くない

あけがたの黒いミルク僕らはお前を夜中に飲む
僕らはお前を昼に飲む死はドイツから来た名手
僕らはお前を夕方に朝に飲む僕らは飲むそしてまた飲む
死はドイツから来た名手彼の眼は青い
彼は鉛の弾丸(たま)を君に命中させる彼は君に狙いたがわず命中させる
一人の男が家に住む君の金色の髪マルガレーテ
彼は自分の犬を僕らにけしかける彼は僕らに空中の墓を贈る
彼は蛇どもをもてあそぶそして夢想にふける死はドイツから来た名手
君の金色の髪マルガレーテ
君の灰色の髪ズラミート

(飯吉光夫編・訳 『パウル・ツェラン詩文集』 より)

ひと言
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by hannah5 | 2014-01-07 17:50 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(155) 「Help!」 (池井 昌樹)   


Help!


性と詩に目覚めた中学生の頃、私はしかし胎内回帰願望も人一倍旺盛な少年だった。時代は昭和の真っ只中。地元商店街は活気に溢れ、パン屋も本屋も玩具屋も明るく綺麗な興奮(ときめき)に充ちていた。夏の夜には網戸を入れた南の窓から一斉に蛙声が起き、北の窓からは遠い潮の香が紛れ込んだ。大輪の打上げ花火も眺められた。ある夜その北の窓から空き地を隔てた隣家の瓦屋根に不審な人影が見えた。貧しげな屋内の明かりを背に人影はやおら何かを大音響で掻き鳴らすや訳のわからぬ何かを大音声で歌い始めた。歌といってもそれは異様に耳障りな騒音でしかなかった。何事かしらん。遠近の窓が次々に開いた。腰を折り背を反らし歌い続ける人影はスポットライトを浴びた悪鬼宛(さなが)らだった。しずかにしてッ。大学受験を控えた姉が堪り兼ねて叫んだ。うるさいぞッ。高校受験を控えた弟(私のことだ)も変声期前のボーソプラノで叫んでは隠れた。やがて明かりの中から別の人影が現れ、父親だったのだろう、有頂天な手を取りしきりに屋内へ連れ戻そうとする様子が見えた。半世紀近く昔のその夜を私は今も昨夜のことのようにありありと思い出す。あれから姉は第一志望の国立大学へ進学し、弟はクラスで唯一公立高校の受験に落第した。そして屋根の上の主役が地元で働き出したことを風の便りに聞いた。彼も今頃かつての自分のようなわが子に手を焼きながら達者でおられることだろう。あの夜彼が大音声で歌っていたのは当時売り出し中のビートルズだったことも後で知ったが、その楽曲は忽ち世界中の若者の心を捉え、その名は今や伝説となった。ビートルズの登場はかつての若者たちの心に巨きな蘇生を齎らしたのだ。屋根の上の主役の心にも。私は私の不明を恥じながら、しかし、あの歌声の陰で消えていった様々なもの――風鈴の音や七夕飾りや一斉に起つ蛙声や潮の香、パン屋や本屋や玩具屋や、その明るく綺麗な興奮(ときめき)を何時までも、何時までも忘れられないでいる。胎内回帰願望だろうか、それとも昭和の遺物だろうか。誰から何と言われようと、甍の波の何処かしら、金銀砂子を唱えながら、夜になってもまだ帰らない、少年の手を引きにくるもう誰もなく。

(池井昌樹詩集 『明星』 より)

ひと言
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by hannah5 | 2013-09-11 01:42 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(154)  「緑の焔」 (佐川 ちか)   


緑の焔


私は最初に見る 賑やかに近づいて来る彼らを 緑の階段をいくつも降りて 其処を通つて あちらを向いて 狭いところに詰つてゐる 途中少しづつかたまつて山になり 動く時には麦の畑を光の波が畝になつて続く 森林地帯は濃い水液が溢れてかきまぜることが出来ない 髪の毛の短い落葉松 ていねいにペンキを塗る蝸牛 蜘蛛は霧のやうに電線を張つてゐる 総ては緑から深い緑へと廻転してゐる 彼らは食卓の上の牛乳壜の中にゐる 顔をつぶして身を屈めて映つてゐる 林檎のまはりを滑つてゐる 時々光線をさへぎる毎に砕けるやうに見える 街路では太陽の環の影をくぐつて遊んでゐる盲目の少女である。

私はあわてて窓を閉ぢる 危険は私まで来てゐる 外では火災が起こつてゐる 美しく燃えてゐる緑の焔は地球の外側をめぐりながら高く拡がり そしてしまひには細い一本の地平線にちぢめられて消えてしまふ

体温は私を離れ 忘却の穴の中へつれもどす ここでは人々は狂つてゐる 悲しむことも話しかけることも意味がない 眼は緑色に染まつてゐる 信じることが不確になり見ることは私をいらだたせる

私の後から目かくしをしてゐるのは誰か? 私を睡眠へ突き堕せ。


( 『佐川ちか全詩集』 より)

ひとこと
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by hannah5 | 2013-08-20 18:04 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(4)