カテゴリ:私の好きな詩・言葉( 174 )   

私の好きな詩・言葉(152)「名をわたす」(岡田 ユアン)   


名をわたす


漆黒に咲く雷(いかづち)を
その海へ投げよ

あらゆる定義に楔をうつものの影を
追い払い
あなたを岸へわたす櫂を
水にさす

わたしを抱きあげたときのように
虚ろな黒からまもりぬくため
今 あなたの名を呼んでいる

ピエタのまねごとではなく
ただ胸に深く眠る光輝のきざしとして
あなたを抱きしめる

あなたに見えているものが
見えないとしても
この夜に
置き去りにすることはできない

闇は巨大なマントで覆われているだけの
舞台装置

そう信じて

名を呼び
櫂をこぐ

あるのは浮力と抵抗
名は夜に吸い込まれてゆく

死にひきわたすのではなく
つたえ聞いている絶望から逃れるため
名を呼び
櫂をこぐ
渡ってゆくのは自身の闇

やがて光が
おぼろな闇のほころびから
あふれていくとき
あなたは岸へたどりつく

水音のようにあたりに光がひびき
わたしは見知らぬ岸辺に打ちあげられる

夜の手あとが手首に残り
しわがれた声で
もういちどだけ
あなたの名を 呼ぶ

(岡田ユアン詩集 『トットリッチ』 より)

ひと言
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by hannah5 | 2013-02-08 20:21 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(151)「遠泳」(秋 亜綺羅)   


遠泳


公園のブランコはひとりで揺れている
青い鳥が犯された

遮断機が降りたまま
踏切の向こう側で
あなたは幼くなっていく
待つなんてできない、たぶん

鏡がわたしの真似をしない
瞬間があってね
わたしがあなたになるときなんだ

鉄砲かついだ詩人が
ずどん!

あなたはまぶたを
閉じていたか

あなたのメガネのレンズは
真っ白だった
涙の塩
どんなに涙を流せば
こんなに白くなるのだろう



すべてのものはゼロで割ると無限大になる
焼酎のゼロ割りでも注文しようか

どうして遠くのものは小さく見え
どうして近くのものは大きく見えるのか

振り向くまえの背後は
無限大だろうか

幽霊たちの影たちと
一周遅れの長距離ランナーたちと
夢からさめると若くなかった少年がひとりと

夢からさめると
銀河は机の上にしかなかった

だれかは出発し
だれかは到着した
だれかは乗り越えた

明けない夜だってあるさ
溶けないチョコレートだってある
だけどチョコレートの闇は明けないんだ
だれとも他人なのだし
ひとりにしか感じないものなんてなく
夜は太陽をのみ込んだ



一九七五年十二月三日、あなたは跳躍した

大人用紙おむつを至急スーパーマーケットで
それを包んで捨てる古新聞紙をとりにアパートまで
洗面器とバケツとタオルはお風呂場
部屋にある原稿、雑誌、手紙類は焼き捨てて
それから田舎に電話して。困っている、と
それから仰向けのままジュースが飲める曲がるストローを。

キャン・ユー・ロール・ハー
アイ・キャント・ホールド・ハー

Rh+AB型保存血液七五〇ミリリットル、ブドウ糖五〇〇ミリリットル、果糖五〇〇ミリリットル、リンゲル液二五〇ミリリットル、鎮痛用麻酔注射六本、精神安定剤セルシンとバランスを一週間おきに交替して毎食後三〇分、消化促進のための胃腸薬毎食後三〇分、便秘予防のための下剤就寝まえ、新ブロバリン時に応じて、ヨーグルト一本、牛乳一本、鶏卵一個、ほうじ茶飲みたいだけ。

きのうとあしたをたして二で割れない
はじめてのきょうは存在した

振り向くことも
思い出したことも
裏切りも
憎しみもなく

あなたが呼びつづける音楽は
二匹のうさぎの子守唄になった

生まれつき片耳の白うさぎと
片耳がとれた白うさぎと

残されたのは
誕生未遂の白うさぎ

あなたが光と思っていたものは
光だったかもしれない

あなたが風と思っていたものは
風だったかもしれない

あなたが波と思っていたものは
波だったかもしれない

あなたが音と思っていたものは
音だったかもしれない

あなたが時と思っていたものは
時だったかもしれない

青い砂
青い雲
青い崖
青い船
青い汽笛
青い貝殻
青い足跡
青い陽光
青い穴
青い匂い

もちろん砂も、雲も、崖も、船も、汽笛も、貝殻も、足跡も、陽光も、穴も、匂いも
水溶性である

透明海岸

もちろん
蝶も
トンボも
タンポポの種子も

もちろん
鳥も
飛んでいる

鳥の島

机の上の銀河に
チョコレートのかけらが浮かんでいる
あなたの歯形が残ったままだ
三十七年になるかな

もう死にたいわけじゃなく
もう忘れたいわけじゃなく

遠泳
透明海岸から鳥の島まで

(秋亜綺羅詩集『透明海岸から鳥の島まで』より)

ひと言
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by hannah5 | 2013-01-16 15:41 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(150) 「この子の空」(島田 奈都子)   



この子の空


消しゴムは
わたしの価値観
この子の空はいつも
画用紙をとうにはみ出している
わたしは
この子の蒼い空を
広すぎるからと消す

そこには
ほんとうの
この子の空があふれているのに

消した空が
消しゴムのかすと混ざり
床にちらばっている

この子はいつも
とおい目をして
空をみわたしていた
こどもは小さいけれど
いちばん空に
ちかい人

わたしに空を消されて
なみだまで
ながしている

この子の空は
広かったんだ
ほんとうに
ほんとうに
無限なんだ

(島田奈都子詩集『神さまからの電報』

ひと言
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by hannah5 | 2012-06-26 17:45 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(149) 「一枚の写真」 (島田 奈都子)   


一枚の写真


別れて 暮らしはじめた部屋が
やっと落ち付き始めたとき
アルバムをなにげなく手にとると
一枚の写真が はらり と落ちる

貧しき ひかり 降る 日々
赤ちゃんの服は
町外れの小さなリサイクルショップで買い

小さな旅行と言えば
中古車に乗って
犀川の河川敷まで出かけていった
目元がどちらに似ているか議論しながら

赤ちゃんを抱きかかえ
川風に吹かれながら
わたしたちは家族という形をした
石ころのひとつだった

ぼんやりとしているうちに
外は雨が降りはじめた
あの日の 川がすぐ近くを流れていくみたいに思え
一枚の写真を飽きずに眺めている
激しく過ぎた争いの毎日
身を縮めて 耳を塞いでいる子どもの
まるまった輪郭が
しずかな部屋にいつも 影を落とした

ふっくらと太った赤ちゃん
つつましい身なりのわたしたちの笑顔に
木漏れ日が燦燦とふりそそいでいた
  何見ているの?

夫ゆずりの 細い目をした子供が
傍らで覗き込んできた
一枚の写真が
忘れかけた初夏の木洩れ陽で
夕暮れの部屋をいっぱいに照らす


(島田奈都子詩集『恥部』 より)



ひと言


笑顔をつくり、日々の雑用を片付け、時間が来れば食事の支度をし、やがて休む。その繰り返しの中で、もう当分癒えないだろうと思っていた傷は笑顔の後ろに隠し、そこに傷のあることは知っていても思い出すこともやめてしまっていた。けれど、時には傷を振り返り、傷があった時の柔らかな感触にもう一度触れることも必要かもしれない。哀しみは時間とともに薄れて小さくなっていくような気がしているけれど、本当は記憶の中で癒えずに永遠に残っているのかもしれない。

島田奈都子さんの詩集 『恥部』 を読んだ。さっさと読み急ぎそうになる言葉の前で立ち止まり、何度か読み返すうちに、日常の生活の中に埋没させていた傷みが徐々に浮かび上がってくる。あの時、どんなふうに傷の中でもがいていたか、どんなふうに息をこらして歩いていたか、どんなふうに懸命に傷みに鈍感になろうとしていたか、どんなふうに傷つけた相手のすべてを記憶から消し去ろうとしていたか。薄皮を剥ぐように、それらが私の前にゆっくりと立ち現れてくる。「一枚の写真」を読んだ時、あ、と思った。出会い、結婚、慣れない土地での生活、馴染めない土地柄、出産、健康な赤ちゃんの悦びと病んでいく心、子育て、離婚、一人で生活を支える-それらがぼんやりと浮かび上がってくる。そこから詩集の冒頭に置かれている「恥部」に戻った時、初めてこの詩集の核心に触れたと思った。「ははの恥部 を 見た とき/原生林のねっきをかんじた」で始まるこの作品は、一人の人間の生命力と、同時に太古から現在まで連綿と続いてきた生命の営みを感じさせる。母の恥部を見た時の原生林のような熱気-胎児がへその緒を通して母親と繋がっているように、現在の自分が太古の人類まで繋がっている。この詩集を読みながら、私の中で、日々の平坦な営みを押しのけ、言葉が静かに立ち上がるのを感じた。

著者プロフィール
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by hannah5 | 2012-05-07 15:34 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(2)

私の好きな詩・言葉(148) 「庭」 (新井 豊美)   





そこで人々は耳をひらき
廃れていく時の培養基
褐色した印画紙の
(紙の中をながれる風の音)
時の⦅息⦆に聴きいっていた

ゆくために
必要なものはなにもない
(手ぶらを)
  (見えているそのままの姿を)
    (奪い取って)
そしていつのまにか
写真のなかの最後の一人となった子供だけが
見知らぬ星の形見として地上に残される
(かなしいとすればそのことだ)

沈黙に人々が与えたたくさんのうつくしい呼び名
  (廃家の)、(廃庭の)、(廃市の)
    (閉じられた手箱の・・・・・)、(思い出の・・・・・・)

言葉
失われた数々の季節をよみがえらせるために
水底の凍った泥をかきまわす春の魚
そのちいさなあかい胸鰭
芽吹くはしばみの枝を折って池の中にさしこむと
ふくらむ水の腹を枝はつらぬき
あざやかに溶け入る血

流れおりる枝先からさみどりの水滴にふくらんで
滴の音が
耳の濁りをいっとき
透明にする


(現代詩手帖1月号掲載)

ひと言
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by hannah5 | 2012-01-30 01:49 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(147) 「春雷」 (中村 梨々)   

春雷


目を開けるとまっしろな世界で、それはまぶしさに失ったとき。水のような手でやわらかく。抱かれた。セリバオウレンの茎根に沿って、はじめて息を呑む。晴れだった。のたうちまわるよな雨がわたしを付け足して。きのう、生身に近い。順序はまだ濡れていたり手足のまどろみ。ふくらむ菜園に芽を摘むコウノトリ。豪雨の跡がくっきりとまぶたを腫らすと落日。滑り込むうろこ。瞼の裏にひらめく海の藍や枯れた緑や。固く閉ざされた貝殻の模様をわたしは見ていた。湿地になって。

幾重にもひらいた夜の記述、すくった朝の舌のつめたさ。

やさしく途切れるように血液はめぐり、瑞々しさに朽ちてゆく。耳の奥で町はなんどもよろめいて影を放した。ひそかな逃亡の隣で、ほほえんで、

暗く伸びやかな喉は背びれに息を吹く。かすかな振動にふさがる水面。ゆれながら引き、引き返すくちびる、くちびるのなかに町の明かりが遠ざかる。送電線ぜんぶ引きちぎる、乾いていくのだから

皮膚からガラスの焦げた匂いがする。姿をかえて異国。白い砂をすくって音は静か。真後ろの水際を呼ぶ、おいで。手のように握って頬のようにつねって陸にあがれば、断たれた水路。風速にしかばねが切れていく。ばららあばラ骨、壊れる。(わたしはいちどこわれたかたち。(はじめて会ったものにこわされてゆくの))。

なめらかな身体にして。鼓膜に消えて。何も持っていなかったことを誇りに思うよ、忘れたことに斜めの線を引いて、木琴を叩く。

走り去っていくことは、ことば、焦げた匂い、水の尾根。雨が降るとわしづかみにした尾、海図に合わせて、荒れ。ぬめりで踏みしめゆく町。町のなかの片鱗。片鱗のなか、衰退。空き箱、路線。見渡すかぎりの整列。語謬。睡蓮にくるまる蓮々と。とどろく雲の。

まもなく、嵐になる首筋。

(現代詩手帖4月号入選。野村喜和夫選)

ひと言
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by hannah5 | 2011-04-11 23:18 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

第2回鮎川信夫賞   


先日、「私の好きな詩・言葉」でご紹介させていただいた朝吹亮二さんの 『まばゆいばかりの』 が第2回鮎川信夫賞を受賞しました。何かの賞の対象になるだろうとは思っていましたが、鮎川信夫賞に入ったのですね。この詩集は私に詩の本質を本能的に示唆してくれた詩集で、あれから今に至るまで何度も読み返しています。

今まで、こんなふうに書けたらいいなと思わせてくれる詩には数多く出会いましたが、朝吹亮二さんの作品ほど私の本能に語りかけた作品はありませんでした。それはまるで自分の姿を鏡に写して手入れの行き届かなかった部分をすべて暴き出してくれるような、そしてその部分を丁寧に磨き続けていくうちに深遠な可能性が垣間見えてくるような(しかしその道程はかなり遠く)、ひと言で名付けることのできない宇宙のような大きな何かを教えてくれました。

同賞は他に、井坂洋子さんの 『嵐の前』、神山睦美さんの 『小林秀雄の昭和』 (詩論集部門)が受賞しました。(選考委員は辻井喬、岡井隆、北川透、吉増剛造の各氏。)
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by hannah5 | 2011-03-30 00:18 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(146) 「贈りもの(古いアルバムからの)」 (朝吹 亮二)   


贈りもの (古いアルバムからの)


       草原の斜めに傾いた風が
       まばらな樹々と石と岩とところどころの
       土のうえに夕陽をおいてはどけてゆく
       二人をかこんでいる
       風が
       東から吹いてくる少しばかり潮と鳥の
       匂いをさせながら
       二人の手と手に見えない花輪をかけてゆく
                   一九七八年一月二十八日

古い日付をもつ紙片が
風にめくられて(頁がとぶように)
失われる

朝、上着の水滴をはらいながら
雨あがりのひとけない坂道をのぼってゆく

ツツジの緑の小径をぬけると
黒い塀の一軒家があって
おはようございます
ガラスペンをください
竹の軸、さもなければ
木の軸があります
まっすぐのペン尖、さもなければ
蕪菁のペン尖があります
(ぷっくりとふくらんだ蕪菁のペン尖)
失われた紙片のかわりにゆっくりと文字を
書いてみたいのです

さんと出会ったのも雨あがりだった(だろうか)
洋書の紙とインクがすこし黴くさく匂っていた
ほそい鉛筆のようだったさん
それからしばらくして私たちは再会した
渡仏するまでの蜜のような
濃密な

そして私は眠っていたようだ
ジンチョウゲの
悩ましいかおり、さまざまな草の
いきれ

でなしだから
脚や腕をおおきくふって歩いてゆく
風がふくたびに
水滴まみれになる
ねえ、さん
いつからいっしょにいるんだい
さみしい蛇崩の坂道

蕪菁のペン尖をつけた木軸に光が射しこんで
ダヴィンチが壁の剥げた漆喰に貴婦人を透視したように
その杢のひとつひとつの屈折に
私の夢のかけらがあらわれては消えてゆく
泡杢のつがって泳ぐウヲの黄金
鳥瞰図方の
アヲ
孔雀杢の微風と愛撫にたふたふ揺蕩ふ黒髪
虎杢の(といっても焔のようにすこしずつ乱れる)
うしろから抱く臀
玉杢の
瑠璃も玻璃もいのちの泡も
沸騰する
射干


そして私は眠っていたようだ
鬢からいいかおりのするお嬢さん、こちらは黄楊、さもなければ
櫻、さもなければ楓、欅、黒柿
やわらかい木は持つとなじみがいいですし
かたい木はつかえばつかうほどあじわいがでます
アブラ紙につつまれた
慎重にえらんだ木軸とガラスの蕪菁のかすかに蒼い
ペン尖をだいじに握って
水滴をはらい
またはらいながら
私は帰り道をいそいだのだ、いつの日にか
私はゆっくりと文字を書くだろう
古い紙片のように
その文字もまた
風にめくられて(頁がとぶように)
失われる

ねえ、さん、雨はもうとうにあがったね
緑は
あざやかだけれど、スズメやヒバリも鳴きはじめているけれど
(まがまがしい蛇崩のまがり道)
どうしてもこの空洞から抜けでることができないよ

死にたくなるような朝
まばゆいばかりの

(朝吹亮二詩集 『まばゆいばかりの』 より)

ひと言
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by hannah5 | 2011-02-21 19:53 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

私の好きな詩・言葉(145) 「符号のように」 (和田 まさ子)   


符号のように


終点を過ぎても走っている人がいて
ついていくと意外にジグザグで走っていた
アスファルトの表面はざらついた動物の肌のようで冷たい
そこらじゅうにある凹凸
足をとられてころびそうになるのをこらえるとき
膝にきゅっと力が入る
終点と思うのはいつも通過点で
その先がある
走っていると道路が銀色に発行するのが見える
アスファルトに汗のようなしずくが盛り上がり
水浸しのようになってくる
ひたひたとくるぶしまであがってくるものがあって
氷のように熱い

何に向かって走っているのか
聞いてもしかたないことは聞かない
たぶん感情をもてあまし
それをふりこぼして
走っていくのだ
どこにも着地できない者のために地面はある

つんのめりそうな
前傾姿勢のまま
人生に突入していくことは無謀だ
どこかで軽く生きていくふりを学ばなかったのだろうか

角を曲がるということを知らない走者
         「実験は成功したか」
         「科学者たちに誤りがあったそうだ
          明日の新聞に載るだろう」

体内の湿度が上がり
記憶がぼんやりしてくる
いくつかの折り合いのつかない問題で
走りながら悩ませられる
ひょっと角から出てくる子どもにおびえたり
くりかえし悪い記憶を牛のように咀嚼したり
手を握ってそれらに耐える






走るのか
雨粒が顔にかかる
空からの符号のように届くもの
それはことばのかけら

         た
    ま
           し
               い
         も
              は
        し
                  る
             の
                       か

片足が攣れてきた
助けを求める人もいないから
止まるしかない
ふくらはぎの肉がきんきんつっぱるので
地面にうずくまる
「保健室は消毒液をばらまいたいい匂いだった
                  そこで起きた秘密のこと
                  ぜったいに泣かない少女だった
走者がちらりと振り返るので
告げる
                  先に行ってください
                  草にしるしをつけて
                  わたしたちは兄妹なのだから
                  一億人の中からでもあなたを見つけ出すでしょう
ゴールはここではないとわかっている
ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家はまだ遠い
そこで煮えたぎった大なべに放り込まれるのよ

世界はボール
わたしたちをはずませて
   遊んでいるのでしょ
         静かな音楽をかなでてはいるが
            中心にあるのは死
       そこに磁石のように吸いついていかないために
             走る 走る 走る

「どうしたの
「たおれているわ
「息は
いっせいにかかわろうとする人びと
わたしの平和は手を放れた風船のなかにある
風が起こる
空は運命を吸い込むように
軽々と風船を抱え上げ
過去を抱え上げ
未来を小包のように落とす
拾った人は
こっそり紐を解く
そしてだれにもいわない
不遇な人生のことなど

「お兄さん
走ってください
走るしかないのです」
逃れるためには

(和田まさ子詩集『わたしの好きな日』より)

もう一篇
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by hannah5 | 2010-12-29 15:18 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(2)

私の好きな詩・言葉(144) 「夜の背」 (中村 梨々)   


夜の背

からだからあらゆる球を取り出して洗う
どこからも月はのぼらない
人は人でも自然でもなくなり
吠えることもできず
自分宛の絵文字を送り続けて朝になる
あなたと違う私
 にある球はやわらかく
紅金魚の泳ぐ池には優雅な尾ひれの数の死が
待ち構えている
拾うことも捨てることもできない
池が迫ってくる
あなたの背にまるく私を写し取ることができたらいいのに
ぬるくなったお湯に全身をひたす
金魚がひらひらと泳ぎはじめ
私は雨を含んだ肌になりそこねた
腕を抜き足を時間を逆撫でするように
紅い腹をさすり
順を追って説明しても届かない
改、の字を湯に書く

(現代詩手帖2008年9月入選、杉本真維子選)

ひと言
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by hannah5 | 2010-10-29 17:06 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)