カテゴリ:詩のイベント( 233 )   

日本の詩祭2017   


6月18日(日)、日本現代詩人会主催の「日本の詩祭2017」がありました(於ホテル・メトロポリタンエドモント)。H氏賞は北原千代さんの 『真珠川 Barroco』 が受賞し、現代詩人賞は中村稔さんの 『言葉について』 が受賞しました。また、先達詩人への顕彰は木村迪夫さん、菊田守さん、財部鳥子さんが受賞されました。

第二部は「琉球歌謡のことばと表現」と題して、波照間永吉さんが沖縄の歴史や民族性、言葉や琉球音楽等、多岐にわたって講演されました。私にとってはまったく初めての話題でしたので、少し入り込みにくかった部分もありましたが、知人にも沖縄の人が何人かいますので、興味を引かれました。その後の男性5人によるアカペラは初めて知るグループでしたが、とてもよかったです。


【プログラム】

[Ⅰ部]

総合司会                         田村雅之
司会                            塚本敏雄、草野理恵子

開会のことば                       新延拳

第67回H氏賞贈呈
  選考経過報告                    八木忠栄
  H氏賞贈呈                      以倉絋平
  受賞詩集 『真珠川 Barroco』 について     瀬崎祐
  受賞のことば                     北原千代

第35回現代詩人賞贈呈
  選考経過報告                    倉橋健一
  現代詩人賞贈呈                   以倉絋平
  受賞詩集 『言葉について』 について       高橋順子
  受賞のことば                     中村稔/中村あさこ(体調を崩された稔氏に代わって)

先達詩人への顕彰
  先達詩人への敬意・記念品贈呈        以倉絋平
  先達詩人のことば                 木村迪夫
  先達詩人のことば                 菊田守
  先達詩人のことば                 財部鳥子

詩朗読
  H氏賞受賞詩集 『真珠川 Barroco』 より  北原千代
  現代詩人賞受賞詩集 『言葉について』 より 中村稔


[Ⅱ部]

講演                           波照間永吉 「琉球歌謡のことばと表現」
歌声アルバム                     ベイビー・ブー 「故郷の歌」ほか
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閉会のことば                     田村雅之
(敬称略)



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by hannah5 | 2017-06-21 20:30 | 詩のイベント | Comments(0)

野村喜和夫現代詩講座「日本の詩を読む/世界の詩を読むI ~ 現代詩と古典」   


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野村喜和夫さんが講義される現代詩の講座「日本の詩を読む/世界の詩を読む」が今月から始まりました。これは3月まで淑徳大学池袋サテライトキャンパスで行われていた「日本の詩を読む」の続きですが、淑徳大学サテライトキャンパスが閉鎖されたため、今月開設されたエルスールカフェ(エルスール記念館/野村喜和夫記念館内)に場所を移してスタートしたものです。そして、今回から日本の詩だけでなく世界の詩も読むことになりました。

初回とあって淑徳大学で講義を受けていた受講生だけでなく、野村さんが新宿と横浜の朝日カルチャーセンターで講義をされている教室の受講生も参加して、総勢15名のクラスとなりました。淑徳大学の時は多くてもせいぜい8名くらいだったのですが、15名ともなるとさすがに大きく感じます。意見や質問などで活気溢れるクラスになりました。

今回のシリーズは7月までで、毎月第4日曜日の午後3時から5時まで講義が行われます。1回目の昨日は先日86歳で亡くなった大岡信さんが取り上げられました。読んだ作品は「地名論」、「さわる」、「水底吹笛」でした。他に、野村さんが毎日新聞に寄稿された追悼文「理論と実践 現代詩支え 大岡信さんを悼む」も配布されました。

講義の後は7名ほどで中国人がやっている中華料理屋へ繰り出し、そこでも文学論、詩論、意見、質問等々で盛り上がりました。料理はどれもとてもおいしくて、私は少しだけ紹興酒をいただきましたが、皮蛋とよく合ったし、料理の話でも盛り上がりました。次回の講義は5月14日の予定です(5月だけ第2日曜になります)。




地名論


水道管はうたえよ
御茶の水は流れて
鵠沼に溜り
荻窪に落ち
奥入瀬で輝け
サッポロ
バルバライソ
トンプクトゥーは
耳の中で
雨垂れのように延びつづけよ
奇態にも懐かしい名前をもった
すべての土地の精霊よ
時間の列柱となって
おれを包んでくれ
おお 見知らぬ土地を限りなく
数えあげることは
どうして人をこのように
音楽の房でいっぱいにするのか
燃えあがるカーテンの上で
煙が風に
形をあたえるように
名前は土地に
波動をあたえる
土地の名前はたぶん
光でできている
外国なまりがベニスといえば
しらみの混ったベッドの下で
暗い水が囁くだけだが
おお ヴェネーツィア
故郷を離れた赤毛の娘が
叫べば みよ
広場の石に光が溢れ
風は鳩を受胎する
おお
それみよ
瀬田の唐橋
雪駄のからかさ
東京は
いつも
曇り



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by hannah5 | 2017-04-25 00:04 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読むXI ~ 緊急的戦後詩再読提言(第5回)   


「戦後詩を読む」の第5回目は石原吉郎と吉岡実の予定でしたが、二人については過去に何回か講義したことがあるため今回は講義をせず、6回目に講義をする予定だった吉本隆明について学びました。(2/6/2017)

偶然というか面白いことに教室の参加者たちの中で吉本隆明に心酔していた、あるいは興味があったという人は一人しかおらず、吉本隆明をほとんど読んでこなかったとか、吉本隆明は避けてきたとかいう人ばかりで、どうやら吉本ファンは私たちより上の年代の人たちに多くて、その人達から吉本隆明を知ってかじったという人が多かったようです。かく言う私も詩を書くまでは吉本隆明とはまったくの無縁で、名前を知ってからもほとんど興味をもったことはありませんでした。というわけで、教室では吉本隆明については初心者として講義を聴きました。吉本の詩は今の時代の中では古い感じがしますが、ふと思ったのは、この不確実な時代にあってもしかしたら今こそ読んでみる価値があるかもしれないということです。大井浩一著 『批評の熱度 体験的吉本隆明論』、『吉本隆明前著作集』、詩集 『固有時との対話』、『転位のための十篇』、『記号の森の伝説歌』などの著作が教室で紹介されました。読んだ詩は「恋唄」、「固有時との対話」(最初の詩のみ)、「ちひさな群への挨拶」、「異教の世界へおりてゆく」でした。



異教の世界へおりてゆく

        吉本隆明


異教の世界へおりてゆく かれは名残り
をしげである
のこされた世界の少女と
ささいな生活の秘密をわかちあはなかつたこと
なほ欲望のひとかけらが
ゆたかなパンの香りや 他人の
へりくだつた敬礼
にかはるときの快感をしらなかつたことに

けれど
その世界と世界との袂れは
簡単だつた くらい魂が焼けただれた
首都の瓦礫のうへで支配者にむかつて
いやいやをし
ぼろぼろな戦災少年が
すばやくかれの財布をかすめとつて逃げた
そのときかれの世界もかすめとられたのである

無関係にうちたてられたビルデイングと
ビルデイングのあひだ
をあみめのやうにわたる風も たのしげな
群衆 そのなかのあかるい少女
も かれの
こころを掻き鳴らすことはできない
生きた肉体 ふりそそぐやうな愛撫
もかれの魂を決定することができない
生きる理由をなくしたとき
生き 死にちかく
死ぬ理由をもとめてえられない
かれのこころは
いちはやく異教の世界へおりていつたが
かれの肉体は 十年
派手な群衆のなかを歩いたのである
秘事にかこまれて胸を
ながれるのはなしとげられないかもしれないゆめ
飢えてうらうちのない情事
消されてゆく愛
かれは紙のうへに書かれるものを耻ぢてのち
未来へ出で立つ




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by hannah5 | 2017-02-10 19:41 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読むXI ~ 緊急的戦後詩再読提言(第4回)   


「戦後詩を読む」の第4回目は、前回時間が足りなくて触れなかった部分の田村隆一について少しと、北村太郎についての講義でした(12/19)。

不思議なというか偶然というか、教室の参加者の中に北村太郎を読んだことのある人は私も含めてほとんどいず、資料として配布された作品が北村太郎に触れた初めてだった人ばかりでした。北村太郎は荒地の中心的存在であったにもかかわらず、実際に詩集を刊行したのは44歳になってからで、荒地の詩人たちとは逆に、後年になってから爆発的に詩を書くようになりました。

資料で配布された作品は初めて読む作品でしたが、その繊細な響きは恐らく鮎川信夫や田村隆一よりずっと心に響くものがあって、北村太郎を読んでこなかったことが少なからず悔やまれました。



朝の鏡


  北村太郎


朝の水が一滴、ほそい剃刀の
刃のうえに光って、落ちる――それが
一生というものか。不思議だ。
なぜ、ぼくは生きていられるのか。曇り日の
海を一日中、見つめているような
眼をして、人生の半ばを過ぎた。

「一個の死体となること、それは
常に生けるイマージュであるべきだ。
ひどい死にざまを勘定に入れて、
迫りくる時を待ちかまえていること」
かつて、それがぼくの慰めであった。
おお、なんとウェファースを噛むような

考え! おごりと空しさ! ぼくの
小帝国はほろびた。だが、だれも
ぼくを罰しはしなかった。まったくぼくが
まちがっていたのに。アフリカの
すさまじい景色が、強い光りのなかに
白々と、ひろがっていた。そして

まだ、同じながめを窓に見る。(おはよう
女よ、くちなしの匂いよ)積極的な人生観も
シガーの灰のように無力だ。おはよう
臨終の悪臭よ、よく働く陽気な男たちよ。
ぼくは歯をみがき、ていねいに石鹸で
手を洗い、鏡をのぞきこむ。

朝の水が一滴、ほそい剃刀の
刃のうえに光って、落ちる――それが
一生というものか。残酷だ。
なぜ、ぼくは生きていられるのか。嵐の
海を一日中、見つめているような
眼をして、人生の半ばを過ぎた。




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by hannah5 | 2016-12-28 13:20 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読むXI ~ 緊急的戦後詩再読提言(第3回)   


「戦後詩を読む」の第3回目は田村隆一についてでした(12/12)。田村隆一は荒地派の詩人たちの中でも私にとっては比較的近づきやすい詩人ですが、それはどこか江戸っぽさがあったり(東京生まれの東京育ち)、端正な雰囲気や英国趣味的なものを持っていたりする点に起因しているのかもしれません。講義は田村隆一の垂直性の詩学、対句的書法(エクリチュール)などの話を中心に進められました。読んだ作品は「腐刻画」、「幻を見る人」、「立棺」でした。



立棺




わたしの屍体に手を触れるな
おまえたちの手は
「死」に触れることができない
わたしの屍体は
群集のなかにまじえて
雨にうたせよ

  われわれには手がない
  われわれには死に触れるべき手がない

わたしは都会の窓を知っている
わたしはあの誰もいない窓を知っている
どの都市へ行ってみても
おまえたちは部屋にいたためしがない
結婚も仕事も
情熱も眠りも そして死でさえも
おまえたちの部屋から追い出されて
おまえたちのように失業者になるのだ

  われわれには職がない
  われわれには死に触れるべき職がない

わたしは都会の雨を知っている
わたしはあの蝙蝠傘の群れを知っている
どの都市へ行ってみても
おまえたちは屋根の下にいたためしがない
価値も信仰も
革命も希望も また生でさえも
おまえたちの屋根の下から追い出されて
おまえたちのように失業者になるのだ

  われわれには職がない
  われわれには生に触れるべき職がない



わたしの屍体を地に寝かすな
おまえたちの死は
地に休むことができない
わたしの屍体は
立棺のなかにおさめて
直立させよ

  地上にはわれわれの墓がない
  地上にはわれわれの屍体をいれる墓がない

わたしは地上の死を知っている
わたしは地上の死の意味を知っている
どこの国へ行ってみても
おまえたちの死が墓にいれられたためしがない
河を流れて行く小娘の屍骸
射殺された小鳥の血 そして虐殺された多くの声が
おまえたちの地上から追い出されて
おまえたちのように亡命者になるのだ

  地上にはわれわれの国がない
  地上にはわれわれの死に値いする国がない

わたしは地上の価値を知っている
わたしは地上の失われた価値を知っている
どこの国へ行ってみても
おまえたちの生が大いなるものに満たされたためしがない
未来の時まで刈りとられた麦
罠にかけられた獣たち またちさな姉妹が
おまえたちの生から追い出されて
おまえたちのように亡命者になるのだ

  地上にはわれわれの国がない
  地上にはわれわれの生に値いする国がない



わたしの屍体を火で焼くな
おまえたちの死は
火で焼くことができない
わたしの屍体は
文明のなかに吊るして
腐らせよ

  われわれには火がない
  われわれには屍体を焼くべき火がない

わたしはおまえたちの文明を知っている
わたしは愛も死もないおまえたちの文明を知っている
どの家へ行ってみても
おまえたちは家族とともにいたためしがない
父の一滴の涙も
母の子を産む痛ましい歓びも そして心の問題さえも
おまえたちの家から追い出されて
おまえたちのように病める者になるのだ

  われわれには愛がない
  われわれには病める者の愛だけしかない

わたしはおまえたちの病室を知っている
わたしはベッドからベッドへつづくおまえたちの夢を知っている
どの病室へ行ってみても
おまえたちはほんとうに眠っていたためしがない
ベッドから垂れさがる手
大いなるものに見ひらかれた眼 また渇いた心が
おまえたちの病室から追い出されて
おまえたちのように病める者になるのだ

  われわれの毒がない
  われわれにはわれわれを癒すべき毒がない



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by hannah5 | 2016-12-19 14:26 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読むXI ~ 緊急的戦後詩再読提言(第2回)   


戦後詩を読む2回目の講義は11月21日に行われました。鮎川信夫Part IIで、今回は「橋上の人」を中心に講義が進められました。

「橋上の人」は戦中から戦後にかけて3回にわたって書き直されましたが(1943年、1948年、1951年)、書き直されるたびに長くなっていきました。しかし、3つの作品に根本的な違いはなく、通底して伝わってくるものがあるようです。最近出された樋口良澄さんの 『鮎川信夫、橋上の人』 を参考にしながら、「橋」の多面的な解釈や、鮎川信夫と荒地とのかかわり、吉本隆明との関係、鮎川が次第に批評へと軸足を変え、詩は書かなくなったことなどが講義の中心でした。教室では1943年に書かれた「橋上の人」を読みました。



橋上の人

  鮎川信夫


高い欄干に肘をつき
澄みたる空に影をもつ 橋上の人よ
啼泣する樹木や
石で作られた涯しない屋根の町の
はるか足下を潜りぬける黒い水の流れ
あなたはまことに感じてゐるのか
澱んだ鈍い時間をかきわけ
櫂で虚を打ちながら 必死に進む舳の方位を

花火をみてゐる橋上の人よ
あなたはみづからの心象を鳥瞰するため
いまはしい壁や むなしい紙きれにまたたく嘆息をすて
とほく橋の上へやってきた
人工に疲れた鳥を
もとの薄暗い樹の枝に追ひかへし
あなたはとほい橋の上で 白昼の花火を仰いでゐる

渇いたこころの橋上の人よ
眠れる波のしずかな照応のなかに
父や母 また友の顔もゆらめいてゐる
この滑らかな洞よりも さらに低い営みがあるだらうか
たとえば純粋な緑が 墳墓の丘より呼びかけようと
水の表情は動かうともすまい

夢みる橋上の人よ
この泥に塗れた水脈もいつかは
雷とともに海へ出て 空につらなる水平線をはしり
この橋も海中に漂ひ去って 踊りたつ青い形象となり
自然の声をあげる日がくるだらうか

熱い額の 橋上の人よ
あなたはけむれる一個の霧となり
あなたの生をめぐる足跡の消えゆくを確め
あなたは日の昏れ 何を考へる
背中を行き来する千の歩みも
忘却の階段に足をかけ
濁れる水の地下のうねりに耳を傾けつつ
同じ木の手摺につかまり 同じ迷宮の方向へ降りてゆく

怒の鎮まりやすい刹那がえらばれて
果して肉体だけは癒る用意があるかのやうに
うるんだ瞳の橋上の人よ
日没の空にあなたはわななきつつ身を横たへ
黒い水のうへを吹く
行方の知れぬ風のことばにいつまでも微笑を浮べてゐようとは

模糊とした深淵のほとりから離れ
ほっそりした川のやうに渝らぬ月日を行くことが出来る
しかし橋上の人よ
たとえ何処の果へゆかうとも
内部を刻む時計の音に 蒼ざめた河のこの沈黙はつきまとひ
いくつもの扉のやうに行手をさへぎり
また午後の廊下の如くあなたの躰を影にするだらう

どうしていままで忘れてゐたのか
あなた自身が小さな一つの部屋であることを
此処と彼処 それも一つの幻影に過ぎぬことを
橋上の人よ 美の終局には
方位はなかった 花火も夢もなかった
風は吹いてもこなかった
群青に支へられ 眼を彼岸へ投げながら
あなたはやはり寒いのか
橋上の人よ




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by hannah5 | 2016-11-26 20:37 | 詩のイベント | Comments(0)

譚詩舎文学サロン   


11月3日(祝・木)、譚詩舎主催による立原道造についての講演がありました(於新宿歴史博物館)。今回の講演は「立原道造―現代詩へとつづく道」と題され、吉田文憲さんと野村喜和夫さんが立原道造と現代詩との関わりについてそれぞれの研究/発見から講義されました。最近少し忙しくなってイベントがある日はなかなか時間通りに到着できないことが多く、文憲さんが非常に緻密な講義をされていたのに、残念ながら文憲さんの講義を聴き逃してしまいました。


「立原道造―現代詩へとつづく道」

第一部  立原道造 詩「小譚詩」を巡って
       吉田文憲

第二部  立原道造と石原吉郎
       野村喜和夫

第三部  スピーチ・座談会




祈り


  石原吉郎


祈りは ことのほか
やさしかった
悔多い やわらかな
てのひらのなかで

祈ることは やはり
うれしかった
てのひらのなかで 風が
あたたかにうごいた

祈りのなかで
午前がすぎそして
午後がかさなった
時刻はさみしく しかし
きよらかにすぎた

夜がきて 星がかがやいた
私はその理由を考えなかった
私は てのひらのなかで
夜あけまで起きていた

(野村喜和夫さん配布の資料より。恐らく立原道造の影響が残る詩-野村さん曰く)



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by hannah5 | 2016-11-12 21:13 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読むXI ~ 緊急的戦後詩再読提言(第1回)   


野村喜和夫さんが講義される「日本の詩を読む」が始まりました。戦後70年、ずっと平和を享受してきた日本ですが、ここへきて少し不穏な気配が漂うようになりました。そのせいかどうかわかりませんが、今戦後詩が読み直されているようです。そこで11回目の「日本の詩を読む」は戦後詩を読むことになりました。(野村さんは最近台湾へ行かれていたせいか、タイトルは漢字ばかりです(笑))1回目の10月31日は鮎川信夫についての講義でした。読んだ詩は「死んだ男」と鮎川信夫が18歳の時に書いたという「扉の中」でした。




死んだ男


たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
――これがすべての始まりである。

遠い昨日・・・・・
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。

Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代――
活字の置き換えや神様ごっこ――
「それがぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて・・・・・

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。





扉の中


カレンダーに音楽が流れ
華の咲いてゐるテーブル
竜舌蘭を食べてゐる紳士は
今晩十二時に出帆します
海に向って帽子をふって
震へてゐる爪に霧がかかる

杳い寒帯から運ばれたミルクに溺れる頃
扉の外をマアチが風と共に過ぎる
盛んに蠟を焚く女のプロフィル
海の景色はこんなに暗い青でせうか

油絵の裏に隠れてゆく黄ろい月
軍艦はシーツの皺に沈没する
窓を開けると雪が踊ってゐる
逃げてゆくのは白い犬だ
雪に埋まる扉





【緊急的戦後詩再読提言-講義予定】

1.鮎川信夫Ⅰ
2.鮎川信夫Ⅱ
3.田村隆一
4.北村太郎
5.石原吉郎・吉岡実
6.吉本隆明
7.谷川雁・黒田喜夫




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by hannah5 | 2016-11-05 23:33 | 詩のイベント | Comments(0)

Pegasus vol. 2  颯木あやこ朗読会   


10月30日(日)、颯木あやこさんの第三詩集 『七番目の鉱石』 が第26回日本詩人クラブ新人賞を受賞したことを記念して、朗読会が行われました(於阿佐ヶ谷ネクストサンデー)。颯木さんの朗読には長谷川健治朗さんのピアノ伴奏と三上その子さんのダンスがコラボされました。ピアノもダンスも詩のイメージとモチーフをよく生かして創作され、三者が時に激しく時に優しく絡み合い、言葉を超えた深みと広がりが醸し出されていたと思います。朗読は 『七番目の鉱石』 の作品の他に、第一、第二詩集から一篇ずつと新作四編も含まれていて、『七番目の鉱石』 の作品しか知らなかった私にはとても新鮮でした。


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朗読中の颯木あやこさん



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長谷川健治朗さんのピアノと三上その子さんのダンスと



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対談中の颯木あやこさんと山田篤朗さん




【プログラム】

一部  朗読と共演  颯木あやこ(朗読)、長谷川健次郎(ピアノ)、三上その子(ダンス)
二部  トーク「鉱石のゆくえ」 山田篤朗、颯木あやこ
(敬称略)

                                颯木あやこ・長谷川健治朗共同プロデュース
                                葛原りょう監修
                                協賛 思潮社、丘のうえ工房ムジカ




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by hannah5 | 2016-11-02 21:20 | 詩のイベント | Comments(0)

現代詩研究会シンポジウム   


10月15日(土)、詩と思想編集委員会主催による現代詩研究会のシンポジウムがありました(於早稲田奉仕園スコットホール)。シンポジウムは詩と思想の初代編集長から現在の編集長に至る4名の方がパネラーとして登場し、詩と思想における戦後詩から現代詩への継承と発展など、編集長としてかかわった時の体験や苦労、発見、自分が始めた特集やもっとも強く印象に残った出来事等が語られ、かなり内容の濃いシンポジウムでした。

詩と思想はとかく現代詩手帖を対抗馬のように意識することが多いのですが、どのパネラーの方からも伺えたのは、詩と思想に対する思い入れと深い愛着です。詩と思想は優れた詩人を数多く輩出している出版社であり、現代詩手帖とは一味もふた味も違う詩と思想にしか持ちえない視点や特色があり、そのことを大事にしていけばよいと私は常に思っています。


【現代詩研究会プログラム】
~「詩と思想」歴代編集長が語る「戦後詩の継承と発展」~

開会の言葉  中村不二夫

来賓挨拶    麻生直子、太田雅孝

シンポジウム
  パネラー:  高良留美子、葵生川玲、森田進一、一色真理
           中村不二夫(コーディネーター)

開会の言葉   高木祐子
(敬称略)

主催: 詩と思想編集委員会




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by hannah5 | 2016-10-22 21:16 | 詩のイベント | Comments(0)