カテゴリ:詩のイベント( 237 )   

日本の詩を読む X ~ 四季派の時代(第4回)   


「四季派の時代」の4回目は当初の予定を少し変更し、三好達治の戦後詩と丸山薫の詩について講義が行われました(「三好達治-戦後の詩/丸山薫」)(6/13)。三好達治も丸山薫も四季派を代表する詩人ですが、二人を比較するとその作風にはかなりの違いがあります。三好達治は「半紙に墨を落とすとじわーっと広がっていく感じ」、丸山薫は「くっきりとペン書きした感じ」と、野村喜和夫さんはわかりやすく説明されましたが、読んでみるとなるほどと思いました。船員になることを夢見ていた丸山薫でしたが、病気のためその夢をあきらめざるを得ませんでした。そのせいか、丸山薫の詩には船や海が多く登場します。読んだ作品は三好達治の「落葉つきて」、丸山薫の「河口」、「錨」、「帆が歌つた」、「ランプが歌つた」、「鴎が歌つた」、「離愁」、「砲塁」、「幼年」、「海暮れる」でした。



海暮れる

    丸山薫


 僕は水葬礼の話をした。帆布の柩を軋らせておろし、散髪の銃音(つつおと)を放つ間を船は三繞(みめぐ)りの墓標を波に描いて去る、あの弔ひの話を――。
 僕はまた天の高い季節風に逆らつて異土の岬を指して翔(と)んでゆく、ロマンチツクな鶴の話をした。

 また練習船の日課操練に聴く奇妙な号令の抑揚と、永く余韻をひく喇叭(らっぱ)の口真似をして、二人掛りで回はす船尾の大舵輪の話をした。

 年少の友は卓の輝きに頬を染めてゐた。僕はもう黙つて杯の手を動かすばかりだつた。
 遂げ得なかつた婚約の希(のぞ)みを思ふと僕は悲しかつた。彼女こそいまもあの日の青春(わかさ)を乳房に抱きしめてゐる! しかも僕の背後(うしろ)に垂れる窓の帳(とばり)のむかふで、飾りをはづし、髪を解き、衣装をすべらし、沖の碇泊燈の一つだけを消し忘れて、言葉もなく暮れていつた。




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by hannah5 | 2016-06-18 20:56 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩祭2016 ~起ちあがれ、わがミューズたちよ~   


6月12日(日)、日本現代詩人会主催による日本の詩祭がありました(場所は飯田橋のホテル・メトロポリタンエドモント)。第一部ではH氏賞と現代詩人賞の選考経過報告と賞の贈呈、先達詩人の顕彰で選ばれたお二人の方への記念品贈呈がありました。今年のH氏賞は森本光徳さんの『零余子回報』、現代詩人賞は尾花仙朔さんの『晩鐘』、先達詩人の顕彰は田中清光さんと田村のり子さんが受賞されました。第二部では新倉俊一先生による西脇順三郎についての講演と友部正人さんのフォーク演奏がありました。新倉先生の西脇順三郎の話は大変面白く、機会があれば新倉先生の講義を聴講したいものだと思いました。

【プログラム】

[Ⅰ部]

開会のことば                 理事長    新延拳
★第66回H氏賞贈呈
  選考経過報告               選考委員長  郷原宏
  H氏賞贈呈                 会長      以倉絋平
  受賞詩集『零余子回報』について             白鳥央堂
  受賞のことば                         森本光徳
★第34回現代詩人賞贈呈
  選考経過報告選考委員長                川中子義勝
  現代詩人賞贈呈             会長      以倉絋平
  受賞詩集『晩鐘』について                原田勇男
  受賞のことば                        尾花仙朔
★先達詩人の顕彰
  先達詩人への敬意・記念品贈呈   会長      以倉絋平
  田中清光氏について                   鶴岡善久
  田村のり子氏について                  清岳こう
  先達詩人のことば                     田中清光
                                   田村のり子
★詩の朗読                           森本光徳
                                   尾花仙朔
司会 黒岩隆、斉藤貢、須永紀子

[Ⅱ部]
★講演                              新倉俊一
                                   聞き手 八木幹夫
★フォーク演奏                         友部正人
(敬称略)


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西脇順三郎について講演される新倉俊一先生



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by hannah5 | 2016-06-14 20:46 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読む X ~ 四季派の時代(第3回)   


「四季派の時代」の3回目は「三好達治~ 『測量船』 以後」と題し、『測量船』以後に出された三好達治の詩集の中から特に 『何窗集』、『閒花集』、『山果集』、『霾』、『艸千里』 を中心に講義が行われました(5/30)。また、四季派について論じた吉本隆明の「「四季」派の本質-三好達治を中心に」(「文学」(1958.4)も併せて取り上げられました。(吉本隆明は初期の頃、四季派、特に立原道造から影響を受けたそうですが、興味深いエピソードです。)読んだ作品は 『何窗集』 から「鴉」、「首途」、「展墓」、「路上」、「服喪」、『閒花集』 から「揚げ雲雀」と「ある写真に」、『山果集』 から「燈下」、「一枝の梅」、「日まはり」、『霾』 から「大阿蘇」、『艸千里』 から「涙」、「艸千里浜」、「あられふりける」、「おんたまを故山に迎ふ」、「列外馬」でした。






静な村の街道を 筧が横に超えてゐる
それに一羽の鴉がとまつて 木洩れ陽の中に
空を仰ぎ 地を眺め 私がその下を通るとき
ある微妙な均衡の上に 翼を戢(おさ)めて 秤(はかり)のやうに揺れてゐた




友を喪ふ 四章

  首途

真夜中に 格納庫を出た飛行船は
ひとしきり咳をして 薔薇の花ほど血を吐いて
梶井君 君はそのまま昇天した
友よ ああ暫らくのお別れだ…… おつつけ僕から訪ねよう!


  展墓

梶井君 今僕のかうして窓から眺めてゐる 病院の庭に
山羊の親仔が鳴いてゐる 新緑の梢を雲が飛びすぎる
その樹立の向うに 籠の雲雀が歌つてゐる
僕は考へる ここを退院したなら 君の墓に詣らうと


  路上

巻いた楽譜を手にもつて 君は丘から降りてきた 歌ひながら
村から僕は帰つてきた 洋杖(ステッキ)を振りながら
……ある雲は夕焼のして春の畠
それはそのまま 思ひ出のやうなひと時を 遠くに富士が見えてゐた


  服喪

啼きながら鴉がすぎる いま春の日の真昼どき
僕の心は喪服を着て 窓に凭れる 友よ
友よ 空に消えた鴉の声 木の間を歩む少女らの
日向に光る黒髪の 悲しや 悲しや あはれ命あるこのひと時を 僕は見る

(三好達治詩集 『何窗集』 より)




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by hannah5 | 2016-06-09 17:20 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読む X ~ 四季派の時代(第2回)   


「四季派の時代」の2回目の講義は、三好達治と達治の詩集『測量船』を中心に行われました(5/16)。

三好達治は「青空」(梶井基次郎主催)や「亜」(安西冬衛主催)、「詩と詩論」などの同人誌に参加、モダニズムや新精神(エスプリ・ヌーヴォー)の影響を受けました。1930年、第一書房より第一詩集『測量船』を刊行しました。教室で読んだ作品は「乳母車」、「雪」、「甃(いし)のうへ」、「郷愁」、「祖母」でした。




甃(いし)のうへ


あはれ花びらがながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に

風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ








太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。




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     『測量船』


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      函入り


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    函入りの函入り


Amazonで古書の『測量船』を買ったら、詩集は函入りで、それがまた函入りになっていました。初版本ではありませんが、かなり丁寧な造りです。



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by hannah5 | 2016-05-24 20:40 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読む X ~ 四季派の時代(第1回)   


先週月曜日の18日から、野村喜和夫さんが講義される「日本の詩を読む」シリーズの10回目が始まりました。今回は四季派の詩人たちを中心に、全部で7回の講義です。私自身は一時立原道造に心酔していたこともあり、四季派という名前は知っていたのですが、それが具体的にどういうものかはほとんど知りませんでした。今回の講義では四季派の成立や背景、雑誌「四季」に関わった詩人たちなど、広範な視点から四季派を見ていきます。

第1回目の講義は堀辰夫が「四季」という小説やエッセイ、詩などの総合季刊誌を創刊したことや、その後、丸山薫、三好達治らによって受け継がれ、詩の雑誌になったことなど、「四季」の成立を中心に講義が進められました。


【講義予定】
1.4/18  「四季」の成立
2.5/16  三好達治(『測量船』)
3.5/30  三好達治(『測量船』以後)
4.6/13  丸山薫/その他の四季派の詩人たち
5.6/20  立原道造
6.6/27  「コギト」と伊藤静夫
7.7/11  詩と戦争
(教室はいつもの淑徳大学池袋サテライトキャンパスです。)



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by hannah5 | 2016-04-25 20:52 | 詩のイベント | Comments(0)

日本詩人クラブ新人賞   


第26回日本詩人クラブ新人賞に、喜和堂の同人颯木あやこさんの 『七番目の鉱石』 が受賞しました。9日(土)はその授賞式でした(於東京大学駒場キャンパス21 KOMCEEレクチャーホール)。『七番目の鉱石』は颯木さんの3冊目の詩集です。詩集をいただいたお礼のはがきに、こんなことを書きました。「この詩集は本当に鉱石のようだと、最初に通読した時に思いました。鉱石のように固く、磨いていくとやがて美しい宝石になる。たった一つの原石から、やがて美しく輝いて、人を魅きつける宝石になることへの確信に近い願望・・・(中略)・・・ひりひりするような孤独と痛み、それでも見失うまいとする希望と光。」前の2冊の詩集は読んでいないのですが、本の栞や祝辞を述べられた人たちの言葉から、『七番目の鉱石』が完成度の高い詩集に仕上がっているという印象をもちました。颯木さん、受賞おめでとうございます。これからも颯木さんの作品を楽しみにしています。

新人賞の他に日本詩人クラブ賞の贈呈もあり、林嗣夫さんの 『そのようにして』 が受賞しました。(颯木さんの後ろに座っている方が林嗣夫さんです。)詩人クラブのもうひとつの賞である詩界賞は該当者がいませんでした。


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作品を朗読する颯木あやこさん




雨だれ

   颯木あやこ詩集 『七番目の鉱石』 より

黒豹だ

きっと雌だ

いま 屋根に爪先で着地した
ひとあし ひとあし歩き回り
(大きく育ったマグノリアの花を貪り)

天井の下 わたしは
毛布をかぶり直し
その 爪の先端から放たれる
ぬれぬれとした光から 身を守る
身を

黒豹
   窓を
     かすめ

爪の光に穿たれて
全身 孔だらけ 灰色の蜜 噴き出し
寝床に染みだけ残して
消え去ってもよい
こんな夜に

わたしの幻影が
月にさえ背を向けて
道のカーヴの奥行きへ
吸いこまれてゆくのを見た と
青に近いほど白い影だった と

ひとり 蟋蟀のような男が
秋に呟いてくれればそれでよいのに

黒豹は
土砂降り
捨て子となって
流れてゆく





【贈呈式式次第】

1. 開会の言葉                           太田雅孝

2. 会長挨拶                             武子和幸

3. 経過報告                             村尾イミ子

4. 選考経過
   第49回日本詩人クラブ賞                  硲杏子
   第26回日本詩人クラブ新人賞               根本明
   第16回日本詩人クラブ詩界賞(該当者なし)       三田洋

5. 賞の贈呈
   第49回日本詩人クラブ賞 詩集『そのようにして』    林嗣夫
   第26回日本詩人クラブ新人賞 詩集『七番目の鉱石』 颯木あやこ

6. 受賞者の紹介
   林嗣夫氏について                        石川逸子
   颯木あやこ氏について                      葛原りょう

7. 受賞詩集から試作品朗読
   詩集『そのようにして』から                   林嗣夫
   詩集『七番目の鉱石』から                   颯木あやこ

8. 花束贈呈

9. 受賞者挨拶
   第49回日本詩人クラブ賞                   林嗣夫
   第26回日本詩人クラブ新人賞                颯木あやこ

10. 閉会の言葉                           細野豊
    (敬称略)



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by hannah5 | 2016-04-12 20:38 | 詩のイベント | Comments(0)

鈴村和成×野村喜和夫「テロと三島と60年代」   


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対談中の鈴木和成さんと野村喜和夫さん


4月7日(木)、鈴村和成さんの新著『テロの文学史 三島由紀夫にはじまる』の刊行を記念して、野村喜和夫さんをゲストに迎えてのトークイベントがありました(場所は本屋B&B)。三島由紀夫を中心に、テロとは何か、三島由紀夫VS作家や詩人などの文学者たち、三島由紀夫の60年代、鈴村さんや野村さんの60年代、三島由紀夫の問題等、ぐるぐると渦を巻くようにして(スパイラル)のトークでした。鈴村さんは金子光晴の足跡を訪ねて野村さんとマレーシアを旅行されたせいか(その旅行記は野村さんの詩集 『芭(塔(把(波』 に描かれています)、お二人のやり取りもこの本の内容より深いところでやり取りされていて、わりと突っ込んだ内容になっていたように思いました。

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鈴村和成氏プロフィール
1994年 名古屋市生まれ。東京大学仏文科卒。同修士課程修了。横浜市立大学教授を経て、同名誉教授。評論家。フランス文学者、紀行作家、詩人。
評論 『写真とフィクション』、『幻の映像』、『バルト テクストの快楽』、『ランボー、砂漠を行く アフリカ書簡の謎』、『愛について プルースト、デュラスと』 、紀行 『ランボーのスティーマー・ポイント』、『金子光晴、ランボーと会う マレー・ジャワ紀行』、『ヴェネツィアでプルーストを読む』、紀行小説 『ランボーとアフリカの8枚の写真』 (藤村記念歴提賞)、詩集 『ケルビンの誘惑者』、『黒い破線、廃市の愛』 など。( 『テロの文学史』 よりコピー抜粋)



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by hannah5 | 2016-04-11 11:43 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読む IX ~ 詩的アヴァンギャルドの100年(第10回)   


「詩的アヴァンギャルドの100年」の最終講義は「詩的実験の現在」と題し、実験詩のいくつかが紹介されました(3/28)。紹介された主な詩人は藤井貞和、レーモン・クノー、ジョルジュ・ペレック、ジャック・ルーボーなどで、読んだ作品は藤井貞和の詩「〈柳虹とかいふ人の、......実に最劣の詩、ではない、詩のやうなものばかりだ。〉」、レーモン・クノーの詩集 『100兆の詩篇』、野村さんの詩集 『街の衣のいちまい下の虹は蛇だ』 の中の「(お肉さん、お肉さん、)で始まる部分と「街の、衣の、いちまい、下の、虹は、蛇だ、」が繰り返される部分(呪文パート)、野村さんが2003年11月8日の読売新聞に寄稿した「地球の顔21 セビリア(スペイン)」でした。(スイスで長編詩「街の衣のいちまい下の虹は蛇だ」を書き上げた後、野村さんは妻の眞理子さんを伴ってスペインのセビリアを訪れます。セビリアの旧市街には「蛇通り」という名の通りがあり、蛇通りの上には日除けのための布が張り巡らされていて、詩との偶然に驚いたことが書かれています。)また、篠田昌伸氏が「(お肉さん、お肉さん、)」と「街の、衣の、いちまい、下の、虹は、蛇だ、」を合唱曲として作曲し、2006年にみなとみらいホールで発表された合唱の録音も聴きました。

詩の実験が繰り返されてきた100年、そこで使われてきた言葉は人の常識を超え、言葉の法則として定着したものを覆し、分け入ることが困難なように思われますが、実験を繰り返すことで言葉の本質と核心に迫り、何物にもとらわれない自由な言葉が立ち現われていることを感じます。ふつう言葉は意思疎通と伝達の手段として使われますが、音楽や絵画のように芸術の高みにまで昇るせることができると、詩的アヴァンギャルドの講義を通して確信することができました。

次回の「日本の詩を読む」は4月18日から、四季派についての講義が行われます。場所は淑徳大学池袋サテライトキャンパスです。興味のある方はご参加ください。



「街の衣のいちまい下の虹は蛇だ」より


        野村喜和夫


街の、衣の、
いちまい、下の、
虹は、蛇だ、
街の、衣の、
いちまい、(meta)の、
蛇は、虹だ、
かすか、呼気、カーブして、
青く、呼気、カーブして、
わたくしは、葉に、揉まるる、
葉は、水に、揉まるる、
街の、衣の、いちまい、下の、虹は、蛇だ、
蛇の、粋の、いちまい、横の、声は、ヨーガだ、蛇の、
粋の、いちまい、(para)の、ヨーガは、声だ、声の、筋の、
いちまい、上の、景は、さやぐ、声の、筋の、いちまい、(poly)の、
景も、さやぐ、景を、あら敷き、結合の、きゃっ、添え、膜を、あら敷き、
分泌の、ひゃっ、添え、ふささ、さむ、衣の、にぎ夢、ひたた、たむ、衣の、
ざざ夢、ららら、ひとの穂、飛ぶよ、ららら、ひとの腑、浮くよ、街の、
衣の、いちまい、下の、虹は、蛇だ、蚶だ、蚯だ、蚫だ、蛔だ、
蛟だ、蜒だ、らむ、だむ、そよぎ、だむ、たむ、さわぎ、
蚶だ、蚯だ、きゃっ、ぎゃっ、きゃみ、髪、神、
街の、衣の、いちまい、下の、虹は、蛇だ、
わたくしは、葉に、揉まるる、
葉は、水に、揉まるる、
かすか、呼気、カーブして、
青く、呼気、カーブして、
街の、衣の、
いちまい、(meta)の、
蛇は、虹だ、
街の、衣の、
いちまい、下の、
虹は、蛇だ、

(野村喜和夫詩集 『街の衣のいちまい下の虹は蛇だ』 より)



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by hannah5 | 2016-04-02 21:32 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読む IX ~ 詩的アヴァンギャルドの100年(第9回)   


「詩的アヴァンギャルドの100年」の9回目の講義は吉増剛造についてで、講義のタイトルは「吉増剛造あるいは未聞の翻訳空間」でした(3/14)。吉増剛造に感化されたり影響を受けた人は多いと思いますが、私自身は食わず嫌いというか、読んでも頭の上を素通りして行く感じがしてふだん彼の詩は読まないのですが、学生時代、吉増剛造に憧れていたという野村喜和夫さんの講義は説得力があって、私なりに楽しめました。吉増剛造の手書きの原稿は細かい書き込みがたくさんあってわかりづらいのですが(あのテクストから印刷するのはかなり大変な作業だろうと思います)、実際に彼が朗読するのを聴いてみると思ったほど難解ではない印象があります。教室で読んだ詩は「赤壁に入って行った」(『オシリス、石ノ神』)、「光の落葉」(『The Other Voice』)、野村さんの「小言海」(『難解な自転車』)と吉増剛造論を述べた「ニューオルフェウス計画」(『オルフェウス的主題』)でした。


赤壁に入って行った

      吉増剛造

 炎暑八月、私の眼に赤壁が映った。川のむこう、鉄橋はかかっていない。総重量噸はどうやってはかるのか。私の、視線を吊り上げはじめた。川のむこう、聳えている赤壁に、その内奥に彫刻物が忍び込んで、はっしている光がみえる。
 光がみえる。
 山中の川幅は、五十メーター位、川床は岸から下って三メートル?
 私は測量士、川筋の、私は測量士だ。
 川の川底を大水が通って行ったのはきのうのよるのこと? そのまたきのうのあさのこと? 下流に向って靡いている、土砂にまみれてひかる草木に話しかけた。
 私、交換手? 私は交換手?
 大蛇のように怒って? 豊かに? きのうのよるなのか、きのうのあさなのか、通って行った、大水の背丈を測ると、貴女は、一メートル七十五センチだ。熱い息吹きを感ずる、背に脚に股に胸に背筋に……抜き去るように、身体を吊り上げて、岸に身体を揚げて行った。
 私は、河川の遊泳監視員? 遊泳監視員? 判らない。
 脇に、鮎供養塔が立っていて、その聲におどろく。
 そばに行くと、私達の聲も囁くように優しくなる。そのそばに行くと、細かくきらめく小魚や魚の聲が聞こえて来た。私達は清流のイメージを、しばらくさわって、つかまえていた。
 砂の物? 砂の物?
 そのとき、低くなり小山になり、小聲になって、鮎や鮎の頬に指をつけていた、砂になった、私は流れた?
 そして、ふりかえると、対岸の大赤壁は、一メートルか二メートル、こちらの岸へ傾きかけ、石火、炎の貌――、その奥に宇宙も幾つか、彗星も、熊も、そして、私の掌にいたバードストーンも、赤壁の空を跳んでいた。

 古座上流、一枚の大きな壁のたつ不思議なところ。

 こさかな、こさか、
 な、そここさかな。

 八月十一日
 赤壁は私に入って行った。



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by hannah5 | 2016-03-22 19:37 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読む IX ~ 詩的アヴァンギャルドの100年(第8回)   


8回目の「詩的アヴァンギャルドの100年」は谷川俊太郎を中心に講義が行われました(3/7)。タイトルは「谷川俊太郎あるいは日本語のレッスン」。詩的アヴァンギャルドの詩人の中に谷川俊太郎が入っていたので、平易な日本語で書かれた谷川俊太郎の詩のどこがアヴァンギャルドなのかと思っていたのですが、講義で取り上げられた詩を見ると、確かに他のアヴァンギャルドの詩人たちに負けずとも劣らずかなりアヴァンギャルドです。私自身谷川俊太郎が好きで、毎日のように俊太郎の詩を読んでいた時期がありますが、実験的な詩があることには気がつきませんでした。もしかすると今まで取り上げられた詩人たちの中で、谷川俊太郎はもっともアヴァンギャルドな詩人かもしれません。それにしても、平易な言葉から実験的な言葉までその語彙はかなり豊富で、しかもいまだに創作意欲は衰えることなく書き続けているのですから、谷川俊太郎という人は驚異的な才能をもった詩人です。教室で読んだ詩は「壹部限定版詩集〈世界ノ雛形〉目録」(一部)、「日本語のカタログ」(一部)、「コップへの不可能な接近」、野村喜和夫さんの「斧の平和」、生徒の希望により岩成達也の「鳥の骨組みに関する覚書・同補足」(一部)でした。



コップへの不可能な接近

       谷川俊太郎


それは底面はもつけれど頂面をもたない一個の円筒状をしていることが多い。それは直立している凹みである。重力の中心へと閉じている限定された空間である。それは或る一定量の液体を拡散させることなく地球の引力圏内に保持し得る。その内部に空気のみが充満している時、我々はそれを質量の実存は計器によるまでもなく、冷静な一瞥によって確認し得る。
指ではじく時それは振動しひとつの音源を成す。時に合図として用いられ、稀に音楽の一単位としても用いられるけれど、その響きは用を超えた一種かたくなな自己充足感を有していて、耳を脅かす。それは食卓の上に置かれる。また、人の手につかまれる。しばしば人の手からすべり落ちる。事実それはたやすく故意に破壊することができ、破片と化することによって、凶器となる可能性をかくしている。
だが砕かれたあともそれは存在することをやめない。この瞬間地球上のそれらのすべてが粉微塵に破壊しつくされたとしても、我々はそれから逃れ去ることはできない。それぞれの文化圏においてさまざまに異なる表記法によって名を与えられているけれど、それはすでに我々にとって共通なひとつの固定観念として存在し、それを実際に(硝子で、木で、鉄で、土で)製作することが極刑を伴う罰則によって禁じられたとしても、それが存在するという悪夢から我々は自由ではないにちがいない。
それほ主として渇きをいやすために使用される一個の道具であり、極限の状況下にあっては互いに合わされくぼめられたふたつの掌以上の機能をもつものではないにもかかわらず、現在の多様化された人間生活の文脈の中で、時に朝の陽差のもとで、時に人工的な照明のもとで、それは疑いもなくひとつの美として沈黙している。
我々の知性、我々の経験、我々の技術がそれをこの地上に生み出し、我々はそれを名づけ、きわめて当然のようにひとつながりの音声で指示するけれど、それが本当は何なのか――誰も正確な知識を持っているとは限らないのである。



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by hannah5 | 2016-03-09 21:10 | 詩のイベント | Comments(0)