カテゴリ:詩のイベント( 238 )   

日本の詩を読む IX ~ 詩的アヴァンギャルドの100年(第8回)   


8回目の「詩的アヴァンギャルドの100年」は谷川俊太郎を中心に講義が行われました(3/7)。タイトルは「谷川俊太郎あるいは日本語のレッスン」。詩的アヴァンギャルドの詩人の中に谷川俊太郎が入っていたので、平易な日本語で書かれた谷川俊太郎の詩のどこがアヴァンギャルドなのかと思っていたのですが、講義で取り上げられた詩を見ると、確かに他のアヴァンギャルドの詩人たちに負けずとも劣らずかなりアヴァンギャルドです。私自身谷川俊太郎が好きで、毎日のように俊太郎の詩を読んでいた時期がありますが、実験的な詩があることには気がつきませんでした。もしかすると今まで取り上げられた詩人たちの中で、谷川俊太郎はもっともアヴァンギャルドな詩人かもしれません。それにしても、平易な言葉から実験的な言葉までその語彙はかなり豊富で、しかもいまだに創作意欲は衰えることなく書き続けているのですから、谷川俊太郎という人は驚異的な才能をもった詩人です。教室で読んだ詩は「壹部限定版詩集〈世界ノ雛形〉目録」(一部)、「日本語のカタログ」(一部)、「コップへの不可能な接近」、野村喜和夫さんの「斧の平和」、生徒の希望により岩成達也の「鳥の骨組みに関する覚書・同補足」(一部)でした。



コップへの不可能な接近

       谷川俊太郎


それは底面はもつけれど頂面をもたない一個の円筒状をしていることが多い。それは直立している凹みである。重力の中心へと閉じている限定された空間である。それは或る一定量の液体を拡散させることなく地球の引力圏内に保持し得る。その内部に空気のみが充満している時、我々はそれを質量の実存は計器によるまでもなく、冷静な一瞥によって確認し得る。
指ではじく時それは振動しひとつの音源を成す。時に合図として用いられ、稀に音楽の一単位としても用いられるけれど、その響きは用を超えた一種かたくなな自己充足感を有していて、耳を脅かす。それは食卓の上に置かれる。また、人の手につかまれる。しばしば人の手からすべり落ちる。事実それはたやすく故意に破壊することができ、破片と化することによって、凶器となる可能性をかくしている。
だが砕かれたあともそれは存在することをやめない。この瞬間地球上のそれらのすべてが粉微塵に破壊しつくされたとしても、我々はそれから逃れ去ることはできない。それぞれの文化圏においてさまざまに異なる表記法によって名を与えられているけれど、それはすでに我々にとって共通なひとつの固定観念として存在し、それを実際に(硝子で、木で、鉄で、土で)製作することが極刑を伴う罰則によって禁じられたとしても、それが存在するという悪夢から我々は自由ではないにちがいない。
それほ主として渇きをいやすために使用される一個の道具であり、極限の状況下にあっては互いに合わされくぼめられたふたつの掌以上の機能をもつものではないにもかかわらず、現在の多様化された人間生活の文脈の中で、時に朝の陽差のもとで、時に人工的な照明のもとで、それは疑いもなくひとつの美として沈黙している。
我々の知性、我々の経験、我々の技術がそれをこの地上に生み出し、我々はそれを名づけ、きわめて当然のようにひとつながりの音声で指示するけれど、それが本当は何なのか――誰も正確な知識を持っているとは限らないのである。



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by hannah5 | 2016-03-09 21:10 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読む IX ~ 詩的アヴァンギャルドの100年(第7回)   


「詩的アヴァンギャルドの100年」の7回目の講義は、入沢康夫とその作品についてでした(2/29)。講義のタイトルは「入沢康夫あるいは死の脱構築」でした。実は私は入沢康夫は食わず嫌いで、読んだことがありませんでした。『かりのそらね』という詩集を持っているにはいるのですが、あけてみてもどうも読みにくい。野村喜和夫さんは『入沢康夫の詩の世界』という本を城戸朱里さんと出されているくらですから、入沢康夫についてはかなり詳しくて、そんなことから今回の講義はかなり面白く、オツムの中がふつふつ煮えくりかえるみたいに楽しかったです。と言っても、たぶん解説がないと入沢康夫は簡単には読めないだろうと思います。教室で読んだ作品は「かつて座亜謙什と名乗つた人への九連の散文詩―第九のエスキス」、「焦慮のうた」、「売家を一つもっています―作文のおけいこ―」、「『声なき木鼠の唄』のための素描」、「声なき木鼠の唄の来歴」、野村さんの「くねる日付/ムーヴィングアウト―〈入沢康夫的〉なものの方へ」でした。



かつて座亜謙什と名乗つた人への九連の散文詩―第九のエスキス

        入沢康夫

一、

詩碑(しひ)の裏側(うらがは)から、甲高(かんだか)い嗤(わら)ひ声(ごゑ)とともに立(た)ちのぼる苔水晶(モスアガート)の雲(くも)。その底面(ていめん)の鉤(かぎ)に吊(つ)るされ、茶色(ちゃいろ)の幟(のぼり)のやうにたなびいてゐる二重(にぢゅう)の夢(ゆめ)―昨日(きのふ)までの私(わたし)たちにとつての、かけがへのない目当(めあて)。

二、

誰(だれ)かれの足跡(あしあと)は乾(かは)ひた風(かぜ)に吹(ふ)き払(はら)はれて行(ゆ)き、今(いま)はただ名(な)も知(し)れぬ花(はな)や石(いし)の挙(あ)げる声(こゑ)が、夕陽(ゆふひ)を浴(あ)びた橋(はし)の鉄骨(てつこつ)にまつはりつつまつはりつつ流(なが)れる。

三、

馬(うま)と雪(ゆき)の匂(にほ)ひの中(なか)で、私(わたし)たちは立(た)ちすくむ。あなたは知(し)らない。あなた自身(じしん)が生(う)み落(おと)した子供(こども)たちの行方(ゆくゑ)を、子供(こども)たちの現在(げんざい)の顔(かほ)はおろか、虫喰(むしく)ひだらけの画像(ぐわざう)のことも。

四、

あなたが心(こころ)に虚(うつろ)ろに座亜謙什(ざあけんじふ)の四文字(よもじ)で呼(よ)びなした男(をとこ)、その男(をとこ)もすでに遠(とほ)く遠(とほ)く去(さ)つた。すべてが冷(ひ)え、すべてが砂(すな)に帰(かへ)るこの裾野(すその)で、思(おも)ひ出(だ)したやうに爆竹(ばくちく)がはじけ、おどろいて舞(ま)ひ立(た)つ白鳥(はくてう)のひと群(む)れが、三度(さんど)輪(わ)を描(ゑが)いたのち、丘(をか)の向(むか)ふへ落(お)ち込(こ)んで行(ゆ)く。

(五、

防風林(ばうふうりん)の梢(こずゑ)から、またひとしきり降(ふ)る朱(あか)い実(み)、あるひは朱(あか)い実(み)の亡霊(ばうれい)。)

(六、

死者(ししや)たちを乗(の)せた客船(きやくせん)の灯(ひ)は蛍籠(ほたるかご)のやうに動(うご)き、置(お)きざりにされた唐草文様(からくさもんやう)の風呂敷(ふろしき)の中(なか)で、標本箱(へうほんばこ)とゴムバンドがひそひそと、古(ふる)い、そして幼(おさな)い恋(こひ)を語(かた)る。)

七、

鈴(すず)のやうな、房(ふさ)のやうなものが、いくつもぶら下(さが)る木(き)を、雁皮紙(がんぴし)に血(ち)で描(か)いたことがあると、いまだに言(い)ひはりつづけるいささか滑稽(こつけい)で、いささか深刻(しんこく)な男(をとこ)、その男(をとこ)のまわりには、飛(と)ぶ鳥影(とりかげ)、走(はし)る獣(けもの)の影(かげ)とてもない荒野(あれの)がひろがり、そこに飴色(あめいろ)のガラスでできた瓶(びん)の破片(はへん)がちらばつてゐる。

八、(欠落)

九、

もつれにもつれた白髪(はくはつ)(それはあなた自身(じしん)の魂(たましひ))によつて封印(ふういん)された十重二十重(とへはたへ)の挑発(てうはつ)。いま、一(ひと)つの時節(じせつ)の終(をは)るに当(あた)つて、わづかに身(み)じろぎし、身(み)じろぎしつつ凍(こご)えて行(ゆ)く掟(おきて)の鶏(とり)たち。




註)この詩はすべての漢字に振り仮名がふってあるのですが、ブログでは振り仮名にならずかっこの中に入ってしまいます。悪しからずご了承ください。
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by hannah5 | 2016-03-04 21:33 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読む IX ~ 詩的アヴァンギャルドの100年(第6回)   


「詩的アヴァンギャルドの100年」の6回目は「シニフィアンの閾」と題し、北園克衛と新國誠一を中心に講義が行われました(2/22)。モダニズムに影響を受けた西脇順三郎はやがて荒地派、北園克衛のコンクリートポエトリー、瀧口修造のシュルレアリスムへとその影響力を広げてゆきました。北園克衛のコンクリートポエトリーは海外で高い評価を受けましたが、日本では異端と見られ、大きな文学的流れにはなりませんでした。北園克衛はやがてコンクリートポエトリーからプラスチックポエトリーへと移行していきました。(北園克衛が発行した機関誌 『VOU』 は反抒情、反文学を掲げ、白石かずこが参加しています。)コンクリートポエトリーを代表するもう一人の詩人、新國誠一の作品も日本より海外で評価されました。新國誠一もやがてコンクリートポエトリーを離れ、「空間」へと移行していきました。コンクリートポエトリーは面白いと思い、一時私も試みたことがありますが、あまり長続きはしませんでした。教室では北園克衛の「記号説」、「黒い肖像」、新國誠一の「空隙」、「さくらとらくだ」、野村さんの評論「シニフィアンという閾-新國誠一と那珂太郎」(2009年2月号の現代詩手帖に掲載)を読みました。


黒い肖像

   北園克衛

絶望

火酒





あるひは



のなか











距離

孤独




に濡れ

梯子


に腐っていく

その



脆い
円錐

孤独

部分




,
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by hannah5 | 2016-02-29 17:34 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読む IX ~ 詩的アヴァンギャルドの100年(第5回)   


「詩的アヴァンギャルドの100年」の5回目は、「瀧口修造と詩的実験」と題して瀧口修造を中心に講義が行われました(2/15)。西脇順三郎の門下生だった瀧口修造は西脇を通してシュールレアリスムを知るようになりますが、その詩風は師の西脇よりずっとシュールレアリスム的です。しかし、詩人として出発した瀧口でしたが、戦後は美術批評家として前衛芸術運動を牽引するようになり、詩は一切書かなくなりました。教室で読んだ作品は瀧口の代表作とも言える「絶対への接吻」、「地球創造説」、西脇の「世界開闢説」、アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』(一部)、野村喜和夫さんの「序詩(はじめてのからだの者は)」(詩集 『幸福な物質』 所収)でした。「絶対への接吻」は詩の中からシュールレアリスムが立ち昇ってくるような作品で、詩としての純粋性を感じさせる詩です。



絶対への接吻

     瀧口修造


 ぼくの黄金の爪の内部の瀧の飛沫に濡れた客間に襲来するひとりの純粋直観の女性。 彼女の指の上に光った金剛石が狩獵者に踏みこまれていたか否かをぼくは問わない。 彼女の水平であり同時に垂直である乳房は飽和した秤器のような衣服に包まれている。 躐の国の天災を、彼女の仄かな髭が物語る。 彼女は時間を燃焼しつつある口紅の鏡玉の前後左右を動いている。 人称の秘密。 時の感覚。 おお時間の痕跡はぼくの正六面體の室内を雪のように激変せしめる。 すべり落された貂の毛皮のなかに発生する光の寝台。 彼女の気絶は永遠の卵形をなしている。 水陸混同の美しい遊戯は間もなく終焉に近づくだろう。 乾燥した星が朝食の皿で轟々と音を立てているだろう。 海の要素等がやがて本棚のなかへ忍びこんでしまうだろう。 やがて三直線からなる海が、ぼくの掌のなかで疾駆するだろう。 彼女の総體は、賽の目のように、あるときは白に、あるときは紫に変化する。 空の交接。 瞳のなかの蟹の声、戸棚のなかの虹。 彼女の腕の中間部は、存在しない。 彼女が、美神のように、侵食されるのはひとつの瞬間のみである。 彼女は熱風のなかの熱、鉄のなかの鉄。 しかし灰のなかの鳥類である彼女の歌。 彼女の首府にひとでが流れる。 彼女の彎曲部はレヴィアタンである。 彼女の胴は、相違の原野で、水銀の墓標が妊娠する焔の手紙、それは雲のあいだのように陰毛のあいだにある白晝ひとつの白晝の水準器である。 彼女の暴風。 彼女の傳説。 彼女の営養。 彼女の靴下。 彼女の確証。 彼女の卵巣。 彼女の視覚。 彼女の意味。 彼女の犬歯。 無数の実例の出現は空から落下する無垢の飾窓のなかで偶然の遊戯をして遊ぶ。 コーンドビーフの虹色の火花。 チーズの鏡の公有権。 婦人帽の死。 パンのなかの希臘神殿の群れ。 霊魂の喧騒が死ぬとき、すべての物質は飽和した鞄を携えて旅行するだろうか誰がそれに答えることができよう。 彼女の精液のなかの眞紅の星は不可溶性である。 風が彼女の緑色の衣服(それは古い奇蹟のようにぼくの記憶をよびおこす)を捕えたように、空間は緑色の花であった。 彼女の判断は時間のような痕跡をぼくの唇の上に残してゆく。 なぜそれが恋であったのか? 青い襟の支那人が扉を叩いたとき、単純に無名の無知がぼくの指を引っぱった。 すべては氾濫していた。 すべては歌っていた。 無上の歓喜は未踏地の茶殻の上で夜光虫のように光っていた……… (sans date)



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by hannah5 | 2016-02-17 20:23 | 詩のイベント | Comments(0)

アムバルワリア祭V   


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1月23日(土)、慶応義塾大学三田キャンパスに於いて西脇順三郎生誕記念のアムバルワリア祭が行われました。アムバルワリア祭は毎年1月に行われているようで、今回で5回目です。(私自身は去年から参加しています。)今回のテーマは「西脇順三郎と井筒俊彦―ことばの世界」で、新倉俊一先生が司会を務め、若松英輔氏、坂上弘氏、野村喜和夫氏、高橋勇氏の4人の登壇者が講演を行いました。私自身は西脇順三郎のファンでもないし、それほど熱心に西脇の詩を読んできたわけではありませんが、ちょうど今淑徳大学の「日本の詩を読む」で野村さんから西脇の講義を聴いているので、それを補う意味でもそれぞれの講演は大変興味深かったです。


【プログラム】

司会  新倉俊一(明治学院大学名誉教授)
登壇者 若松英輔(批評家)、坂上弘(作家、慶応義塾大学出版会会長)
野村喜和夫(詩人)、高橋勇(慶応義塾大学教授)

開会挨拶
導入コメント  新倉俊一
高橋勇    「文学部の西脇・井筒」
野村喜和夫 「神秘と諧謔―西脇から井筒へ、井筒から西脇へ」
若松英輔   「コトバの詩学 西脇順三郎と井筒俊彦」
坂上弘    「井筒俊彦の内なる西脇順三郎」
Q&Aセッション
(敬称略)


<補足>
慶応義塾大学アート・センター 西脇順三郎アーカイブ:慶応義塾大学アート・センターは、西脇研究の第一人者である明治学院大学名誉教授・新倉俊一氏より2010(平成22)年度、西脇関連資料約800点を受贈し、2012年1月20日に「西脇順三郎アーカイブ」が開設されました。(アムバルワリア祭プログラムよりコピー抜粋)


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by hannah5 | 2016-02-02 21:01 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読む IX ~ 詩的アヴァンギャルドの100年(第4回)   


「詩的アヴァンギャルドの100年」の4回目は、初期の西脇順三郎(イギリス留学から帰国し、第一詩集 『Ambarvalia』 を出版するまで)を中心に講義が行われました。西脇順三郎についてはすでに講義がなされていますが、西脇の教え子たちとの交流や詩論についての著作など、前回よりさらに深く掘り下げられ、西脇の違う側面が見られて興味深いものとなりました。資料として読んだのは 『シュルレアリスム文学論』 の「トリトンの噴水」、『純粋な鶯』 の「純粋な鶯」でした。「トリトンの噴水」は散文詩のような感じで、いかにも西脇らしい文章です。これが出た当時、世間はさぞ驚いたのではないかと思います。「純粋な鶯」は北園克衛の詩集に対する批評ですが、北園克衛に真っ向から切りかかる感じで、今なら恐らく編集者から異論が出るのではないかと思いました。



トリトンの噴水(一部抜粋)

 マダム・サピアンスの晩餐に昨晩招かれてキユプロスの第一日を過した。その朝、船の少年(足の裏に刺を立てた少年に似てゐる)におこされて、みると船は最早や波止場についてから一時間位過ぎてゐたらしい。すぐ近くの岡の上にアテネでは見たこともない樹木が光つてゐた。その影に真白い家がかくされてゐた。この都会は自分が想像してゐたよりもゴムのやうに感じた。急いで祈禱して、蜜をすこしすつて、少年に荷物を負はして、船を下り、角の長い牛が曳く二輪車を雇ってガタガタ動き出した。馭者はプラタノスの葉に包んだ何にかの実を食べて、アマラントスの花のやうなツバをはきながら、頻りと「ネータ・テクネマタ」といつて、元気よく話しかけた。テクネマタといふ神は聞いたことがなかつた。馭者へアテネからもつて来た銀貨を一枚渡した。『これは此処では通用しない』と馭者は云つた。『このテミストクレースの頭を見よ』と私は云つた。 『両替屋のばばあが知つてゐる。』
 何だか女神のやうに私は家へはいつた。グロオコンは二三年のうちにソフオクレースのやうになつてゐた。 『よく』 彼は云つた 『来た。二三ケ月滞在せよ。早速だが今晩サピアンス夫人が晩餐によんでゐるが、お前も是非行け』
 初めは辞退したが遂行つた。食事が済んで女が皆んなの別の室へ行つた後で、電気が消され、蝋燭だけの光りになつた。壁にかゝつてゐるヴィーナスの生誕の画のヴィーナスの足と薔薇を吹いてゐる男の顔が見えるだけであつた。従僕が来てブランデイと葉巻をくれて行つた。グロオコンが来て脇に坐つた。次にポレマルコス及びリキダスといふ青年とカロスといふ大学の教師が来た。是等の人物の壁画と同一の視覚の世界にある琥珀の軽業師の存在の如く見えた。是等の人物は皆喋つた。けれども聞えなかつた。
 サピアンス夫人を初め、もろもろの女がToiletteに行つてゐる間に私は考へた。人間はナタ豆のやうに青くなつた。



純粋な鶯(一部抜粋)

 K君よ、君の出した本を批評することを約束してから長い間だまつてゐたが、実は君にやる言葉はない。君は言葉とか論理が嫌ひだから。しかたがないからsymbolsだけの手紙をかくことにする。無数のsymbolsを送るから君はその間をめぐつて考へてくれ給へ。実は僕は君の本ほど楽に読めるものは少いと思ふ。眼をつぶつてゐるダ鳥といふ小説のやう。葡萄の実が夜になると狐の鼻をなめにくる。これが『エッセイ集』の詩論の出発点である。しかしsymbolsはなにも象徴してゐない。だからsymbolsでない最後のsymbolはまだそれ自身を象徴するね。紫の円錐は君から遠く立つてゐる。
 待遇の記憶は君に非常に関係がある。
 ブルトンのちゞれ毛はpoisson solubleで、君を憂鬱にする筈がない。まるい魚。羅馬の春。コクトオの雨カツパはカトリツクの塔を避けてゐる。こゝに最早近代が終つて、新しいMoyen Ageが最後になつてゐる。脳髄の景色に太陽があたる時に贈物を君はとりかへさなければならない。
 アラビア人の文学を君は知つてるかね。
 アラビア人の音楽を君は知つてゐるかね。
 メタン瓦斯をもやして夢も彼等の象徴にすぎない。何を象徴するか。象徴するものがない時に象徴するものをさがす時に詩が出来る。
 これはとにかく詩の神であるから神の詩である。
 非常に愉快なヨツトだ。
 栗の言葉の指。
 MORTのGeburth。コクトオの生誕は故人のガマグチを空にする。だがペンペン草は海の方に向いて魚をとる。



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by hannah5 | 2016-01-23 06:17 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読む IX ~ 詩的アヴァンギャルドの100年(第3回)   


「日本の詩を読む~詩的アヴァンギャルドの100年」の3回目は「新傾向の渦(大正末期から昭和初期にかけて)」と題し、日本のダダイストの詩を中心に講義が行われました(12/21)。(2回目の講義は欠席しました。)1914年、ヨーロッパを中心に第一次世界大戦が勃発、機関銃や大砲、戦車などの大量殺戮兵器が登場し、一般市民も戦争に巻き込まれるなど、それまでの戦争とはまったく異なる戦争が繰り広げられようになります。自由や人権、民主主義が崩壊し、意味や意味から成り立っている価値観を認めないダダイズムが登場、ツァラによって始まったダダイズム(チューリッヒ・ダダ)はやがて日本の詩人にも影響を与えるようになりました。教室で読んだ詩は日本のダダイストの代表である高橋新吉の「料理人」、「皿」、「食堂」、萩原恭次郎の「日比谷」、ダダイズムと同時期に現れたエスプリ・ヌーボー(新しい精神)に影響された竹中郁の「ラグビイ」、そして野村喜和夫さんの実作「暴行病棟」です。それにしても驚かされるのは、今から100年も前にすでに現代詩が現れていたことで、現代にある詩はすでに出尽くしている感じがします。(引用した詩は高橋新吉の詩です。)



料理人


料理人の指がぶら下つてゐる
茶碗拭きの鼻が垂れ下つてゐる
   残飯生活は皿なし
      葱の匂ひ
     庖丁の嫉視
          燻るものは
             くすぶれ






皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿
  倦怠
   額に蚯蚓這ふ情熱
 白米色のエプロンで
 皿を拭くな
鼻の巣の黒い女
  其処にも諧謔が燻つてゐる
   人生を水に溶かせ
   冷めたシチユーの鍋に
  退屈が浮く
   皿を割れ
   皿を割れば
  倦怠の響が出る。



食堂


食堂に桜の花が咲いた
   酢鮹
 瓦斯の焔が食べたい。
   頬ペタ卵の殻が喰付いてゐた
                      銀座
 泥酔者の胃袋を女猫が恋しがつて
   撥ねくり返つてゐる残飯桶に
    黄疸色の神が 跼むでゐる
   雨が降る
   オドの匂ひから遠ざかりたい
   夢に耽る胃拡張患者
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by hannah5 | 2015-12-30 06:05 | 詩のイベント | Comments(0)

野村喜和夫さん×谷川俊太郎さん トークショー&朗読会   


石原吉郎生誕百年を記念して、野村喜和夫さんの新著『証言と抒情』が11月に白水社より刊行されました。ちょうど白水社が創立百周年を迎えるということで、記念イベントとして12月9日、八重洲ブックセンターで野村さんと谷川俊太郎さんのトークショーと朗読会が行われました。谷川俊太郎さんは「石原の投稿詩を最初に評価し、詩壇にデビューするきっかけを作った」方です(記念イベントのちらしより)。石原吉郎の詩はかつて学生運動が挫折した頃に盛んに読まれましたが、3.11以後ふたたび読まれるようになったようです。詩も詩に対する考え方も対照的な野村さんと谷川さんのトークショーはどんな展開になるのか楽しみにしていました。特に淑徳の詩の講座で聴いていた野村さんの詩論とは異なる角度で見ている谷川さんの石原詩の評価は、私にとっては新鮮な発見であり、かなり参考になりました。朗読は野村さんが「耳鳴りの歌」と野村さんの自作の詩「LAST DATE付近」(1月号の現代詩手帖に掲載予定)を、谷川さんが「「レストランの片隅で」、「涙」、「死」、「死霊」、「理由」、「無題」を読まれました。トークショーと朗読の後はサイン会があり、希望者は野村さんの『証言と抒情』、谷川さんの新著『あたしとあなた』と『詩に就いて』(どちらか)にサインしていただいて、会は終了しました。(写真撮影禁止だったため、二人の対談の写真はありません。)


野村喜和夫さん著『証言と抒情』
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谷川俊太郎さん詩集『詩に就いて』
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by hannah5 | 2015-12-18 17:48 | 詩のイベント | Comments(0)

譚詩舎文学サロン~新しい詩への夢―立原道造・「風立ちぬ」からの旅立ち~   


毎年恒例の譚詩舎による立原道造関連の催しが12月5日(土)東京芸術劇場で行われました。今回のプログラムは立原道造が堀辰夫の「風立ちぬ」に決別した部分に焦点を当て、立原道造の研究者名木橋忠大さんの講演と、吉田文憲さん、野村喜和夫さん、名木橋さんの3人による座談会、渡辺文子さによる詩の朗読でした。今回私にとって特に新しい発見はありませんでしたが、名木橋さんが道造の年譜に沿い、その月/年に発表された作品を基に、道造が傾倒していた堀辰夫の「風立ちぬ」からどこへ出発しようとしていたのか、それにもかかわらず最終的にはどこへも行かず安定した場所に落ち着こうとしたのはなぜなのかについて、詳細な解説をされたのが大変印象的でした。名木橋さんの講演を聴いていて思ったのは、昔立原道造に心酔して道造の詩をノートに書き写していた頃の自分の読み方は偏っていて、浅かったということでした。座談会は吉田さんと野村さんと名木橋さんがそれぞれの見解をぶつけ合い、それらが交錯したり同一歩調を取ったりして、こちらも楽しく拝聴しました。最後は渡辺文子さんの朗読によってプログラムは締めくくられました。渡辺さんの朗読はすばらしかったですが、道造の詩は黙読した方がよいのではないか―道造の詩に深い思いを寄せた者として、朗読がすばらしければすばらしいほどどこかに違和感を感じていたことも否めませんでした。


【プログラム】

新しい詩への夢―立原道造・「風立ちぬ」からの旅立ち

1. 挨拶     布川鴇
2. 講演     名木橋忠大(中央大学特任教授)
3. 座談会    吉田文憲、野村喜和夫、名木橋忠大

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左から吉田文憲さん、野村喜和夫さん、名木橋忠大さん

4. 詩の朗読  渡辺文子
    「夢みたものは・・・・・」
    「小譚詩」
    「この闇のなかで」
    「唄」
(敬称略)

【出演者プロフィール】
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by hannah5 | 2015-12-11 21:50 | 詩のイベント | Comments(0)

「言葉の旅・詩の岸部へ」-石田瑞穂×佐峰存×岡本啓   


少し前になりますが、石田瑞穂さんと佐峰存さん、岡本啓さんによるトークと朗読の会がありました(11/27、場所は本屋B&B)。これは石田瑞穂さんの詩集 『耳の笹舟』 と佐峰存さんの詩集 『対岸へと』 の刊行を記念して行われたもので、岡本啓さんはゲストとして招かれました。

3人は今旬の若手の詩人たちです。そして3人ともアメリカ滞在/在住という共通した経験をもっているので、このイベントはとても楽しみにしていました。トークは石田さんが進行役を務め、2人から話を引き出すものでしたが、比率からいくと、岡本さんの話が少なめだったのがちょっと残念でしたが、3人の話はユニークで面白かったです。欲を言えば、海外滞在/在住による内側の変化や異文化と自分との齟齬、異文化の中での、あるいは日本に帰ってきてからの行き場のなさやそれらによる言葉の変化などがもう少し聞きたかったと思いました。

朗読された詩はお互いに好きな詩を選び合うというもので、石田瑞穂さんは「雪風」(岡本さん選択)、佐峰さんは「指に念じる」(石田さん選択)、岡本さんは「ペットボトル」(佐峰さん選択)を朗読しました。ここでは石田瑞穂さんの「雪風」を引用させていただきます。


雪風

   石田瑞穂


目をつむるみたいに
耳もつむれればいいのに

最初は雪のせいかと思った
あたりが急にしんとしだして

冬鳥 銀狐のトロット 明けの星の瞬き
物音がまったくとどかなくなった

窓の外 夢幻の園から舞い降りる
小鳥の和毛のような雪の純白が

世界中の音という音を吸い取ってしまったのか
そう錯聴した

静か というのとも成り立ちがちがう
耳のなかがどこまでいってもまっ白で

耳朶を両手でおおっても
白さの度合いはますます濃くなってゆく

裸麦の海面をざわめかせ
コガラたちの弾丸が飛び立っても

グレイッシュな世界のなかで
鉄と水と音だけが凍りついていた

新聞と詩のなかでは株価のそよ風次第で
子どもたちが住む家をなくし爆弾が落されるのに
そうか 言葉は魂だけじゃなく
耳まで傷つけていたのか

こころをつむるように
耳も莟をつむるのか

ながい夜汽車の旅もおわりかけた
朝焼けの午前五時だというのに

前の席では東南アジア系のふたりの若い僧侶が
ささやくように手話をかわしている

それは 聴いたこともない響き
草や花や星が空へたちふるえているような

さらさらした途切れのないふしぎな言語
皮膚のしたの国境線から吹雪いてきた

どこにもない国語
水に消える水に 形を変えた 雪風

              (詩集 『耳の笹舟』 より)



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佐峰存さん(左)、石田瑞穂さん(右)



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岡本啓さん

【出演者プロフィール】
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by hannah5 | 2015-12-04 23:19 | 詩のイベント | Comments(0)