カテゴリ:詩のイベント( 237 )   

連続講座「大岡信の詩と真実」 5   


せたがや文学館で行われていた連続講座の最終回は吉増剛造さんの講演でした(11/1)。吉増さんが用意された資料は、A3用紙4枚の両面に詩や雑誌の掲載記事が細かな文字で隙間なくコピーされ、随所に吉増さんの文字や線が書き込まれていました。思わず読み飛ばしそうになるところを、最初から丁寧に読んでみると、実は吉増さん、私たち参加者のためにかなり親切に書き込みをなさっていたようで、入念に時間をかけて用意された資料であることがわかります。(実際、吉増さんはこの資料を1週間かけて用意されたそうです。)資料の冒頭には「大切な??(判読不明)ニチヨービの午後、.......今日のおいでをふかく感謝をいたします。貧しい乏しい、個人的な記憶にそうようにしてのお話し、…..というのよりも語りになるのでしょうが、出来うるかぎり正直に…..(「オフ・レコ」のようにとイシキもいたしまして、…)語ってみようと、心に決めておりました。…..(ナゼ飯島氏、大岡氏だったのか?たとえば谷川氏/入沢氏ではなくって)とでも成るのでしょうか、…..。」と手書きの書き込みがあります。資料は「お燈(どう)明、、、、、水底(みなそこ)ノ笛(ふえ)」(燈明は「とうみょう」ではなく、飯島耕一さん風に「どうみょう」と読むのだそうです。)と題され、8月に亡くなった「大切な親友」であった井上輝夫さんへの追悼文に始まり、飯島耕一さんの詩や雑誌、同人誌などへの寄稿文、2005年の『國文舉』に掲載された大岡信さんと吉増さんの対談全文、大岡さんについての天沢退二郎さんの引用文、大岡さんが十代の頃に書いた詩「水底吹笛」、「巨きな驚き」である大岡信さんのことを書いた吉増さんの詩などが盛り込まれていました。1時間半休むことなく語り続けられた講演は、「三田詩人」を出し始めて飯島耕一さんと大岡信さんが参加された時の話、生涯の友だった井上輝夫さんの話、寒気がするほど朗読が嫌いだったという飯島さんの話、大岡さんの大きさの驚きの話等々、吉増ワールドがはじけて溢れかえるようで、聴いていた人たちもかなり楽しんでいた様子でした。それ以上に楽しんでいらしたのは吉増さんだったようで、「今日は楽しいな。おいしいワインでも買って帰るかな。」と本当に楽しそうに語られていたのが印象的でした。

今回吉増さんの話を聴き、資料を読んでいて発見したのは、私自身はそれほど吉増さんの詩に興味がある方ではないと思っていたのですが、他のどの詩人たちよりも詩に対するぴーんと張り詰めたものが伝わってきて、詩への純粋な感覚や感情が呼び覚まされるものがありました。吉増さんのような詩人が存在することは、本当はかなりありがたいことなのだと、改めて思いました。
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by hannah5 | 2015-11-06 13:11 | 詩のイベント | Comments(0)

連続講座「大岡信の詩と真実」 4   


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大岡信さんの詩の連続講座4回目は俳人の長谷川櫂さんの講演でした(10/31)。長谷川さんは朝日新聞に連載された「折々のうた」を中心に講演され、折々のうたの背後にある大岡さんの思想背景について ① 詩の仕事 ② 批評(美術、音楽)③ 連詩の3点から考察を加えられました。(最後の連詩については、時間がなかったせいか、残念ながらほとんど触れられませんでした。)

「折々のうた」は1975年1月15日から2007年3月31日まで、1日も休まず朝日新聞に掲載され、その数6762回で、これは万葉集4500首をしのぐものだそうです。シュールレアリズムによる影響、日本の文化史や文学史の中での「折々のうた」の位置付け等、かなり細かく掘り下げられた内容の講演で、準備も大変だっただろうと思わせられました。面白かったのは、シュールレアリズム的な言葉の文化は禅問答という形で古来より日本文化の中に存在しており、それが大岡さんの思想の中に流れ込んでいるのではないかという指摘でした。

長谷川さんは冒頭で、最初の句集の中の「冬ふかし柱の中の波の音」が「折々のうた」に取り上げられ、これが大変嬉しかったと述べられ、その理由は世界的視野に立った詩人によって選ばれたからであると最後に結ばれていたことが印象的でした。
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by hannah5 | 2015-11-02 23:42 | 詩のイベント | Comments(0)

連続講座「大岡信の詩と真実」 3   


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大岡信展図録


世田谷文学館で行われている「大岡信の詩と真実」の連続講座の3回目は、谷川俊太郎さんと三浦雅士さんの対談でした(10/24)。講座の参加者には、三浦さんが作成された大岡信・谷川俊太郎・対照略年表があらかじめ配られました。いつの頃からか二人はよく一緒に登場するような印象があったのですが、年表を見ると生年月日だけでなく詩を書き始めた年代も近く、また同じ時期に詩誌「櫂」に参加したり二人の対談集を出すなど詩人としての活動も共通している点が多くあります。それだけでなく、谷川さんは大岡さんに対し、他人には感じない情を感じていたり、最初のエッセイ集を大岡さんに見てもらうなど、もっとも深いところでつながっていたと語られていました。

三浦さんが独自の大岡論や谷川論を展開する中で、谷川さんはそれを受ける形で自身の生い立ちや恋愛の話、大岡さんとのことなど、終始穏やかに語られていたのが印象的でした。私事になりますが、現在参加している喜和堂では詩誌のために連詩が行われていますが、その大元は大岡信さんが始められたもので、大岡さんのしずおか連詩の会に野村喜和夫さんが参加されているなど、思わぬところで大岡さんとの繋がりがあることに不思議な縁を感じます。1時間半の対談は密度の濃い内容で進められ、改めて大岡信という詩人の業績の大きさを感じさせられました。
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by hannah5 | 2015-10-28 17:49 | 詩のイベント | Comments(0)

連続講座「大岡信の詩と真実」 2   


「大岡信の詩と真実」の2回目は野村喜和夫さんの講演でした。あらかじめ「大岡信における想像力と批評」と題したレジュメが配られ、大岡詩全体に対して分析と考察が試みられ、野村さんらしい詩論の展開がなされました。(これまで「伝統と現代」と「うたげと孤心(=全体と個)」という観点から大岡信の詩論を書いており、今回は「想像と批評」という観点から講演を行う趣旨の断わりが野村さんからありました。)大岡信は私が詩を書き始めた時から好きな詩人の1人でしたが、全部の詩を読んだわけではなく、これから少し読んでみようと思います。いつもの野村さんらしくかなり込み入った展開の講演でしたが、楽しんで聴かせていただきました。

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背広にネクタイ姿の野村さんは珍しいです

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by hannah5 | 2015-10-23 10:47 | 詩のイベント | Comments(0)

大岡信展と連続講座「大岡信の詩と真実」   


世田谷文学館で大岡信展が始まりました(10月10日から12月6日まで、2階展示室)。大岡信さんの詩稿や草稿、創作ノートなど、膨大な資料が展示されています。パソコンがなかった時代、原稿や草稿ノートなどすべて手書きで、書き足したり、消したり、直しを入れたりした跡が残っていて、大変興味深いです。また、会場の随所には大岡さんの詩が印刷されたハガキ大のカードが置いてあって、見学者は自由に持ち帰ることができます。

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この展示会に伴って、同館では大岡さんにゆかりのある詩人たちによる連続講座が開かれており、第1回は高橋順子さんによる講義でした。かつて編集者として大岡さんと親交のあった高橋さんは、大岡さんの素顔を見られた数少ない1人で、いろいろ裏話を披露され、終始興味深いものでした。

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大岡さんの話をする高橋順子さん


連続講座は全部で5回、各回とも魅力的な出演者が予定されています。

10/10(土) 高橋順子(詩人)
10/17(土) 野村喜和夫(詩人)
10/24(土) 谷川俊太郎(詩人)と三浦雅士(評論家)による対談
10/31(土) 長谷川櫂(俳人)
11/1(日)  吉増剛造(詩人)
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by hannah5 | 2015-10-14 23:32 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読む XIII ~石原吉郎を読む(第7回)   


7月13日(月)は「石原吉郎を読む」の最終講義でした。今回のテーマは「石原吉郎と私たち」で、戦後石原吉郎がどのように人々に読まれていったかを中心に講義が行われました。読んだ作品は「耳鳴りのうた」と「フェルナンデス」です。「耳鳴りのうた」は石原吉郎自身も気に入っていた作品です。わかりにくい部分はあるものの、私自身もこの作品は好きです。「フェルナンデス」は野村さん自身が読んで涙を流すほど感銘を受けられた作品です。




耳鳴りのうた


おれが忘れて来た男は
たとえば耳鳴りが好きだ
耳鳴りのなかの たとえば
小さな岬が好きだ
火縄のようにいぶる匂いが好きで
空はいつでも その男の
こちら側にある
風のように星がざわめく胸
勲章のようにおれを恥じる男
おれに耳鳴りがはじまるとき
そのとき不意に
その男がはじまる
はるかに麦はその髪へ鳴り
彼は しっかりと
あたりを見まわすのだ
おれが忘れて来た男は
たとえば剥製の驢馬が好きだ
たとえば赤毛のたてがみが好きだ
銅鑼のような落日が好きだ
笞へ背なかをひき会わすように
おれを未来へひき会わす男
おれに耳鳴りがはじまるとき
たぶんはじまるのはその男だが
その男が不意にはじまるとき
さらにはじまる
もうひとりの男がおり
いっせいによみがえる男たちの
血なまぐさい系列の果てで
棒紅のように
やさしく立つ塔がある
おれの耳穴はうたがうがいい
虚妄の耳鳴りのそのむこうで
それでも やさしく
立ちつづける塔を
いまでも しっかりと
信じているのは
おれが忘れて来た
その男なのだ

(詩集 『サンチョ・パンサの帰郷』 所収)





フェルナンデス


フェルナンデスと
呼ぶのはただしい
寺院の壁の しずかな
くぼみをそう名づけた
ひとりの男が壁にもたれ
あたたかなくぼみを
のこして去った
    <フェルナンデス>
しかられたこどもが
目を伏せて立つほどの
しずかなくぼみは
いまもそう呼ばれる
ある日やさしく壁にもたれ
男は口を 閉じて去った
    <フェルナンデス>
しかられたこどもよ
空をめぐり
墓標をめぐり終えたとき
私をそう呼べ
私はそこに立ったのだ

(詩集 『斧の思想』 所収)
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by hannah5 | 2015-07-17 12:02 | 詩のイベント | Comments(0)

野川朗読会6   


そうかわせみ、の会主催の野川朗読会が7月12日(日)、成城ホールで行われました。今回で6回目となる野川朗読会ですが、今年は新しいメンバーが加わり、プログラムの大筋は変わらないものの、参加者一人一人がそれぞれ趣向を凝らして参加されていたのが印象的でした。

今回のテーマは「無敵のひとこと」で、参加者がそれぞれテーマに沿って思いついたことを言うというもので、突拍子もない無敵のひとことだったり、意味不明だけれどよく心に浮かんでくる言葉だったり、面白かったです。(全部書き留めておけばよかったと後で思いました。)(杉本真維子さんとたまたま隣の席になり、少しお話しました。)


【プログラム】

● 一部

朗読: 伊藤浩子、小笠原鳥類、渡辺めぐみ、新井高子、生野毅(+入沢明夫ocarina)、そらしといろ
対話: 長野まゆみ×そらしといろ×田野倉康一

● 二部

朗読: 長野まゆみ、田野倉康一、樋口良澄、杉本真維子、一色真理、岡島弘子

司会: 一色真理
(敬称略)


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詩集『裾花』を朗読中の杉本真維子さん
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by hannah5 | 2015-07-14 19:35 | 詩のイベント | Comments(0)

新井豊美評論集出版記念会   


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新井豊美さんの2冊の遺稿評論集『「ゲニウスの地図」への旅』と『歩くための地誌』の刊行を記念して、7月4日(土)、シンポジウムと出版記念会が行われました。シンポジウムは特に新井さんと親交の深かった6人の詩人たちによって、新井さんの思い出や新井さんの詩論への解釈、反論、疑問など深く掘り下げた討論が行われ、3時間にわたるシンポジウムは大変中身の濃いものとなりました。また、その後場所を変えて行われた出版記念会では、詩人だけでなくさまざまな分野で新井さんと交流のあった人達が故人の思い出を語るなど、こちらも中身の濃い交わりとなりました。印象深かったのは、長く海外で暮らしてこられたという方が、新井さんの遺稿を散逸させないための仕事をこれからしていくつもりだと言われたことです。荻窪の詩の教室で新井さんが教えられていた頃、一緒に学んでいた方たちも何人か見えていて、個人的にも懐かしいひと時をもたせていただきました。

◎シンポジウム(13.30~)
出演:福間健二、瀬尾育生、水島英巳、倉田比羽子、井坂洋子、添田馨(敬称略)
場所:東京堂ホール6F

◎出版記念会(17.15~)
場所:放心亭


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by hannah5 | 2015-07-06 20:42 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読む XIII ~石原吉郎を読む(第6回)   


6月29日(月)、「石原吉郎を読む」の6回目の講義が行われました。今回のテーマは「石原吉郎と現代詩」で、石原吉郎の現代詩への登場を、デビュー作となった「夜の招待」を中心に講義が進めされました。「夜の招待」は、投稿雑誌「文章倶楽部」(現代詩手帖の前身)に投稿した作品で、特選に選ばれたことがきっかけとなって注目されるようになりました。その時の選者は鮎川信夫と谷川俊太郎だったそうです。その他、石原吉郎と鮎川信夫との比較、石原吉郎と吉岡実との比較、石原吉郎の粕谷栄市への影響なども考察の対象に講義が行われました。



夜の招待


窓のそとで ぴすとるが鳴って
かあてんへいっぺんに
火がつけられて
まちかまえた時間が やってくる
夜だ 連隊のように
せろふぁんでふち取って――
ふらんすは
すぺいんと和ぼくせよ
獅子はおのおの
尻尾(しりお)をなめよ
私は にわかに寛大になり
もはやだれでもなくなった人と
手をとりあって
おうようなおとなの時間を
その手のあいだに かこみとる
ああ 動物園には
ちゃんと象がいるだろうよ
そのそばには
また象がいるだろうよ
来るよりほかに仕方のない時間が
やってくるということの
なんというみごとさ
切られた食卓の花にも
受粉のいとなみをゆるすがいい
もはやどれだけの時が
よみがえらずに
のこっていよう
夜はまきかえされ
椅子がゆさぶられ
かあどの旗がひきおろされ
手のなかでくれよんが溶けて
朝が 約束をしにやってくる


(石原吉郎詩集 『サンチョ・パンサの帰郷』 より)
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by hannah5 | 2015-06-30 20:41 | 詩のイベント | Comments(0)

日本の詩を読む XIII ~石原吉郎を読む(第5回)   


6月22日(月)、「石原吉郎を読む」の5回目の講義がありました。今回のテーマは「石原吉郎とパウル・ツェラン」で、富岡悦子さんの 『パウル・ツェランと石原吉郎』 (みすず書房)における石原吉郎とパウル・ツェランの比較を参考にしながら講義が進められました。両者の類似点と相違点との比較はなかなか面白かったですが、ユダヤ人という民族全体の抹殺(ツェラン)と一個人のシベリヤ抑留による強制労働(石原)との比較は果たして同一線上で行えるものなのか、はなはだ疑問であると思いました。

読んだ作品はパウル・ツェランの「頌歌」と「あらかじめはたらきかけることをやめよ」、石原吉郎の「花であること」と「死」、斉藤環の散文「パウル・ツェラン 『パウル・ツェラン詩集』 」(一部)でした。




頌歌

  パウル・ツェラン


誰でもないものがぼくらをふたたび土と粘土からこねあげる、
誰でもないものがぼくらの塵にまじないをかける。
誰でもないものが。

たたえられてあれ、誰でもないものよ。
あなたのために
ぼくらは花咲こうとおもう。
あなたに
むけて。

ひとつの無で
ぼくらはあった、ぼくらはある、ぼくらは
ありつづけるだろう、花咲きながら――
無の、誰でもないものの
薔薇。

魂のあかるみを帯びた
花柱、
天の荒漠を帯びた花粉、
棘のうえで、
おおそのうえでぼくらが歌った真紅のことばのために赤い
花冠。





花であること

  石原吉郎


花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
ひとつの花でしか
ありえぬ日々をこえて
花でしかついにありえぬために
花の周辺は適確にめざめ
花の輪郭は
鋼鉄のようでなければならぬ
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by hannah5 | 2015-06-26 00:47 | 詩のイベント | Comments(0)