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週末まで留守にします   


いつも詩織をご訪問くださり、ありがとうございます。
所用にて週末まで留守にします。
帰りましたら、またお付き合いください。

尚、最近へんな書き込みがあり、URL設定拒否しても書き込まれてしまうので、
トラックバック、コメント欄ともに閉鎖しておきます。
悪しからずご了承ください。
コメント、ご連絡等のある方は「伝言どうぞ♪」をお使いください。


はんな
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by hannah5 | 2008-01-30 16:01 | ご挨拶

苦い夜   


ひとつの夜が終わりかけている

夜の底に
思い出が苦い顔をして沈んでいる


昼間通りかかった駄菓子屋の店先では
赤や黄や紫や緑の飴玉が
砂糖に覆われたまま眠り呆けていた
飴玉を透かしてみると
種類の違う香りが幾重にも仕掛けてあった

水色の飴玉をひとつ口に放りこんだ

青い塊が不思議な陰影を残しながら
口の中の隅々に浸透していった
かすかにシュワリ!という音がした
次の瞬間、唇の間から
たくさんの小さな粒がはじき出された
粒は次々とはじき出されて
遠くまで飛んでいった
そのたびに陽の光を受け 粒は
きらきらと光っては消えていった
粒が消えた後には
甘いソーダ水が揺れていた


夜の底で
思い出がこすられ磨耗していた
なすすべもなく足元に目を落としたまま
思い出はじっと考え事をしていた

やがてひとつの結論に達したかのように
思い出はゆっくりと動き始めた


シュワリ!という音がまた聴こえた
たくさんの小さな粒がはじき出されて
遠くまで飛び散っていった
粒のあとを光が追いかけていった
ソーダ水が思い出をねぎらうように
揺れていた
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by hannah5 | 2008-01-29 23:57 | 作品(2004-2008)

城戸朱理さんのProject Ararat 《Like a light, Like a wave ~光のように、波のように》に参加しました   


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わたしは何かを思い出していた
記憶の底に沈んでいる
どこかで触れたことがある

握りしめていたかったのに
手放してしまった
魂の中で甘受した揺らめくような季節
                (by はんな)


ツルノリヒロさんの作曲・編曲によるサウンドCD「光のように 波のように」を聴いていると、心の奥の方で懐かしさを感じ、同時になんともいえない切なさがこみあげてくる。

日本人の精神世界に深い影響を与えてきた仏教。城戸朱理さんは釈尊の生涯を探るドキュメンタリー製作に関わられ、製作の過程で、作曲家でバイオリニストのツルノリヒロさんがドキュメンタリー映像に添った楽曲を書き下ろすことになり、CD「光のように 波のように」が生まれた。(《Like a light, Like a wave ~光のように、波のように》趣意書より)

今回、城戸さんの趣意書にあった説明により、仏教がヨーロッパの影響をかなり受けていたということを初めて知った。日本に伝えられた仏教も中村元氏の仏教研究も、ヨーロッパ経由で伝えられたインド仏教だという。「宗教学者、下田正弘氏(東京大学大学院教授)は、そうした視点から、釈尊という個人の内的な経験が、その入滅以降、たしかな思想として形を成しながら、波紋のようにアジア全般に広がっていった、その変化と生成の総体でもって、仏教を考え直そうとする。」(趣意書より)そして始まったのが釈尊の生涯を探るドキュメンタリー製作というわけで、城戸さんがツルノリヒロさんのCDに「光のように 波のように」というタイトルをつけられた。


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Project Ararat 《Like a light, Like a wave ~光のように、波のように》に入っていたのはツルノリヒロさんのサイン入りCD、城戸朱理さんの写真と水晶の破片、COPIE POUR INFORMATIONとFREE INTERNATIONAL UNIVERSITY のスタンプが押され、K の文字がくり抜かれている薄茶色の封筒に入った趣意書1通。趣意書に添えられたサインは、恐らく城戸さんが1枚ずつ手書きされたものであろう。

CDを聴いているうちに「溢れてくる 流れていく ~ 彷徨う魂の ~」ができた。

(城戸さんから写真をお借りしました。重ねてお礼申し上げます。)

プロジェクト・アララット《光のように、波のように》
プロジェクト・アララットをめぐって
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by hannah5 | 2008-01-28 01:34 | 詩のイベント | Comments(0)

溢れてくる 流れていく ~ 彷徨う魂の ~   


溢れてくる
溢れてくる
光が
波立つ泡の
はるかな底から

溢れてくる
溢れてくる
水が
いつかのように
今もまた
渦の中から

わたしたちはいつからここにいたのだろうか
わたしたちはいつここで生まれたのだろうか

流れていく
流れていく
いのちが
風のように
炎のように
大きく 小さく
揺れ 揺らめきながら

流れていく
流れていく
思いが
あの時から
このようにして
これからも
ずっと
はるかまで

わたしたちは生成される
           光のように
わたしたちは再生される
           波のように
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by hannah5 | 2008-01-27 23:14 | 作品(2004-2008)

城戸朱理さんのProject Ararat 《Lines for the Sky ~空のための線分/詩行》に参加しました   


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それぞれにとっての「たいせつな風景」を時間のなかに
刻印するために、私たちは、写真を撮り、絵を描き、
日記を綴り、ときとして詩を書くこともあるわけですが、
そのいずれもが、Lines (線分/詩行)によって形を与えられるとは、
考えてみるならば、不思議なことではないでしょうか。
    (Project Ararat 《Lines for the Sky ~空のための線分/詩行》趣意書より)



贅沢ないただき物をした。城戸さんからいただくものはいつも中身はもちろんのこと、外側の封筒や封筒を止めてあるテープに至るまで細心の注意が払ってあって、私はたやすく開封することができない。開封する前に、その念入りな体裁をしばらく眺めてしまう。それから、なるべく形を崩さないように封筒をあける。

今回のProject Ararat でいただいた物は、城戸さんがエッセイを寄稿された神奈川県立美術館の「たいせつな風景」誌に、城戸さん自ら撮影された写真(写真裏面にサイン入り)とCOPIE POUR INFORMATIONとHauptstromのスタンプが押してある薄茶色の封筒に入った趣意書1通。「たいせつな風景」誌には、「幻の雲」と題された中国旅行のエッセイが掲載されている。中国の北西部、青海・チベット高原に青海湖と呼ばれる中国最大の塩水湖があるそうだが、その湖のほとりに佇んで19世紀イギリスの批評家ジョン・ラスキンやエズラ・パウンドの詩「スント・ルミナ」に思いを馳せるなど、いかにも城戸さんらしい。

《空のための線分/詩行》は先着13名しかいただけない物で、現代詩の先端を走り続ける詩人の城戸朱理さんからこんなふうに個人的にいただき物をしたことはとても幸福なことだと思う。


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Project Ararat 《空のための線分/詩行》
Project Ararat 《空のための線分/詩行》応募方法
次なるプロジェクト・アララット
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by hannah5 | 2008-01-26 23:38 | 詩のイベント | Comments(0)

ぷちりともぎ取る   


笑顔に出会えた
ということは
わたしにとってのホウシュウだから

好きだよ
が空気の中に点在していて
そのうちの一つに引っ掛かると
花粉症にかかったみたいに
いじいじとかゆいだろう?
ほら

それでわたしは性懲りもなく
野菜ラーメンと高菜ごはんと刻みザーサイを注文して
知らん顔している

見るたびに
笑顔は大きくなっていくから
それらのいくつかを集めて
ヒツヨウな時には一つずつ取り出して眺めている
ぼんやり眺めていると
ピュアなおいしさが漂ってきて
それを一つもぎ取って
「お持ち帰り用に包んでください」

お尻かじり虫と演歌が
交互に流れてくる有線の下で
もう一皿注文しようかどうしようかと
迷っている
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by hannah5 | 2008-01-23 23:55 | 作品(2004-2008)

私の好きな詩・言葉(119) 「夜の船」 (新井 豊美)   


「夜の船」


  『ソヴォルヴィヤルの街には人影が無い。そして窓窓には、紙のブラインドが引き下ろ
  されている。』
 夜の通路。風の路地。吹き過ぎる物から比喩への最初の曲がり角。昼の翼が汚れた光を糞のように投げ捨てて発っていったその街は、弛緩した虹の死の色を纏い、身動きもせずによこたわっている。ゆうぐれのくすんだ幕を引き裂いて、さらに内部へ内部へと開かれてゆく門。その来るべき漆黒の上で、夜の金の掌が闇の奥に開花する。夢のとめどない放恣と氾濫を受け止めるために、掌は花々の蕚に似せて五本のしなやかな指を開かねばならない。
  ・・・・・・・・・あれから・・・・・・夜のガードを時刻表どおり列車が通過してゆき・・・・・・
  音量が重々しく連なってとおりすぎていったのちのしじまに寺院の高い石段の上から
  たえまなく雨が降りつづけていました・・・・・・・・・
 首筋を撫でてすぎるうすらさむい生体の感触。眠りの手前で、青孔雀たちの広場には磨かれた蛇紋石が敷きつめられ飾りのついた雅歌の尾羽が放たれている。水を噴く木々の列。異界の門を指す黒い人体の首に、夜の風はどんな痕跡も残さず、旋回しながらその長い指をやわらかく巻きつけてくる。

      *

  『人々は眠っているのだろうか。真夜中過ぎの時刻だ。ある家からは声が聞え、他の家
  からは食事時のざわめきが漏れてくる。』
 信じられたもののみが放つ透明な光。いくつか、濃い紫に熟れてゆく一房の記憶。その上を覆っているあの美しい植物性の掌。なにかひとつの貴い場面に出会うように、その手に出会うことをつよく願っていたのではなかったか。閉じられた窓、閉じられた扉、家々の壁に捺印されている死者たちの掌紋。伏せられた夜の冷たい掌の下から石の階を螺旋に辿って、降りてゆくその地下の部屋では人肌がかすかに触れ合い、眼の水が渦巻いている。
  ・・・・・・・・・見えない流れの底では水は渦巻いているはずです。静かに流れているよう
  に見えても、川は、底ではげしく渦巻いていて・・・・・・・・・、そして水面には青い蚊柱の
  絶え間ない唸り。あなたにはまだ、河口に渦巻いていたあの夏の渦のことを話してはい
  ませんでした・・・・・・・・・
 囁き。笑い声。地下室から溢れ出て路地を蛇行してゆくそれら水滴に似たひそやかな声は、雨にぬれた足音をひとつひとつ、聞き取れぬ遠さまで運び去ってゆき、人を生まれる前の闇につれ戻す。
  ・・・・・・・・・渦の中は見開かれた真っ黒な瞳だけでした。夜は、去ってゆくものからの愛
  として、そこに残されるのでした・・・・・・・・・

      *

 音もなく降りてくる夜の物語。時の鏡の、みがかれた黒い扉の上には黄昏の水銀のしずかな滴がしたたり、逆光をくぐって老いたひとは白髪を闇に沈める。波浪の夜へ、旅立つ人よ。その扉は最初の、そしてそこはわたしたちが別れの時を過ごす最後の場所で、暮れてゆく鏡を割ってわたしたちはもうたがいに触れ合うことも、眼の水に哀しみを湛えることもなく、ただ悼みあうこころだけが初めてというほど、たがいのこころとこころの距離をちぢめ、あたたかい灯の色が横顔にしみいるふしぎな親和の時がきて、そしてようやく、そう、ようやく!わたしたちにとって、ほんとうの父母はほかならぬこの“夜”であり、ひとは記憶という肉体の昼ではなく、忘却というはるかな夜の一房に属していることに、知覚ではなく、闇に実る素裸の存在の痛覚に属するものだということに気付くのだ。

      *

  『ここでもまたこれらの航海者たちは急速を見出すことなく、再び、地獄の業火にも
  似て静まることを知らぬ永遠の波浪へ向って、船出するのであろうか。』
 死者の、脛のほそさに添えて削られた白い木のちいさな椅子。永遠の揺籠をかねて弓型にカーヴさせた船底で床を漕ぐ椅子。編み込まれた複雑な雲の形を背負いどこまでもひろい地平と空を憧れる籐の椅子。与えられた短い安息のためにその長椅子は毛のない一ぴきの獣を装って蹲っていた。四本足、机、書棚、洋箪笥の、ひとつひとつの鍵穴の繊細なまるい闇が精巧な銀細工の紋章で隠された無数の抽斗。旧い家具やガラクタの類を積み上げ築きあげて彼らの耳なれぬウル語のささやきを綴ってゆけば、まさに一艘のおおきな船の物語となるだろう。物自身の語る“物語”。物語を閉じ込め、塗り込めている家具たちのくぼみというくぼみ、手擦れの、傷の、物という物の沈黙と倦怠をひとつにまとめて、ガラスの箱の中、虚の数を打つ時の大時計。

      * 

  『この地のかつての住民について、彼らの船を眺めることで多くを知ろうとするのなら
  ば少なくとも漕ぐことはできなければならないだろう。』
そしてひと夜の闇へ漕ぎ出す人々の夢の中で、家具たちは長いあいだ密かに企てていたのではなかったか。出発のための白いおおきな帆をしたてて人々を乗せ、灯台も標識もない夜の、そのおそろしい果てしなさに向け、気紛れな風にまかせて出帆してゆくことを。漕ぐことを知らぬものたちの、ながい航海の先の、地図にないおおきな水銀色の凪の海へ、みずからの船ともどもガラクタの類として、捨てにゆくことを。

※『 』の中の言葉は、菅谷規矩雄 『ゲニウス地図』、W・ベンヤミン 『都市の肖像』 から引用。


(新井豊美詩集 『夜のくだもの』 より)

ひと言
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by hannah5 | 2008-01-22 23:26 | 私の好きな詩・言葉 | Comments(0)

感受する   


体内のどこか
ほの暗いところから流れてくるものがある
骨髄のもっとも深いところから
湧きあがってくるものがある
髄液が溢れ
体液が流れ
けれどそれらの行き着く先を
わたしは知らない
知っているのは
なめらかな広がりが
体内のもっとも感じやすい部分を
流れているということだ


どこか愛に似ている


やさしく官能的で
生まれることを孕み
生まれたあとは
襞と襞の間に染み入るように広がっていく

そこには永遠ともいえる喜びがある
ごく個人的な思いがあり
人を認める知識がある
私たちを隔てているものは
埋めようのない空白
私たちの成り立ちはもとより
修復不可能なほど違っていて
こうしている間にも
わたしは内から外へと間断なく満たされていく

言葉が紅い
体内から触覚の手が伸びてそれを掴み
嗅覚のもっとも感じやすい部分で
恍惚の匂いを嗅いでいる
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by hannah5 | 2008-01-21 23:46 | 作品(2004-2008)

冬の掲示板です♪   


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いつも詩織を見てくださって、ありがとうございます。

コメント、伝言、感想などあれば書いてください。


はんな


(写真は生後2週間の子ハムたち。この中の1匹がうちに来る予定です^^)
HumHam さんの所から)
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by hannah5 | 2008-01-20 23:17 | 伝言どうぞ♪ | Comments(20)

振り返り、そしてこれから   


振り返ってみれば、初めの頃に比べてこの2、3年の詩織は苦しそうですね。どこか引きつった感じが否めません。これは多分に私の精神状態と関係があります。詩を書くこと自体は別に苦しいことではないのですが、身動きの取れない環境の中で、ぎりぎりの状態で生活しているせいだろうと思います。それでも、去年の後半あたりからうっすらと余裕のようなものが芽生えてきました。

そんな中にあって、自分の作品を活字にして世に送り出すことができたのはとても幸せなことでした。2007年9月には『ネットの中の詩人たち 5』(島秀生編)に、12月には「旋律」(長崎ラ・メールの会)に参加させていただきました。また7月には『レボリューション』(ジョージ・バーナ著)の翻訳を出版させていただきました。(こちらは実名で)

もともと文学志向ではありました。子どもの頃の夢は作家になることでした。翻訳家になることを夢みていた時期もありました。それらすべてをあきらめて神学を学んでいたのですが、ふとしたきっかけで詩を書くようになり、それが今では外へ外へと発展していきそうな勢いです。読み返してみると私の詩はまだとても稚拙です。学ばなければならないことが山ほどあります。若いうちから詩を書いている詩人さんたちに比べると、詩人としての私の出発はいかにも遅いです。でも、それは私にとってあまり大きな問題ではありません。むしろ、心地よい緊張が強いられて、詩作の上での原動力となっています。

詩織を始めた時、漠然とした2つの目的がありました。1つは詩を書くこと。もう1つは伝道することです。詩織を見て教会へ行きましたというコメントを1度いただいたことがありましたが、とても嬉しかったです。しかし、ネットでの伝道には限界がありました。それに比べて、詩は私の想像をはるかに超えて広がっていきました。今、ネットを超えつつあります。

2007年、活字として活動できる場所が次々と与えられました。2008年はそこからさらに広がっていくだろうと思います。その初めにあたり、詩織を少し整理することにしました。具体的にどのように整理するかは、実際に整理しながら決めていきたいと思います。(1つにはリンクを整理し、そのほとんどをお気に入りに入れさせていただくかもしれません。)(閉鎖はしないと思います。念のため。)

今日までおつきあいいただいた皆様には限りなく感謝をしています。いただいたコメントに励まされたこともずいぶんありました。これからは詩織を超えていくはんなの詩を見守っていてください。今日まで本当にありがとうございました。そして、これから詩織以外の場所で出会う方々に、よろしくお願いいたします。

はんな
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by hannah5 | 2008-01-18 02:00 | ご挨拶 | Comments(11)